第十四幕 最後に泣くのは(3)

 太陽がまだ昇り切っていない早朝、リバーサイドストリートではイベントで使う装飾品の設置に職人達が右往左往している。

 その様子を見守りながら、人気のまばらな川沿いのベンチに腰かける二人の男女。

 女はレンジャーの制服を着て、足元には矢筒が置かれている。

 男は顔に包帯を巻き、ラフな服装でその場には似つかわしくない冒険家の小男だ。


「私の人生はね、今、絶好調なのよ」

「レンジャーズ・ユニオンの華で、特級弓士の資格も得て、まだ何かを望むのかい?」

「夢ができたのよ、この私にもね」

「夢見ることを鼻で笑ってた君が?」

「ウエストガルムの枢機卿の客員弓士として、絢爛豪華な生涯を全うする。それが私の夢」

「ずいぶんとまぁ……大きな夢だね」

「実は、枢機卿の使いからすでにオファーがあったわ。

 大貴族の殿方は、周りに私のような優秀な女をはべらせたいという欲求があるんでしょうね」

「そのために……人も殺すのかい」


 女はギロリと鋭い視線を隣に座る男へと向ける。

 感情のこもっていない表情だが、男は彼女の目に内なる狂気を感じ取っていた。


「そのために協力してくれる人は信じるし、邪魔なやつは確実に始末するわ」

「一段と怖くなったな、君は。

 あの頃は……もう少し情があったよ」

「女が一人で生きるには難しい世の中なのよ。

 ましてやスラム出身で、学も家柄もない女にはね」


 女――ビトリーは矢筒を肩にかけて立ち上がると、足早にベンチを離れていく。


「私はあんたを信じてるわ、サルカス。

 あんたに捨てられてから今日までの私の人生を想像すれば、罪悪感もひとしおでしょ?」


 ビトリーの姿が消える頃、サルカスは両手を固く握っていた。

 すでに覚悟は決めている。

 ずっと保留にしていた過去の苦い記憶……数年の時を経て掘り起こした自分の過去と、決別するための覚悟である。







 時計塔の鐘の音が合図となり、バザーイベントが幕を開けた。

 多くの客足に沸くリバーサイドストリートには露天商が立ち並び、ウエストガルム中から集まった人々でごった返している。

 子供や大人、冒険家や貴族など、多種多様な人間が入り混じる光景は、繁華街の多いウエストガルムでも珍しい。

 純粋に楽しむために来ている者や、欲望を満たそうとしている者など、様々な思惑を持つ者達が今この場に一堂に会しているのだ。

 そして、その雑多の中に、ある場所へと歩を進めるサルカスの姿があった。


「そろそろか……」


 サルカスは、街路から遠目に見える背の高い時計塔を見て、ひとりごちた。

 時計の針が正午を指す頃、ストリートの広場に用意されたイベント会場では、優秀な若者へのはなむけとして、勲章授与式が執り行われようとしていた。

 

「皆様、本日のメインイベント……未来ある若人達への勲章授与式がいよいよ始まります!」


 司会の男が告げると、広場に集まった観客達から一斉に歓声があがる。

 広場には小さなステージが運び込まれており、その上に数名の男女の姿があった。

 観客の歓声は、彼らに向けられたものだった。


「それではご紹介していきましょう!

 まずはレンジャーズ・ユニオンからはこのお二人――」


 司会者の合図と共に、二人の女性がステージの前に出る。

 観衆に満面の笑みで応える背の高い女性と、その隣で気恥ずかしそうに引きつった笑みを見せる小柄な少女。


「――昨年、特級弓士の資格を得たビトリー・スノードロップ!

 希少生物の保護という使命を全うし続けるレンジャーの鑑である彼女は、ユニオンでも一、二を争う実力者!!

 その評判が認められ、現在はユニコーン追跡隊で活躍中とのことです」


 ビトリーは観衆に手を振るさなか、その中に紛れているサルカスの姿をめざとく見つけていた。

 事前の打ち合わせでは、この授与式の最中にサルカスが約束を実行することになっている。


「続いて、成人後たったの一年! 破竹の勢いで準特級弓士の資格まで至った若干16歳!

 天才レンジャー少女、ポーリーン・レッドローズ!!

 その双眸は鷹の目にも劣らずと言われる彼女、すでに特級弓士の資格取得も確実と言われています」


 派手な紹介をされ、赤面してうつむくポーリーン。

 彼女にとっては晴れ舞台だが、あまりにも大仰な紹介に、穴があったら入りたい、という心境だった。


「次に紹介しますは、砂の都ゴライアより招致されました武器職人の青年!

 どんな魔物もぶっ殺せる最強の矛を目指して――」


 ステージの上で次々と勲章授与者の紹介が進められていく。

 そして、それぞれの模範演技が行われることとなった。


「では、まずはビトリー氏に特級弓士の実力を見せていただきましょう」


 ビトリーはステージ裏で矢筒を係員へと預け、矢を一本だけ持ってステージへと戻ってきた。

 そして、司会者より手渡された煌びやかな意匠が施された弓へと、その矢をつがえる。

 狙うはステージから観客達を挟んで90メートルほど先に立てられた小さな的。


「シュート!」


 ビトリーがつぶやくと同時に、その指先から矢が離れる。

 矢は一瞬にして観客の頭上を飛び越え、見事に的の中心をとらえた。


「す、素晴らしいっ! まさに絶技!!

 この距離、この観衆の中、完璧な演技を見せてくれました!」


 ビトリーの技に沸く観客の声援に応えながら、彼女はポーリーンの前に弓を差し出した。

 クールな表情のままのビトリーに対して、ポーリーンの顔は不安に彩られている。


「先輩……」

「大丈夫よ、式の前に約束したでしょ。

 この授与式を最後に、私はユニオンに自分の罪を告白する。

 ユニコーン追跡隊の私の後釜は、才気あるあなたに託すわ」

「先輩っ!」


 ビトリーの言葉を受けて不安が霧散し、ポーリーンは満面の笑みを浮かべた。

 弓を受け取った彼女は、先ほどとは打って変わって、喜びの顔で観衆の声援に応える。


「ビトリー様、先ほどお預かりした矢筒をお受け取りください」

「はいな」


 係員から矢筒を渡されるビトリー。

 それは演技の前に預けていた自分の矢筒だった。

 そして、ビトリーにしたのと同じように、係員はポーリーンからも矢筒を預かり、ステージ裏へと戻っていく。


 ――計画通り!


 一見涼し気に見えるビトリーの顔。その口元が、わずかに歪む。

 ポーリーンの矢筒の中にこそ、ビトリーにとってもっとも忌まわしい物が入っているからだ。

 矢筒は係員がステージ裏へと一時的に運び、ポーリーンの演技が終わるまでは誰の目にも止まらない場所へと放置される。その時間はほんの十数秒であろう。だが、それで十分だった。


 ポーリーンがステージから遠く離れた的に弓を向ける。

 会場の観衆も、ステージ上の勲章授与者達も、ステージ裏の係員達でさえも、彼女の一挙手一投足に注目し、釘付けとなる。

 このわずかな間、この世の誰からも存在を忘れられた矢筒に、たった一人だけ近づく者がいた。


「簡単すぎる仕事だな……ここまでは」


 誰に言うでもなくつぶやくと、その男――サルカスは矢筒の中から一本の矢を引き抜く。

 そして矢じりを取り外すと、別の矢じりを元のように取り付けた。

 そっと矢筒の中にその矢を戻した後、サルカスは音もなくその場を離れた。わずか数秒の出来事だった。


「素晴らしいっ!

 ポーリーン氏も、ビトリー氏と同じように的の中心を射抜きましたっ!!」


 司会者の感嘆した声と共に、広場に歓声が轟いたのは、サルカスがステージ裏から去った直後だった。

 ポーリーンの演技へ賛辞の拍手を送るビトリーは、その傍らでステージ裏の様子をうかがっていた。

 ステージ裏から係員が現れ、矢筒をポーリーンへと返す。

 受け取るやいなや、ポーリーンは矢筒の中を覗き込むが、何も変化がないとわかると安堵する。

 その表情を見て、ビトリーは晴れやかな気分になった。


 ――何も知らない子羊とは、どうしてこうも可愛く見えるのかしら。


 ビトリーはちらりと時計台の方へと視線を向ける。

 時計台のちょうど下には、観客の雑踏に混ざりながら、右手をあげている小男の姿があった。

 彼の手の中には小さな皮袋がある。それがすり替え成功の合図だった。


 ――これで、何の躊躇いもなくお前を射れるよ。


 ビトリーは全身にゾクゾクとした感情の高まりを感じ、その身を抱いた。

 高揚感は留まることを知らず、声援に応えるビトリーの笑顔を初めて愛しいとすら思った。

 殺したいほど憎いやつ。それがまた目の前に一人現れたのだ。

 ビトリーが人間を殺す時は常にその感情が心を支配し、自分の手で殺した暁には、必ずオーガズムに達していた。


「今夜は気持ちよく寝られそう」


 勲章授与式も終わり、バザーイベントは終幕へと近づく。

 ビトリーは狩りで使っている自分の弓を愛おしそうに撫でながら、時計塔の針を見入る。

 もう待ち切れない。今にも爆発しそうな破壊衝動を抑えながら……。







 狩りの時間が始まる――

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