第十六幕 最後に泣くのは(5)
立て続けに矢を放つビトリーだったが、クロエはそのすべての軌跡を読んで紙一重でかわし続けた。
建物から建物へと飛び移る身軽さも手伝って、ビトリーまでの距離を10メートル……20メートル……と、どんどん詰め始めている。
「くそっ! 長物が邪魔でポーリーンは射抜けねぇし!
あの女の動体視力は……身体能力は何だっ!?」
何本もの矢をかわされ、焦燥と苛立ちが高まる。
空になった矢筒を腹いせに蹴飛ばし、二つ目の矢筒から新たな矢を引き抜く。
「こんなところで、こんなつまらないことで、躓くわけにはいかないんだよ!
私を邪魔するやつは……皆殺しにしてやるっ!!」
ビトリーは怒りの形相に染まりながらも、標的を射抜くという思考だけはいたってクールだった。
まともにクロエを狙わず、あえて彼女の足元を狙って矢を放ったのだ。
矢はクロエのわずか手前に突き刺さった……かに見えた。
「うっ!?」
それはクロエにも想定外の動きを見せた。
矢は地面を跳弾し、方向を変えてクロエの腹の肉をかすめ取っていく。
「ぐああっ」
矢を受けたことで体勢を崩したクロエは地面に転がり、すぐ横にあった木箱の物陰へと隠れる。
「……ギリギリだったな。あの女、いい腕してるじゃないか」
矢がかすった横腹を撫でると、じっとりと生暖かい血が手のひらにまとわりついた。
相手がとんでもない腕の弓士であることを再認識し、クロエはこのまま屋根を伝い続けるべきか悩む。
が、クロエにはもたもたしている余裕はなかった。
「このままじゃ、あの子が出血でヤバい……!
それに日が暮れて姿を隠されれば、さすがに避けようがない」
クロエは遠目に、バザーイベントの最後を飾るゴライア領主の演説がまだ続いているのを目にした。
裏通りで繰り広げられている攻防を知る者は、この場の三人以外誰もいない。
こんな日常のすぐ隣で命のやり取りが行われていると言うのに、誰も気づかない現実にクロエは思わず笑ってしまう。
そして、闘志がより燃え上がるのも感じている。
「冒険家ってのは、こういうものさ……。
誰も知らないところでお宝を発見することもあれば、誰にも知られずに屍になることだってある。
誰よりも生き抜く意思が試される。それがあたしの選んだ道だ!」
クロエは上着を脱ぎ、それを片手に物陰から躍り出た。
それを待っていたかのように、ビトリーは姿を現した標的へ向かって即座に矢を射る。
矢は真正面からクロエをとらえ、その顔面に向かって飛んで行った。
が、その矢じりはクロエが振り回す上着に絡めとられ、彼女の顔に届くことはなかった。
「なんなんだ、あの女ぁぁぁ!!」
自分の矢をことごとく防ぐ女に、ビトリーは苛立ちを隠せなくなってきていた。
クロエはさらに距離を詰め、自分を狙って飛んでくる矢はことごとく上着を盾にすることで防ぎ切った。
「距離は、あと70……60!!」
「く、来るなっ!」
米粒ほどの大きさだったクロエが、どんどん自分へ迫ってくることに、ビトリーはいよいよ恐怖を覚え始めた。
手のひらに滲む汗のせいで、弓を引き損ねてしまうことすらあった。
「落ち着け……こいつさえ殺せば、この場は乗り切れる。
私は選ばれし者。このまま栄光の道を歩んで行くんだ!」
息を整え、今一度ビトリーは弓を構える。
弓につがえているのは、矢じりのが二股になっている矢だった。
先ほどまでとは異なり、貫通力よりも、切断を念頭に置いた矢じりである。
「くらえ!!」
矢はクロエに向かってまっすぐ飛んでいき、彼女の上着によって叩き落とされた。
しかし、その衝撃でクロエの上着はズタボロに破け散ってしまう。
「しまった……!」
ビトリーの計算通りにクロエは防御手段を失った。
周囲には身を隠す場所はない。
「次はズボンでも脱いで振り回すかい?
そんな時間はやらないけどね!」
すぐさま次の矢を射る。
クロエはその矢をギリギリで避けるが、わずかに足をかすり肉を削り取られてしまう。
よろめくクロエ。もはや先ほどまでの俊敏な動きは不可能だった。
「勝った! とどめをくれてやるよっ!!」
勝ちを確信しつつも、ビトリーはその手を緩めない。
新たに射られた矢はクロエの左肩を貫き、ようやく彼女の進撃を止めた。
「ちっ」
クロエは自由の利く右手でベルトを外す。
ズボンのループから一気にベルトを引き抜き、それを持って再び地面を蹴る。
「恥じらいもなくズボンを脱ぐ気か!
同じ女として哀れに思うわ、潔く死ね!!」
クロエに隙を与えず、ビトリーはダメ押しの矢を射る。
「舐めんなっ!」
バシッと空中で矢が叩き落とされる。
クロエがベルトを鞭のようにしならせて、見事に矢を撃ち落としたのだ。
「そんな……馬鹿なこと……」
想像だにもしなかった技で矢を防ぐクロエを見て、呆気にとられるビトリー。
即座に次の矢を射るが、それもベルトによって弾かれてしまい、クロエにはかすりもしない。
「う、うわあああああっ!!」
ビトリーは矢筒から慌てて矢を抜き取り、弓につがえる。
が、手元が震えて狙いが定まらない。
クロエとの距離は、すでに20メートルを切った。
「ば、け、ものぉぉぉ!」
焦燥の中で射られた矢は、クロエが避ける必要もないほど彼女の頭上高くへと飛んで行ってしまう。
これを勝機と見たクロエは、最後の力を振り絞って標的の女へと突撃する。
しかし、それ災いした――
「ぐっ!?」
突然、空から何かがクロエの頭を目掛けて落ちてきたのだ。
後頭部にぶつかったそれをとっさに振り払うと、矢に射抜かれた鳥の死骸であることがわかった。
「嘘だろ……これを狙って!?」
驚愕――そして、鳥の死骸に目を奪われた数瞬。
それが仇となり、クロエは腹部に矢の直撃を受けてしまう。
さらにもう一本、ビトリーは次の矢を弓につがえている。身を隠す時間などない。
「あと10メートル……だったらこのまま突っ込んでやるよ!」
クロエは持っていたベルトをビトリー目掛けて放り投げ、自らはその後ろを全速力で走った。
「こざかしい真似を……くたばれ!!」
ビトリーの矢は、ひとつ、ふたつとクロエの体に突き刺さる。
しかし、彼女は倒れない。
――5メートル。4……3……。
「……!!」
クロエは、弓を引くビトリーの目の前へとたどり着いた。
「よう。思ったより美人さんだね、あんた」
血まみれで息も絶え絶えながら、クロエは軽口を叩いて見せた。
ビトリーの弓はしっかりとクロエに向けられ、指を離せればいつでもその顔を貫ける位置にある。
しかし、ここまで無事にたどりついたクロエの異常なタフさに圧倒され、指を離すことがはばかられていた。
「くっ……!」
追い詰められたビトリー。
血まみれのクロエ。
二人はお互い向かい合ったまま、微動だにしない。否、できない。
「いつでもどうぞ」
クロエが煽る。
しかし、ビトリーは弓を引かない。
引けないのではない。引くための感情の爆発を待っていた。
――こんな頭のおかしい女に、私の未来を潰されてたまるかっ!!
積み重ねた怒りがとうとう心頭に発し、ビトリーは目前のクロエへ矢を射た。
が、その矢がクロエに届くことはなかった。
射たと思っていた矢はクロエの体を貫かず、あらぬ方向へと弾き飛ばされていく。
「は……?」
まさに一瞬。クロエはビトリーの弓を掴み、彼女の手から奪い取っていたのだ。刹那の瞬発力と、見た目からは想像できぬ剛力が、爆発した瞬間だった。
「これがなければ、あんたはただの犯罪者。
美形に免じて顔を殴るのはやめてやるが、胃の逆流は覚悟しな」
大きく息を切らせながら、クロエは拳を振り上げる。
「ふふ……ふふふ……」
ビトリーが引きつった顔で笑う。
いつの間にか懐から取り出した短剣が、彼女の手元で鈍く光っている。
「……まさかあんた、短剣も使えるわけ?」
「レンジャーを舐めるなっ」
短剣を特別に注力して修練していたわけではないが、ビトリーもそれなりのナイフ術は心得ている。
満身創痍で素手のクロエが相手ならば、十分に勝機はあると見込んだのだ。
再び向かい合ったまま睨み合う両者――
ザンッという斬撃音が時計塔のテラスに響く。
「終わりだ」
クロエの首元に触れている短剣は、しかし彼女の肉には食い込んではいない。
「う、そ、だ……」
ビトリーは自分の喉元に触れ、指先につく血を見て驚愕する。
首筋がバッサリと切り裂かれている。
クロエは刃物など持っていなかったはず、なぜこんな切り傷が――
そう思った直後、ビトリーは自分が何によって切り裂かれたのかを理解した。
「私の……弓……」
クロエの手にある弓の弦からは、血が滴り落ちていた。
ビトリーの短剣よりも早く、クロエが弓の弦をビトリーの首筋に当てていたのだ。
「冒険家を舐めるなよ。
こちとら10年、命がけの戦いで食ってきたんだ」
――恐ろしい女。
最後にビトリーはそう思い至り、白目を剥いて倒れた。
1分と30秒にも満たない戦いは、クロエに全身全霊を出させたビトリーの敗北で幕を閉じたのだった。
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