第二十一幕 ディンプナの長い一日(4)

 夕方。

 ライガー騒ぎの後、太陽が暮れるまでクロエはディンプナを連れて都のあちこちを見て回った。

 宿に帰る頃にはディンプナは疲れて寝てしまっていたので、クロエは彼女をおぶって歩くはめになっていた。


「世話の焼けるお嬢様だこと」


 宿について早々、クロエはディンプナをベッドへと寝かせた。

 新しく買ったワンピースを着たまま、ディンプナは小さな寝息を立てている。


「こうしていると、普通の女の子なんだけどねぇ……」


 ライガーを叩きのめした時のディンプナを思い返して、クロエはひとりごちた。

 サルカスが相手ならまだしも、まさか猛獣を軽々倒すほどの力の持ち主だとは、さすがのクロエも見抜くことはできなかった。


「あのバスタが協力させたがるわけだよ。

 こんな小さな体のどこにあんな膂力があるんだか」


 太陽はその間も沈み続け、気付けば部屋の中は薄暗くなっていた。

 クロエは、窓を閉じて天井から垂れ下がった備え付けのランプに火を灯す。

 部屋が明るくなるやいなや、クロエは喉の渇きを潤すため、棚に並べられた酒瓶のひとつを手に取った。……が、中身は空だった。


「……そうか。もう全部飲んじまってるんだった」


 酒が切れていたことを思い出すと、クロエはベッドに寝ているディンプナを一瞥した後、そそくさと酒を買いに部屋を出た。







「う……ん……」


 人気のない部屋で、寝言をつぶやきながら寝返りを打つディンプナ。

 その鼻先を、冷たい風が撫でる。

 いつの間にか窓は開いており、ランプの灯りを風が吹き消した。

 夕日がわずかに暗い部屋へと注ぎ込む中、窓際に細い影がたたずんでいる――


「ディン――」


 その影は人の姿をしていた。フード付きのマントを羽織り、黒装束を身にまとった女――それが影の正体だった。

 女は、ベッドに横たわるディンプナの頬に手を当てて安堵の表情を浮かべる。


「――捜しんしたよ。ディン」


 ベッドに腰を下ろすと、女はディンプナの頭を膝に置き、そっと髪を撫でた。

 ガタッと物音がし、女が音のした方向――部屋の入り口へと目をやると、そこには酒瓶を片手に部屋へと戻ってきたクロエの姿があった。


「あんた、誰?」


 怪訝な面持ちで、クロエが問いかける。


「ぬしは、この子に優しくしてくれんした。

 僭越ながら礼を言いんす」


 女は丁寧な物腰で、クロエに頭を下げた。


「しかし、もうようざんす。

 あとはわっちに任せてもらいんしょう」

「は?」


 女は眠っているディンプナを抱き上げると、クロエの前を悠然と通り過ぎようとした。


「ちょっと待ちな!」

「何でありんす?」

「いきなり現れて、いきなりその子を連れていくのを見過ごすわけないだろ!?」


 クロエは手近にあった机に酒瓶を置くと、部屋の入り口を塞ぐようにして立った。


「あたしを納得させたら、その子を連れて行ってもいい。

 まずはあんたの素性を説明してもらおうか」


 女は少し考え込むと、言った。


「わっちは、センカと申しんす。

 クルワの守り役を務める者でありんす」

「クルワ、ね。

 ……その子が、そのクルワって場所からやってきたってのかい」

「否、無理やり連れ出されんした」

「誰に?――」


 と言ったところで、クロエはその原因であろう男の顔が思い浮かぶ。


「外からきた冒険家の男」

「……やっぱりね」

「でも、それはもういい。この子を連れ帰ればすべて元通り。

 邪魔をするなら、ぬしを始末しなければなりんせん」

「穏やかじゃないね。

 話し合おうって言ってる相手を脅すんじゃないよ」


 クロエが身構える。

 いよいよとなれば、センカと名乗った女に飛び掛かる姿勢だ。


「よしゃれ。ぬしを傷つけたくありんせん」

「何さ、ずいぶん余裕だね。

 あんた、あたしのこと舐めてるでしょ」


 クロエはセンカと名乗る女の頭から足元までを観察する。

 そして、センカの腰回りに膨らみがあるのを見て、彼女が服の下にいくつか暗器を仕込んでいることを察した。

 しかし、両手でディンプナを抱えている以上、とっさに暗器で反撃するのは容易ではあるまい。

 自分も得物を持っていないが、この状況ならば徒手空拳でセンカを制圧することは可能――そう考えたクロエは、先に仕掛ける。


「その子は置いてきな!」


 わずかな距離を、センカに向かって駆け出す。

 彼女はクロエが行動を起こした後も、その場を微動だにしない。とっさのことに反応できないのだと思ったクロエだが――動かないことがすでに罠だったのだ。


「野暮ざんす――」


 センカは口から含み針を飛ばした。

 針はクロエの首に刺さり、即座に彼女の体の自由を奪う。


「な、なんだ……体が……」


 クロエは体から急に力が抜け、強烈な睡魔に襲われる。

 かろうじて壁によりかかることで転倒を免れたものの、センカに組み付く余力すらすでになかった。


「この子のことは忘れて、そのまま眠りにつきんさい」

「ま……て……」


 目の前を通り過ぎるセンカの肩を掴もうとするも、その手は空を掴むだけだった。


「この子の帰る場所は別にありんす。

 ぬしのもとにいる理由はありんせん」

「ディン……プ……ナ……」


 クロエは重くなるまぶたに懸命に抵抗していたが、とうとう力尽きてその場に倒れてしまう。


「おさらばえ」


 センカが最後に言い残した言葉は、深い眠りに落ちたクロエには届かなかった。







 ディンプナが目を覚ましたのは、嗅ぎ慣れた臭いのする飼い葉の上――白面金毛女楽の厩舎だった。

 大きなあくびをした後、体をもたげると、目の前にはよく知る顔があった。


「ねさま――」


 その顔は、ディンプナが姉のように慕うセンカだった。

 薄暗い厩舎の中ではあるが、いつも暗がりから話しかけてくるセンカの顔をはっきりと見ることができたのは、いつ以来だろうか。


「ねさま、今日は明るいところ、いる」

「ええ。今日は少し、特別な日でありんすから」


 そう言うと、センカはディンプナを抱きしめた。

 状況が飲み込めていないディンプナだったが、反射的に愛しい姉の体をぎゅっと抱きしめ返す。


「ねさま、わたし、ともだち増えた」

「……友達?」

「クロ、いい人、すき」

「……彼女とのことは、今日ずっと見ていんした。

 友達が増えて、ようござんしたね」


 センカは少し寂しい表情を浮かべた。

 が、それをディンプナに悟られないよう、再びぎゅっと抱きしめる。


「わっちも、ディンも、生き方を少し変えんしょう」

「いきかた?」

「そう。わっちも、ディンも、今まで二人きりで生き過ぎんした。

 誰かに頼る……それも悪いことじゃござんせん」

「わたしも、そうおもう」


 ディンプナは、センカの言葉の真意を理解していた。

 自分を好きになってくれる人がセンカ以外にもいたことが、ディンプナは嬉しかったのだ。



 こうして、ディンプナの長い一日は幕を閉じた。

 次に夢から覚めれば、新しい仲間達と共に、新しい冒険が待っている。


 ユニコーン捕獲計画が、ついに始まる――

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