第二十五幕 ユニコーンのひづめを追え(4)

 サルカスは背の高い草むらや密集した茂みに身を隠しつつ、丘陵を行く追跡隊を追いかけていた。

 先を行く馬車から芳香が漂ってくることに気がついたのは、偶然、彼が風下に立った時だ。


「この匂いは……ユリの花か?」


 二両の馬車は横並びで併走しており、ユリの香りが漏れてくるのはサルカスから向かって右側の幌馬車だった。

 幌で覆われているものの、布の下からチラリと見え隠れしている鉄格子を見て、サルカスはユニコーンを閉じ込めるための檻だと察した。


「檻の中にユリの花を詰め込んでるわけか。

 しかしまた、どうしてそんなことを……?」


 不思議に思っていると、サルカスの耳にレンジャー達の話し声が聞こえてきた。


「信用して大丈夫っすかね、ユリの件。

 童話の世界じゃあるまいし、ユニコーンがユリの匂いで従順になるなんて」

「眉唾だけど、純潔花とも呼ばれるユリならもしかして……って期待はあるわね」


 話しているのは、御者として馬車馬の手綱を握るレンジャーの男女だった。

 男が荷馬車、女が幌馬車の御者らしい。


「昨日入手したばかりの情報っすよ。

 今回の追跡でいきなり試すってのは早計じゃないすか?」

「未確定の情報でも頼らざるをえないわよ。

 これ以上手間取れば、金目当てに力づくで捕まえようっていう輩が出てくるでしょうし」

「せめてポーリーンがいたらよかったんすけど……」

「悪かったわね、私で」


 レンジャーの会話を盗み聞いて、サルカスは得心した。

 ユニコーンにユリの花が効果的という話は事前に受け取った情報にはなかったが、実証すらされていない方法を選ぶとはレンジャー達も立て続けの任務失敗で藁にもすがる思いなのだろう。


「巷に流れるデマ情報であることを願いたいが、どうだろうか……」


 サルカスがひとりごちると同時に、馬車が二両とも止まった。

 突然のことに追跡がバレたのかと身構えるサルカスだったが、原因はすぐに判明した。

 馬車の前をプラックシープの群れが横切ったのだ。


「……行くか?

 いや、やつらが馬車から離れた時でないとダメだ」


 馬車に近づくにはまだ早い。

 サルカスは再び茂みの中で気配を殺し、レンジャー達に決定的な隙ができるのを待つことにした。


「よし、行くぞ!」


 羊の群れが過ぎ去った後、馬車を先導するリーダーらしき男が号令をかける。

 彼の指図に従い、二両の馬車は再び動き始めた。

 サルカスは馬車からつかず離れずの距離を保ちながら、引き続きレンジャー達の後を音もなくついていく。







 丘陵をしばらく進んでいると、ある地点で再び馬車が止まった。

 そこはユニコーン目撃地点のひとつであり、同時にレンジャー達が今回の追跡で調査するポイントでもあった。

 サルカスの耳には、馬車から遠ざかる数人の足音が聞こえてくる。


「何人か馬を降りて目撃地点へ向かったな。残ってるのは誰だ――」


 特査院の獣医三名――いない。

 馬車を先導するリーダーの男――いない。

 幌馬車の御者を務める女性レンジャー――いない。

 隣の荷馬車で御者を務める男性レンジャー――御者台で呑気にあくびをしている。


「――よし、やるか」


 今が好機と判断したサルカスは、足音を殺しながらゆっくりと荷馬車へと近づいていく。

 荷馬車の尻にたどり着く頃には懐から短剣を一本取り出し、すぐさま車体を支える後輪の車軸に刃を立てた。

 サルカスの役割は、ユニコーンを前にしてレンジャー達が本格的に動き出す前にその動きを封じることだ。

 すでに五名は斥候として別行動を取られてしまったが、檻を運ぶ本隊を行動不能にできれば、レンジャー達のユニコーン捕獲は破綻する。


「気づくなよ……」


 ギコギコと小さな音を立てながら、車軸へと切り込みを入れる。

 ごくわずかな振動が伝わっているだろうに、御者台にいるレンジャーは気づかずに水筒を口にしている。サルカスにとってはありがたい相手だ。

 荷馬車の車軸へ十分な切れ込みを入れ終えると、続けざまに隣の二両目――幌馬車の車軸にも同じように刃を突き立てる。

 大量にあるユリの花の匂いに気分を悪くするも、サルカスは気づかれることなく、幌馬車の車軸への仕込みも終えることができた。


「よし。馬車への細工は完了だ」


 これで1キロと走ることなく、馬車は二両とも車軸が折れて動けなくなるだろう。本隊の動きを封じる準備はできた。

 しかし、サルカスにはまだやるべきことがあった。

 いざという時のために、レンジャー達の判断力を奪っておきたい――その仕込みが残っているのだ。


「頼むから、もう少し気づかないでくれよ」


 御者から姿を隠しながら、サルカスは肩から提げた携帯袋の紐を緩めた。

 その袋の中には、たっぷりと葡萄酒を染み込ませたパンが入っている。

 それを積み荷にある食糧袋の中身とすり替えようというわけだ。


「なんだこいつら、バターなんて持ってるのか。

 ……これは貰っておこう」


 パンのすり替えを終え、サルカスは足音を立てぬようゆっくりと馬車から離れて元の茂みの中へと隠れた。

 それからしばらくしてレンジャー達の調査が終わり、再び馬車が動き出した。


「日が昇ってきたな。

 おい、今のうちに腹ごしらえをしておこう」


 リーダーの男が言うと、御者のレンジャーがパンの入った食料袋を積み荷から取り上げ、中身のパンを全員に配っていく。


「なんかいつもと味が違わないっすか?」

「獣医のみなさんもどうぞ。

 ただし味にはあまり期待しないでくださいな」

「おい、バターがないぞ。どこいった」


 六人とも全員、受け取ったパンに何の疑いもなくかじりつく。

 不思議なことに酒の強いレンジャーというのはほとんど聞かない。獣医にしてもそうだろう。しばらくすれば酔いがまわり、任務どころではなくなるに違いない。


「酔い潰して冷静な判断力を奪おうとは、バスタくんも考えたもんだ。

 レンジャーのユニオンには酒場もないって言うからなぁ」


 その後、丘陵の中腹に差しかかろうというところで、葡萄酒入りのパンの効果が表れ始めた。

 馬上でうつらうつらする者。

 危うく落馬しそうになる者。

 あらぬ方向へと進もうとする者。

 このおかしな状況に、いよいよリーダーも気づき始めた。


「お前ら、しっかりしろ!

 昨晩はちゃんと寝たんだろうな!?」

「すいません。なぜだろう、眠く……なってきました……」

「ねぇ、さっきのパンてお酒の味しなかったかしら?」

「任務で支給されるパンに、そんなもの入れるわけないっすよ……」


 困惑するレンジャーと獣医を見て、草陰からほくそ笑むサルカス。

 その時――


「……やっぱり酔っぱらってるのかしら。

 さっきから角の生えた白い馬が見えるんだけど」

「なんだと?」

「純白の角に金色のたてがみ、まさに白馬と言うべき真っ白い体。

 美しい……実際に目の当たりにすると、神々しさすら感じるわ。

 ……あれ? もしかして本物?」


 サルカスも含めて、その場の全員が一斉に彼女と同じ方向へと視線を向ける。

 そこには、たしかに長い角を持つ白馬の姿があった。


「ゆっ! ユニコーンだっ!!」


 ユニコーンはわずかに湧き出ている小さな泉に頭を垂れ、その水を飲んでいた。

 距離があるためか、こちらの存在にはまだ気がついていない様子だ。


「静かに。みんな馬を止めろ」


 唐突なユニコーンの出現にざわついたものの、冷静さを取り戻したリーダーの号令に従って全員馬の足を止めた。


「出番だ、頼むぞ」


 リーダーが言うなり、女性レンジャーは御者台から降りてユリの花束を抱えた。

 追跡隊唯一の女性である彼女が花束を抱えてユニコーンへと近づくのが、彼らの計画だった。


「……あの、私なんかで大丈夫ですかね?」

「何がだ」

「だって私、その……伝説的にはユニコーンに相応しくないというか……」

「その役割に適任のやつが参加できなかったんだから仕方あるまい。

 男よりも女のほうがアレの好みだろう」

「でも、怒りを買った女がユニコーンに蹴り殺されたという逸話も……」

「もし危険を感じたら、全速力で逃げてこい」

「そ、そんなぁ」


 女性レンジャーは酔いも覚めたような真っ青な顔で、ユリの花束を持ってユニコーンへと近づいていく。足取りは少しふらついていた。


「あんな花で上手くいくんすかね……」

「ユリの香りがユニコーンにとって心地いいんだろう。

 傷つけることなく捕らえるには、これで誘いに乗ってもらわないと困る」


 ユリの匂いに気づいたのか、ユニコーンは自分に近づいてくる女性レンジャーをチラリと見やる。

 美しき一角獣の視線を受けながら、彼女はとうとうユニコーンの顔に触れられるくらいまでの至近距離へと近づいた。


「初めまして、ユニコーン……さん。

 ……よろしければ、私についてきて――」


 女性レンジャーが言い終える間もなく、ユニコーンはいななきと共に前足をあげて屈とうした。

 驚いた彼女は花束をぶちまけて腰を抜かし、当のユニコーンは逃げるように丘陵を駆け抜けていった。


「やはりダメだったかっ!」

「あの方角は……湖に向かってるみたいっす!」

「プランDだ、クク笛を鳴らせ!

 湖に先に向かった先遣隊と挟み撃ちにできる!!」


 獣医の一人がクク笛を吹き鳴らすと、周囲にいたクク達が一斉に飛び立った。

 飛び交うクク達の鳴き声が、空中にやかましいほど響き渡る。


「追うぞ、今度こそ逃がさんっ」


 リーダーが果敢に馬を走らせる。

 直後、リーダーは馬上から落馬し、馬だけがあらぬ方向へと走って行ってしまう。


「リーダー!?」

「ぐぬっ……平衡感覚を保てん……!

 俺のことはいいから、あいつを追えぇっ!!」


 地面に寝たままのリーダーを置いて、獣医達は馬を走らせ、男性レンジャーも荷馬車を動かす。少し遅れて、女性レンジャーも幌馬車を走らせた。

 が、二人の御者がガタガタと車体の揺れる異常に気がついた、その瞬間――

 二両とも馬車の後輪を支える車軸が折れ、それぞれバランスを崩した荷台はほぼ同時に地面の上へと横倒しになった。


「なっ……なんだぁっ!?」


 想像もしなかった出来事を目の当たりにして、リーダーが間抜けな声をあげる。


「なんでだ!? 今朝整備したばっかりだってのに、車輪がっ!」

「ちょっと待ってよ、こんなところでひっくり返るなんて!?」


 倒れた荷台の惨状を見て、御者のレンジャーは二人とも真っ青になった。

 とても今いるメンバーだけで解決できるような事態ではない。


「檻を運べなきゃユニコーンの保護は不可能だぞ!

 二号車だけでもいい、早く車輪を直せ!!」

「そんな無茶ですよ、車軸がバッキリへし折れてるわ!」

「なんだとぉ~!?」


 ユニコーン追跡隊(本隊)の足止め、これにて完了。

 サルカスはすり替えたパンを頬張りながら、混乱するレンジャー達をしり目にその場を離れた。


「まさかこっちで先にユニコーンと接触しようとは……。

 湖へ向かってるなら、レンジャーがユニコーンを見失ういつものパターンだ。

 森で消える謎をバスタくんが解いていれば、やつを追い詰められるはず!」


 サルカスは丘陵を走る傍ら、ローブごと体に巻き付けていた草木を引っぺがした。

 もう隠れる必要はない。身軽になった彼は、一直線に高台へと向かう。

 自分達がユニコーンを運ぶための荷馬車を動かしに行くためである。

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