第十五幕 最後に泣くのは(4)

 バザーイベントも終盤となり、主催者であるゴライアの領主の演説が始まる。

 日も暮れ始め、薄暗くなってきたストリートの街路灯には火が灯されていく。

 いよいよ時はきた。

 ビトリーは、観客の雑踏に混じって退屈そうに演説を聞いているポーリーンへと耳打ちする。


「ポーリーン、驚かずに聞いて。

 貴族がイベントに連れてきていたライガーが、檻を壊して逃げたらしいわ」

「ええっ!?」

「静かに!

 ……ストリートからすぐに裏通りへと入ったみたいで、私一人じゃ手が足りない」

「す、すぐに憲兵に連絡して周辺を封鎖しないと!」

「落ち着きなさい。

 貴族のペットが相手じゃ、憲兵の動きはすこぶる悪いわ。

 最悪の事態が起こる前に私達だけで捕獲しないと」

「そうですね……。

 ライガーは何番通りへ入ったのですか?」

「目撃者の話によれば、九番通りよ。

 中央区まで直線で繋がる道だから、急がないとまずいわ!

 私は他のメンバーに通達を出してくるから、あなたは九番通りへ急いで」

「で、でも……」

「これからはあなたの時代よ。

 あなたがライガーを制圧して、私に見せてちょうだい。

 私の後継者の実力をね」

「は、はいっ! 任せてくださいっ!!」


 ビトリーから激励を受け取ったと思ったポーリーンは、すぐさま広場から駆け出していく。

 その後ろ姿を見送る間、ビトリーはさも楽し気な笑みを浮かべていた。







 弓に矢をつがえながらポーリーンは九番通りを進んでいた。

 リバーサイドストリートの裏手に伸びるその通りは、都の中央区までまっすぐと続く道で、他の道から交差する場所も少ない。

 普段は大量にゴミの山が点在している通りなのだが、バザーイベント開催の余波で、ゴミは綺麗さっぱり撤去され、ネズミ一匹隠れる余地もないほどに殺風景な道が続いていた。


「……? おかしいな」


 ポーリーンは、ライガーの姿はおろか、その気配まで感じさせないことに違和感を覚えていた。

 身を隠す場所もなく、ライガーの体躯では立ち並ぶ建物の隙間に潜り込むのも不可能。ならば、中央区までの直線上にその影を見ることができないのはおかしい。


「まさか……まさかこれは……」


 ポーリーンは現状を把握したことで、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。

 ライガーが逃げたという情報は嘘?

 なぜビトリーが自分にそんな嘘をつくのか?

 理由は何?


 ――真っ先に思い当たることがある。


 その瞬間、手元の弓に背後から強烈な衝撃を受け、彼女は転倒した。


「……!?」


 弓はバラバラに砕かれ、地面を這いつくばるポーリーンの前に無残な姿をさらしていた。

 呆気にとられたまま立ち上がろうとする彼女の足に、激痛が走る。


「うわああっ!!」


 痛みに耐えかね、地べたを転げまわる。

 ポーリーンは足元に目を向けて、その激痛の原因を理解した。

 そして、すべてを仕組んだ犯人も。


「び、ビトリーせんぱぁい……!」


 ふくらはぎを貫いている矢を見て、ポーリーンは涙を溢れさせる。

 その矢じりには「口を閉じてろ」と刻まれていた。


「どうして、なんでっ――」


 涙にかすむ目でも、その優れた視力で矢を射た人物をとらえることは容易だった。

 遥か遠くの時計塔に、彼女がとてもよく知る人物の姿が見つかる。落胆と絶望が瞬時に彼女の心を覆い尽くす。


「――私は先輩が……先輩が罪に穢れていくのを見ていたくなかった……だけなのにぃっ!!」


 時計塔から太陽の沈む方角へ目を向けると、視界には素晴らしい光景が映る。

 はるか遠くまでまっすぐと続く狭い通り。それを赤い日の光が照らし出し、両端の建物は影となって、赤く輝く線のように道を映し出すのだ。

 その道はいつまでも直線に走り続け、障害物の撤去された今はまさに一筋の太陽光にすら見紛う。

 前後の移動しかできず、壁にできるものは何もない。矢を射るには絶好の環境だ。


「特級弓士の技術がこんな素晴らしいことで発揮できるなんて。

 私はやはり選ばれし人間だった」


 時計塔のテラスに陣取り、弓を身構えるビトリーは、歓喜の表情で100メートル以上先で屈みこむ標的を見据えていた。

 テラスにはいくつも矢筒が並べられており、彼女は意気揚々と新たな矢を引き抜いて弓につがえる。


「よぉく見えるわよ、可愛いポーリーン。

 お前の絶望に打ちひしがれる顔、最高にイイわぁ」


 さらに矢が放たれる。

 風切り音と共に、瞬く間に標的の少女の利き腕を射抜いた。


「ぎゃああああっ!!」


 激痛にジタバタともがき、傷口から吹き上げた血が地面を汚していく。

 左足ふくらはぎと、右上腕へと矢を受け、ポーリーンはすでにその場を満足に動くことすらできない状態に追い込まれていた。

 あまりにも唐突で、強烈すぎる死の予感に、彼女はまともに思考が働いていない。


「ひいいぃ……た、助け、て……」


 血まみれの足を引きずりながら、地べたを這う。

 何ひとつ障害物のないその道を照らす太陽の光は、ポーリーンに絶望しか与えてはくれなかった。


 ――せっかくだし、もう二、三発は遊んであげるわ。

   私の愛を存分にその体に感じて、死んでいくがいい!


 ビトリーの殺意が乗った矢が、ポーリーンへと放たれる。

 その風を切る音にビトリーは怯えた。

 数瞬後には、また自分の体にあの激痛が走るのだ。否、あるいは死――


「いやあぁぁぁあっ!!!!」


 ポーリーンの絶叫。

 それとほぼ同時に、殺意の矢はポーリーンへ目掛けて突き刺さる!

 ……ことはなかった。

 矢は金属音と共に壁に向かって突き刺さり、ポーリーンの柔肌を襲うことはなかったのだ。


「な、何っ!?」


 右足を狙った矢が、あらぬ場所へと突き刺さるのを見て、ビトリーは目を疑った。

 気付けば、太陽が通りにふたつの影を照らし出している。

 ひとつは地面に這いつくばるポーリーン。

 もうひとつは、何か長い物を抱えている長身の人物。


「誰よっ、あんたぁ!?」


 ビトリーは、矢の矛先を変えたのは間違いなくその人物だと確信した。

 長身の影――シルエットを見る限り、女。

 そしてその女は、巨大な長物――ハルバードを肩に抱えている。


「こんな可愛い子に、最低な真似をするやつがいたもんだ」

「あ、ああ……あなたは……?」


 目の前にたたずむハルバードの女を見上げて、ポーリーンは消え入りそうな声で問うた。


「あたしの名はクロエ。

 あんた、ポーリーンてんだろう?

 もう安心していいよ。あんたはあたしが守ってやる」


 そう答えると、クロエは横たわるポーリーンの前にハルバードを突き立てた。

 そして、両手にはめた黒い手袋を引っ張りながら、ハルバードの前に立ちはだかる。 


「さぁて。性根の腐った女狐をこらしめてやるとしますか!」


 時計塔から、ビトリーはクロエとポーリーンのやり取りを見届けていた。

 唇の動きから女の名と、ポーリーンを守ろうと言う意図を読んだビトリーは、眉間にしわを寄せて怒りを露わにする。


「舐めてるのか!? あの女ぁぁぁぁ!!」


 即座に弓を引き、クロエの心臓目掛けて矢を射る。

 しかし、矢はクロエに触れることなく、その背後の地面へと突き刺さった。

 華麗に姿勢を変化させ、矢の軌道を難なく避けたのだ。


「シューターは……あの時計塔のテラスにいるな。

 距離……150メートルってところか。建物を伝って40秒?……50秒か。

 それだけあれば、ここからそこまでたどり着ける!」


 クロエはそう言うなり、経年劣化した壁の傷を頼りに、三階はあるであろう建物の壁をよじ登り始めた。

 その行為を目にしたビトリーは、すぐさまクロエの目的を察する。


「馬鹿な……屋根伝いにここまでくる気かっ!?

 あの女、正気じゃない!」


 想定外の反撃に驚きつつも、ビトリーはあくまで冷徹に次の矢を射る。

 が、その矢も器用に壁を這うクロエに難なく避けられてしまう。


「あんたは、しばらくそこにいな!

 すぐにあいつを黙らせてくるからさっ」


 ハルバードの陰に隠れるポーリーンにウインクすると、クロエは屋根に登って全速力で駆け出した。

 建物の屋根から屋根へ飛び跳ねながら、まっすぐと自分へ向かってくる女を見て、ビトリーは戦慄する。

 子羊を狩る側だった自分が、いつの間にか狩られる側へと立場が変わっているという異常事態。同時に、心底沸き立つ怒りが彼女の殺意をますます駆り立てていく。


「殺す! 私の邪魔をするやつはどいつもこいつもぶっ殺す!!」

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