第二十三幕 ユニコーンのひづめを追え(2)
グニパヘリル丘陵と隣り合うようにしてそびえたつ広い高台。
急斜面の窪みに巣でもあるのか、高台の周りには数十羽のククが飛び交っている。
「朝っぱらから鳥どもが騒がしいな」
高台では、サルカスが茂みに身を隠しながら丘陵の様子をうかがっていた。
周囲を飛翔するククの群れを鬱陶しく思いつつも、サルカスは双眼鏡を覗き込むのをやめない。
「あたし達がいるからじゃないの」
「そうだとしても、今日だけは大人しくしていてほしいもんですよ」
サルカスの後方に広がる野原には、地面に突き立てたハルバードにもたれかかっているクロエの姿があった。
時折、足元に寄ってくるククを追い払いながら、白み始めた空を見上げている。
「レンジャーの追跡隊は、まだ丘陵には到着していないみたいっすね」
「ふわあぁぁ……眠い」
「姉御、しっかりしてくださいよ!
レンジャーを確認次第、この場は姉御とディンプナに任せるんですから」
「ふわぁ……わかってるよ。
朝風呂に入らないと、目覚めが悪くてねぇ」
あくびをしながら返答するクロエ。
緊張感のない仲間に、サルカスは自然と溜め息が出てしまう。
「なぁ。その双眼鏡、高いんだろ?
そんなもの、どこで手に入れたのさ」
「闇市でちょっとね。
機動憲兵隊からの横流し品だから、市場ではまだ出回っていない代物ですよ。
レンジャーズ・ユニオンの連中が使ってる安物とは違いますぜ」
興味をそそられたクロエは、サルカスに音もなく忍び寄って、彼の持つ双眼鏡を奪おうとする。
とっさにその気配に気づいたものの、サルカスは羽交い絞めにされて危うく双眼鏡を落としそうになった。
「ちょ、ちょっと何するんですか姉御!?」
「あたしにもそれ、覗かせろよ。
まだ双眼鏡って触ったことないんだ」
「いいですけど……。
絶対にレンズを傷つけないでくださいよ!」
サルカスから双眼鏡を奪い取った――もとい受け取ったクロエは、さっそく両の目を双眼鏡のレンズにそえた。
「おおおっ!
すっげぇ……遠くのものがこんなに大きく見えるんだ」
「姉御、ちゃんと丘陵の方を向いてください」
双眼鏡を覗いて興奮するクロエは、本来監視する場所とはまったく関係のない方角を向いている。
サルカスの言葉も、子供のようにはしゃぐクロエの耳には届かない。
すっかり彼女の眠気も覚めたようだ。
「はぁ。こうなる気はしていたけど……」
溜め息をつくサルカスは、もう一人の同行者へと視線を向けた。
高台に運び込まれた荷馬車は茂みの中に隠され、二頭の馬車馬が足元に置かれた飼い葉を頬張っている。
そんな馬車馬の首を静かに撫でているのが、ディンプナだった。
「いいこ、いいこ」
一見まったく無害に見える彼女だが、サルカスは以前にぶっ飛ばされたことを思い出し、背筋が泡立つのを感じた。
あれ以来、街で長い黒髪の女の子を見るたびに身構えてしまうようになったのが、サルカスの密かな悩みだった。
「ディンプナ、例の得物は装備しておかないのかい?」
話しかけられたことに気づくと、ディンプナは少し考えた後に、首を縦に振った。
「でも、いつユニコーンが見つかるかわからないし、すぐに動けるように装備しておいた方がいいよ」
「……うん」
ディンプナはトテトテと荷馬車へ向かうと、積み荷の木箱の中からジャマダハルを取り出した。
俊足と怪力を持ち、接近戦を得意とするディンプナのために、バスタが調達しておいた武器である。
「うーん……。
君がそんなものを装備すると、ユニコーンを捕まえる際に突き殺しちゃわないか」
「だいじょうぶ、かげんする」
「いやぁ、そういう問題じゃあ……」
ディンプナは両手にジャマダハルを装着すると、軽快なステップを踏みながら、空を斬るように素振りを始めた。
ワンピース姿の薄着の女が、両手に殺伐としたジャマダハルを装着している。
その滑稽さを目にして、サルカスは何とも言えない気持ちになった。
「せめて鎖帷子(くさりかたびら)でも着てくればよかったんじゃ?
ユニコーンの角は鋼の鎧も貫くらしいけど……」
「だいじょうぶ、よける」
「頼もしいなぁ」
その時、クロエがサルカスを呼ぶ声が聞こえる。
「来たよ、レンジャーだ。
荷馬車が二両、人数は……八!」
彼女は副都へ続く街道の方角を眺めながら、目にした情報を口走った。
「それとは別に、馬に乗ってるやつが三人いるな。
こいつらが特査院の獣医だろうね」
「計十一人か。情報通りっすね」
クロエは双眼鏡をサルカスに返すと、地面に突き立てているハルバードのもとへと戻った。
「なぁ、サルカス。
それって、件(くだん)のレンジャーから流された情報だよね?」
「そうですよ。前に話した通りです」
クロエに返答しながら、サルカスは双眼鏡を覗いてレンジャー達の様子を観察している。
「……あの子のその後って知ってる?」
「あの子って、ポーリーンのことですかい。
今はユニオンで事務処理をやってるみたいですよ。
まぁ、怪我が治るまでの数か月は車椅子生活でしょうからね」
「そう」
「見舞いはやめた方がいいですぜ。
姉御のことも、俺の仲間だと知られてますから」
「だよね。勿体ないなぁ」
「へ?」
「いや、なんでも」
サルカスはしばらく追跡隊の様子を観察していたが、レンジャー達に何やら動きがあるのを感じ取った。
「む。なんだ?」
丘陵の入り口で、レンジャー達が馬車を止めているの見える。
行動前の最後の打ち合わせでもしているのか、レンジャー達は特査院の獣医を含めて何やら話し合っている。
サルカスは双眼鏡を覗きながら目を凝らし、彼らの口元を注視した。
「口元までは……さすがに見えないな。
くそっ。何をしゃべってるかはわからない」
「……もしかしてあんた、相手の口の動きで何言ってるかわかるの?」
「ええ。読唇術って言ってね、昔訓練したんですよ」
サルカスの意外な特技を知り、クロエは驚愕の面持ちでその背中を見やった。
同時に、彼女が心中、気持ち悪いな……と思ったことをサルカスは知る由もない。
「やつら、斥候を五人出すようです。
馬車に残るレンジャーは三人、それと獣医が三人で、計六名か」
「あんたの仕事は、連中の荷馬車への細工だろ。
もう行きなよ。レンジャーの監視はあたしが続けるから」
「そうですね。頼みます」
サルカスは双眼鏡をクロエに渡し、自分の積み荷から数本の短剣を取り出すと、それらをベルトへと備え付けた。
「姉御。計画通りにお願いしますよ」
「わかってるって。
レンジャー達がユニコーンと接触したら、クク笛を吹き鳴らすんだろ?」
クロエは首から下げた小さな笛をつまんで、サルカスに見せる。
サルカスは頷き、話を続けた。
「その状況に至るまでは待機ですよ。
もしも先にユニコーンを見つけても、バスタくん達に動きがなければここを動かないように!」
「しつこいね、わかってるってば!
あんたはさっさと行きなっ!」
クロエに心配そうな眼差しを向けた後、サルカスは何重にも草木を巻き付けた緑色のローブを頭からかぶり、急斜面を下って行く。
高台からその様子を見守るクロエとディンプナ。
丘陵の入り口で荷馬車を止めているレンジャー達の本隊に向かって、サルカスはまばらに散らばる木々や茂みを巧みに利用しながら近づいていく。
「サル、がんばれ」
「見つかる心配はないさ。
こっそり近づくのは、小柄ですばしっこいあいつの得意分野だからね」
その一方で、クロエは本隊から離れていく追跡隊の斥候グループの進路も双眼鏡でたどっていた。
彼らは高低差の激しい丘陵を突っ切り、湖の方角へと馬を走らせている。
「バスタの想定通り、やつらも湖周辺の探索を優先する気か。
まさか鉢合わせしなきゃいいけど……」
一抹の不安を口にするクロエ。
その隣で微動だにしないディンプナの頭の上には、いつの間にやら一羽のククが羽を休めていた。
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