第十九幕 ディンプナの長い一日(2)

 正午。

 ディンプナはクロエに連れられて、貴族(ブルジョワ)が好んで来店する肉料理店「ミートピア」へと訪れていた。

 店に入るなり、若いウェイターに白いテーブルクロスを敷かれたラウンドテーブルへと案内され、二人は席に着いた。


「やけた、肉のにおい、する」

「ここの肉は、ゆっくり味わって食べなよ。

 ユニオンのみたいに火を通しただけの豚肉じゃないんだから」


 店内を漂う焼けた肉の匂いを嗅いでいたディンプナは、周囲からの視線に気がついた。

 ホールにいくつもあるテーブルには、他に女性の姿はない。

 男ばかりの客層の中、彼らにとってテーブルに着いている二人の女は奇妙な珍客に思われていたのだ。


「みられてる」

「肉料理の店なんて、女が来ることは普通ないからね。

 連中にとっては物珍しいんだろ」


 クロエは慣れているのか気にする素振りも見せないが、ディンプナは視線を集めるこの状況にすこぶる居心地の悪さを感じていた。

 ディンプナは、男達に注目されるのが苦手だった。


「なんだよ、女が肉食いにきちゃいけないとでも言うのかいっ!?

 ここはそんな野暮な店じゃなかったはずだけどね!」


 うつむいて縮こまっていたディンプナの胸中を察して、クロエが周囲の男達に声を荒げた。

 効果は抜群で、それ以降、女二人へ奇異の目を向ける者はいなくなった。


「左様です、クロエ様。

 今日は何の肉をお召し上がりになられますか?」


 二人のテーブルに、白髪交じりの中年のウェイターが現れた。

 彼はにっこりと笑顔をたたえており、ディンプナにも奇異の目を向けることなく紳士的な態度で接してくれた。


「プラックシープの羊肉ってまだある?

 その子には、ビッグピグーの豚肉を頼むよ」

「先日、ジュエルゴートの肉が入荷しまして。

 豚や羊以外に、そちらの肉もお出しできますが」

「へぇ……山羊(ゴート)は食べたことないなぁ。

 それじゃ、それをお願い。あと葡萄酒もね」

「かしこまりました。

 お連れ様には、エードをお持ちいたします」


 ウェイターは一礼すると、テーブルを離れていった。

 よどみない会話で注文を終えたクロエを見て、ディンプナは関心していた。


「クロ、すごい」

「見直した?

 腕の良い冒険家は味の良いもの食べるもんなんだ」


 しばらくして、豚肉と山羊肉の料理、飲み物の注がれたゴブレットが運ばれてきた。

 初めてゴブレットを見るディンプナは、注がれたエードを飲みながら、物珍しそうに容器をいじくりまわしていた。

 その様子を見て、クロエは口元を緩めながら葡萄酒をあおった。


「昼食の後はどこに行こうかね」


 クロエは午後の行動を思案していた。

 どうせ行くなら、ディンプナが喜ぶようなところがいい。

 そう考えながら山羊肉にナイフを当てようとした時、店の外から悲鳴が聞こえてきた。


「なんだ?」


 ひとつだけではない。

 何人もの女の悲鳴、そしてどよめきが、店の外からホールまで聞こえてくる。

 クロエはただ事ではない雰囲気を感じ取り、席を立って店の入り口へと目を向けた。


「……あれは、ライガーか?」


 入り口のアーチの先には、虎とも獅子ともつかない巨大な体躯の動物が牙をむいてたたずんでいた。

 店の前の街路に陣取っているその動物――ライガーは、体に大きな鎖を巻き付け、何か大きなものを引っ張っている。

 鎖の先は、四輪の箱馬車へと繋がっていた。


「馬でいいだろうに、よくもまぁあんなのに馬車を引かせるもんだ。

 憲兵が許したのかよ……」

「キャリッジですな。

 あの絢爛豪華な装飾の箱馬車、よほど上流の方のものとお見受けします」


 いつの間にかクロエの隣にたたずむウェイターが、驚嘆した面持ちで言った。


「ああ……それもかなりタチの悪いやつだね」

「クロエ様がご存じのお方で?」

「あの旗で察したよ――」


 クロエは、箱馬車に備え付けられた小さな旗を指さした。

 その旗には砂漠の都ゴライアの紋章が描かれており、ゴライアの貴族で高価なキャリッジを乗り回すような者はクロエの知る限り一人しかいない。


「――成金領主のゴライアス。

 あたしが知る貴族の中でも、ぶっちぎりで最低な野郎さ」


 クロエがぼやくのと同時に、四輪の箱馬車から肥満体の男が下りてきた。

 同伴の女がその後に続いて下りてきて、地面に足を付けるなり男の腕に手をまわす。

 二人の少し離れた場所には、警護の人間と思わしき男が数名、周囲を警戒するようにして歩いている。


「ここがウエストガルムでも一、二を争うという評判の肉料理店じゃ。

 女のお前には、肉料理は口に合わんかな?」

「とんでもございませんわ、ゴライアス様。

 私もお肉を食べとうございました」


 ゴライアスと呼ばれた貴族の男は、女の同意を受けて店のアーチへと向かって歩き出す。

 途中、グルルルと獣特有のうめき声をあげるライガーの隣で立ち止まると、その前足をステッキで叩いた。


「これこれ、そううめくでないぞ。

 今朝、お前には餌をやったではないか」


 周囲でその様子を見ていた人々はざわめいたが、ライガーは大人しく足を折ってその場に座り込んでしまった。

 それどころか、まるで猫のように喉を鳴らして、男へと頭をこすりつける。


「驚かせてすまんなぁ。下層労働者の諸君!」


 唖然としている人々を見回しながら、男は続ける。


「わしはゴライアの領主ゴライアスと言う者でな。

 明日、バザーイベントを開催するゆえ、このあたりを見て回っておったのだ」


 その貴族――ゴライアスは、ミートピアの看板の備え付けられたアーチをくぐり、店内へと入ってきた。

 クロエの隣にいたウェイターがすぐにゴライアスの元へと駆け寄り、丁寧にテーブルへと案内する。

 テーブルに着くなり、同伴の女がクロエ達の存在に気がついた。


「あら。他にも女性のお客がいらしてますのね」


 クロエはすでに着席して葡萄酒をあおっていたが、ゴライアス側のテーブルから顔が見えないように背を向けていた。

 一方、対面に座っているディンプナは、周囲のことなどお構いなしにガツガツと肉料理を口に入れている。


「そのようじゃな。

 ……しかし、食事の作法はまるでなっておらん」


 ディンプナを見て、ゴライアスは忌々しそうな表情を露わにした。


「ウェイター! なぜあの小娘をつまみ出さんのだ」

「当店ではお金を払っていただければ、どのような方でもお客様として――」


 口上の途中で、ゴライアスは手にしていたステッキでウェイターの足を殴りつけた。突然のことに、ウェイターは驚きバランスを崩して尻もちをついてしまう。


「わしは、あの小娘をつまみ出せ、と言っているのだ。

 さっさとせんか、馬鹿者!」

「し、しかし……」

「わしの言うことが聞けんのか?

 こんな店など、わしの一声で簡単に潰せるのだぞ!!」


 あまりにも傲慢なゴライアスに困惑するウェイターを見かねて、クロエが二人の会話に割り込む。


「あたし達はもう出て行くよ。

 すぐに支払いを頼みたいんだけど?」


 クロエは不快な気持ちを露わに、ゴライアスを睨みつけていた。

 その顔を見て、ゴライアスは思い至る。


「んん~……? その声、その顔、覚えがあるぞ!

 お前、冒険家のクロエ・キルシウムだな」


 クロエは深い溜め息をついた。

 彼女は以前、ただ一度ではあるがゴライアスの依頼を受けた経緯があり、お互い顔見知りだった。


「黒い血のクロエ!

 ははは、今はウエストガルムにおったのか」

「……あたしのこと、覚えていたの」

「忘れられる女ではあるまい!

 ちょうどよい、お前にはわしに酒を注いでもらおうか!」


 ゴライアスはクロエを手招きした。

 が、その言動にクロエ以上の不満を露わにしたのは、同伴する女だった。


「ゴライアス様、お酒は私がお注ぎいたしますわ!

 そのような冒険家風情の女など――」


 女は最後まで言い終える時間すら与えられず、ゴライアスのステッキで顔面を打たれて床に倒れこんだ。


「わしは、クロエに酒を注ぐように命じたのだ。

 口をはさむな、馬鹿者!」


 女は血まみれの口を抑えながら、床に倒れたまま嗚咽を漏らした。


「な、なんということを……!

 女性の顔を殴るなど、紳士のすることではありませんぞ!」


 ウェイターは顔を真っ青にして、倒れた女の元へと駆け寄った。

 その様子を見て、ゴライアスはますます機嫌を悪くする。


「消え失せい!

 二度とわしの前に姿を現すな、売女がっ!!」


 さらにステッキで女の体を乱暴に打ちつけると、彼女は泣きながら店の外へと走り去った。途中何度も転びながら、片方の靴まで置き去りにしながら……。

 ウェイターは呆気にとられたまま、女の後ろ姿を見送ることしかできなかった。


「これで邪魔者も消えた――」


 ステッキをテーブルに立てかけ、ゴライアスは再びクロエを手招きする。


「クロエ、こっちへ来い!

 教養のない冒険家でも、酒の注ぎ方くらいは知っておろう」


 クロエはその誘いを無視して、財布から取り出した金貨をテーブルの上へ置く。

 そして、ウェイターへ申し訳なさそうな顔を向ける。


「悪いね、あたしのせいでさ……。

 金はテーブルの上に置いておくよ。釣りはいらない」

「クロエ様……」

「ごちそうさま。料理も酒も美味かったよ。

 ……ディンプナ、行くよ」


 クロエはディンプナの手を引いてその場を去ろうとした。

 が、ゴライアスはそれを許さない。


「このわしを無視するとは、いい度胸じゃな。

 そんな真似をして、無事に店を出られると思っておるのか?」


 口を開くこともなく、傲岸不遜な男に一瞥だけくれて、クロエはそのまま店を出るためにアーチへと向かった。

 その時、ゴライアスは突然、指笛を鳴らした。


「!?」


 その音に思わず振り向いたクロエとディンプナ。

 直後に、二人の耳に獣のうなり声が聞こえてきた。


「ヴァクン、その小娘どもを可愛がってやれ!」


 ゴライアスが叫ぶのと同時に、街路に座り込んでいたライガーが起き上がり、店のアーチへと向かって駆け出してくる。

 攻撃的な咆哮をあげながら、巨大な体躯は入り口のアーチを壁ごと破壊し、ホールへと飛び込んできた。

 クロエはとっさにディンプナを抱きかかえてライガーから距離を取り、その巨大な獣と向かい合った。


「くっ……!

 こんな町中でライガーをけしかけるなんて、正気かよ!?」


 獲物を前に、うなり声をあげるライガー。

 猛獣ライガーと対峙するクロエ。

 そして、たたずむディンプナ。

 ミートピアで起こった事件は、いよいよ佳境を迎える。

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