第二十四幕 ユニコーンのひづめを追え(3)
バスタはツーハンデッドソードを担ぎながら、緩やかな斜面を歩いていた。
その後ろからは、やや距離を置いてセンカがついてきている。
「バスタ殿。なぜわっちを連れてきたのでありんすか?」
「殺し屋として鍛えられたお前なら、洞察力は高いだろう。
ユニコーンが森で消える謎を解くのに役立つかもしれないからな」
「わっちの洞察は人専門。馬については何とも……」
草むらをツーハンデッドソードの刃で刈り進みながら、バスタは思い出したように言う。
「そういや、まだ礼を言ってなかったな。
失くしたと思ってたこいつ(ツーハンデッドソード)を回収してきてくれて、感謝してる」
「……バスタ殿には借りがあるゆえ。
礼などいりんせん」
「謙遜するなよ」
斜面を登りきると、バスタの目には湖が映った。
ユニコーンが消えるという森も、湖の先に見えている。
「あれがグリムニルの森か。
思っていたより湖のすぐ真横にあるんだな」
バスタは地図を開きながら、地形と自分達の位置関係を確認する。
二人のいる位置を中心とすると、西側に湖と森。北側にクロエ達が待機する高台が見えている。
「この地図、縮尺が書かれてねぇから距離感が想定とまったく違うな。
グニパヘリル丘陵ってのは、案外狭いみたいだ」
湖の様子をうかがっているバスタとは反対方向を見渡しているセンカは、その意見に賛同する。
「……たしかに。
都の外縁を覆う壁が地平線の彼方に見えていんす」
「ユニコーンは人間を嫌ってるのに、なんだってこんな都に近い場所をウロウロしてるんだろうな?
丘の下には農村だってあるじゃないか」
「さて、馬の考えることはわかりかねんす」
バスタは湖畔へ足を踏み入れると、ぬかるみについた自分達の足跡を注意深く観察する。
「記録によれば、丘陵の中腹でユニコーンの走り去る姿を目撃してから、湖のほとりでひづめの跡を発見するまでに十数分かかっている。
足跡は森まで続いていたが、森を捜索してもユニコーンの痕跡は確認できず、か」
湖の周辺を徘徊している野兎やククの群れの足跡も、バスタは逃さず見定めた。
「このぬかるみなら、馬のひづめと他の動物の足跡を間違えることはないな」
「ユニコーンは普通の馬のひづめとは異なるのでは?」
「それはないだろう。
レンジャーの記録には、馬そっくりのひづめを持つとある」
二人は湖を横目に森へと向かって歩き始めた。
途中、バスタは何度も振り返って自分達の足跡を確認したが、特におかしな点は見られない。
足元がぬかるみから草地に変わり始める頃には、森の入り口へとたどり着いていた。
「ふむ」
バスタは茂みを乗り越えて、森の中を覗き込んだ。
小動物の鳴き声が聞こえてくるだけで、ごく普通の森と様子は変わらない。
「センカ、何か気になることはあるか?」
「……」
センカは森の中の様子をうかがう。
耳をすまし、目を細めて木々や茂みを隅々まで見渡したが、やはり何の異常も見当たらなかった。
「普通の森でありんす。
馬のいななきらしきものも聞こえず」
「……だよな」
バスタ達は森の中をしばらく進むことにした。
「木の枝が邪魔で歩きにくいな――」
森の中は草木が生い茂っており、人間一人が歩くには非常に難儀した。
特に大柄なバスタはストレスを感じ、その原因が木の間隔が狭いためであることに気がついた。
「――木と木の間隔も狭いし、馬がこんなところを駆け抜けられるもんかね」
「しかし不可能ではありんせん。
わっちの故郷では、兎や狸を狩るために森を馬で駆け抜けんした」
「言っておくが、そりゃ一般的なことじゃないぜ……。
東の島国の馬術は魔法か何かか?」
「馬の呼吸を知るが肝要。
呼吸が合えば、悟られずに何者にも近づける」
「殺し屋の技術じゃねぇか」
他愛のない会話をしながら森を進む二人は、ついに何の発見もなく森を出てしまった。
森を出た先には、しばらく丘陵の斜面が続いた後、荒野が広がっている。
「あの荒野を抜けたら、砂漠に出ちまうぞ。
馬が食い物の少ない荒野で骨休めをするとは思えねぇ」
バスタが荒野を見渡しながら頭を抱えたその時――
「きゃっ!?」
突然、背後からセンカが色っぽい声をあげた。
バスタが驚いて振り向くと、彼女は足元を見て顔を真っ青にしている。
「どうしたんだよ」
「危うく動物の糞を踏むところでありんした」
「……殺し屋がずいぶん迂闊だな」
バスタは呆れて森を引き返そうとするが、センカは糞をまじまじと見つめていて動こうとしない。
「おい、センカ。
お前がうんこを見つめている絵は様にならねぇからやめてくれ」
「バスタ殿、この森は危険かもしれんせん」
センカは糞の前にしゃがみ込むと、臭いを嗅ごうと鼻を近づける。
「ちょ……お前、何やってんだ!?」
唐突な奇行に驚いたバスタは、センカを羽交い絞めにして糞から離す。
「何をなさるっ!?」
「そりゃこっちのセリフだ!
お前、今何をやろうとした!?」
センカはバスタの腕を振りほどくと、装束のしわを整えながら言う。
「この大きさの粘土質の糞、これは熊のものかもしれんせん。
思いのほか、この森をうろつくのは――」
「待て待て待て待て。この辺りには熊なんて生息していない。
そもそも糞の臭いを嗅いでそんなことがわかるのか?」
「熊の糞は悪臭がせず、食べたものの臭いが残る。
糞の臭いを嗅げばそれが熊のものか判断がつきんす」
「へぇ。そりゃあ知らなかった」
センカを後ろに押しのけると、バスタは糞の臭いを嗅いでみた。
すると――
「……いかがでありんす?」
「は、鼻が曲がりそうな臭いだ……!」
「うん。ならば別の動物のものでありんしょう」
「しかし、よく熊の糞のことを知ってたな」
「故郷の山によく熊が出たので、教えられたのでありんす」
「熊、か……」
その時、バスタの脳裏に閃きが走った。
「待てよ、そうか。もしかすると……!」
「どうしんした?」
バスタは思考を巡らせ、ひとつの仮説に行き着いた。
同時に、ユニコーンの狡猾さに身震いする。
「ユニコーンの足跡の謎が解けたかもしれない」
バスタはセンカを連れてすぐに湖畔へと戻ると、残っている自分達の足跡を逆にたどり、ぬかるみの始まる地点で足を止めた。
そこからあらためて周囲を見回したことで、湖の北東にひっそりと隠れるようにして林があることがわかった。
林は周囲を切り立つ丘に挟まれ、丘陵を歩いてくる時には一見して気づかなかったほど見つけにくい場所にある。
「あの林が何か?」
「あそこに見える林は、湖を挟んでちょうど森の反対側に当たるな。
……行ってみよう。もしかすると、もしかするぜ」
林の中を奥へ進むと、切り立つ岩棚の手前に開けた場所があった。
薄暗い芝生の上には昇りつつある日の光がわずかに注いでおり、一見すると美しい場所のように感じられる。
しかし――
「これは……何という……」
その場で嗅いだ臭いに耐えきれず、センカは思わず鼻をつまんだ。
「どうやら勘は当たったようだな」
バスタは口元を緩めながら、芝生の上にある物を見渡した。
ビッグピグーらしき何匹もの動物の死骸が、周辺に散乱していたのだ。
「野犬の仕業か……。
見たところ、地中に埋まっていた死骸が掘り起こされたようだ」
「よほど飢えていたのでありんしょう。
食い散らかされていて、酷い有様でありんす」
「待て、野犬だけじゃない。この噛み跡は……」
バスタはピグーの死骸をツーハンデッドソードの先端でつつきながら、いくつもある噛み千切られた跡を確認していった。
結果として、死骸には二種類の動物による噛み跡があることがわかった。
「ピグーを取って食っていたのは、大型の肉食獣だ。
野犬はその死肉を掘り起こして食い漁ったんだろう」
「大型の……肉食獣……?
待ちなんし、そもそも獣が死骸を埋めるなんてことができんしょうか」
バスタはいくつかの死骸をひっくり返すと、下敷きとなって隠れていた血だまりを見つけて覗き込む。
「俺の知る限り、よその大陸にいるゾウって動物が仲間の死骸を埋めるらしい――」
乾いた血だまりには、間違いなく馬のひづめであろう足跡が残されていた。
「――だが、馬にそんな習性があるなんて聞いたことがない。
しかも、まるで残飯を隠すようにして埋めるなんてな」
林に風が吹き、木の葉をザラザラと揺らす。
それをきっかけにセンカは寒気を感じ、懐のクナイを握りながら周囲を見回した。
「馬は……肉など食べんせん!」
センカと背中合わせに、バスタも周囲を警戒し始める。
もしかすると、猛獣の巣に足を踏み入れたのかもしれない――そんな不安で二人の胸中がざわついた。
「……だな。
正直、俺達の追う動物が本当にユニコーンなのかもはや疑わしいが、レンジャーと俺達の共通の標的がここで豚を食っていたのは事実だ」
「おぞましい」
「ぬかるみに仕掛けられた罠といい、俺達が追ってる動物はどうやらまともなモンじゃないらしい」
「罠……とは、湖のほとりに残っていたというユニコーンの足跡のことでありんすか?」
「ああ。レンジャーが記録に残した湖畔の足跡は、間違いなくユニコーンのものさ。
やつはレンジャーの目をそらすために、あえて足跡を残した」
「?」
「やつが森で消える謎……その答えは、止め足だ」
止め足――
野生動物の中には、追跡をかく乱するために、後方にできた自らの足跡を踏みながら後退し、移動方向を偽装するものがいる。
ユニコーンがやってのけたのは、まさにそれだった。
「馬鹿な!
動物がそんな真似をするなど、聞いたことが……」
「昔、サウスグリフィンの森でカイゼルホーンて角の生えた大熊を狩ったことがある。
その時、俺達の追跡を撒くためにそいつがやっていたのが、止め足だった」
「熊がそんな技術を持っていたとは……」
「そんな非常識な真似をする馬が相手じゃ、動物の知識に長けたレンジャーほど出し抜かれてもおかしくはないわな」
バスタはツーハンデッドソードを芝生の上に突き刺すと、背負っていた皮袋から細いロープを取り出した。
ロープは緑色に着色されており、芝生の上に伸びていても一見して見分けがつかない。
「何をするつもりでありんす?」
「ここが食事の場所ならば、必ず標的は戻ってくる」
「わっちらのするべきことは、待ち伏せ、ということでありんすね」
「それに加えて、こっちも罠を張っておかなきゃな――」
バスタは緑色のロープを結んで小さな輪っかを作り、輪になった先端を無造作に芝生の上へと投げ置いた。
「――俺の流儀でねじ伏せてやる。
こちとら真っ向勝負をする気はさらさらねぇ!」
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