第九幕 殺し屋の足音(1)

 サルカスと別れた後、バスタは数日かけて都の闇市を転々としていた。

 目的は筋弛緩剤の入手と、ユニコーン捕獲用トラップを造るための道具集めである。


「ダースで買うから、もう少し安くならねぇの?」

「ダメだね。帝都の最先端医療の横流し品だよ。

 そんな値じゃとても売れないね!」


 露天商に邪険にされ、苦虫を噛み潰したような顔で店から立ち去る。

 闇市では、希少なコレクター品から非合法な品物まで何でも手に入るが、価値あるものはその価値を下回る値段で手に入れることが難しい。

 人の生死に関わるようなものは尚更である。


「薬が手に入らなきゃ、ユニコーンを生け捕りにするのはまず無理だな……」


 目的の薬品を扱う露店はいくつも回ったが、すべての店で交渉に失敗しており、バスタは頭を悩ませていた。

 軍資金もこれ以上は用意できない。

 バスタは過去のトラブルが災いして、金貸しにも借金ができない身だ。別の仕事をこなす時間もない以上、なんとか予算内で必要なものを揃えなければならなかった。


「夜風が身に染みらぁ」


 人気のない街路。不気味な音を奏でる風が、バスタの背中に吹きつける。

 今宵は満月の出る静かな夜……街路灯のひとつもない真っ暗な道も、月明りを頼りにすれば、意外とまっすぐ歩けるものだ。

 バスタはこの日の露店めぐりを諦め、すでに宿への帰路についていた。


「……?」


 それは、ふと湧いた違和感だった。

 初めは気にするほどのものでもなかったが、バスタは自分の足音に違和感を覚えていた。

 道を歩く足音は自分一人のものしかない。

 歩みを止めれば、足音は消え、夜の静寂が流れるのみ。

 しかし、歩き始めると再び違和感を覚える。

 違和感の正体――それは、自分が歩いている時の足音がふたつ感じられることだった。まるで自分の歩調に合わせて、誰かが後をつけてくるような。

 ビュウ、と強い追い風が吹き、バスタは胸騒ぎを覚えて背後に振り返った。


「誰だ」


 そこには、真っ黒い影がたたずんでいた。

 ほんの数メートル先――月明りを頼りに、かろうじて目に見えるその影に対して、バスタは肌が泡立つのを感じた。

 刺すような殺気を向けるそれは、明らかに危険な存在だ。


「殺し屋のお約束みたいな現れ方しやがって。

 まさか、マジで俺を殺しに来たのか?」


 影は答えず、しかしその殺気は雄弁と語る。


 ――お前を殺す。


 バスタがツーハンデッドソードの柄を掴むのと同時に、影は動いた。

 音もなく視界から消えた影は、次の瞬間、バスタの背後から襲いかかってきた。


「う、おおおおおっ!!」


 耳をつんざく金属音が夜の街に鳴り響く。

 間一髪、ツーハンデッドソードの広い刀身で、影が繰り出した刃を受け止めたのだ。一瞬でも遅れていれば、喉元を裂かれていただろう。

 バスタが一呼吸おいた時には、銀色に鈍く光る刀身は闇夜の暗がりへと消えてしまっていた。


「マジで殺し屋かよ!

 心当たりが多すぎらぁっ!!」


 バスタは今の攻防で、相手の得物を把握した。

 どうやら短剣程度の小さなサイズの刃物を使っているらしい。

 しかも、それが音もなく高速で自分に迫ってくるのだ。

 明らかに素人ではない。殺しに卓越した技術を持つ、闇に類する人間の所業に違いなかった。


「正面から堂々と……ってわけには、いかねぇか」


 流れ落ちる汗を拭うこともせず、周囲に細心の注意を払う。

 一瞬の油断が確実に死を招く。

 そういう手合いであることは、すでに身をもって認識していた。


 コロン、と小石が転がる音が鳴る。

 とっさに音のする方に顔を向けたバスタは、その瞬間に激しい悔恨に駆られた。


「ぐあっ!!」


 背中に強烈な熱が生じる。斬り付けられたのだ。

 背後へと力任せにツーハンデッドソードを振り切ったものの、むなしく空を斬るだけで手応えはない。

 しかしその一瞬、軽快なステップで闇へと消える影が目に入った。


 このままではまずい。

 状況を打破するため、バスタは灯りがある場所へと走った。

 彼が駆け出すのに合わせて、闇に同化していた影も路上を疾走する。


「ついてきやがる。

 俺をどうあっても逃がさないつもりだな」


 バスタが足を止めたのは、都を横断するガルム小川に架かる小橋の上だった。

 橋の欄干にはふたつの街路灯が備え付けられており、煌々と小橋の周囲を照らしている。この場所でなら、うかつに相手も手を出せまい。

 バスタは息を整え、前後にいつでもツーハンデッドソードを繰り出せるように身構えた。


「どこからでも、かかってきやがれ!」


 勇んだ直後、頭上でガラスが割れる音が響き渡る。

 街路灯のランプがふたつとも、瞬時に破壊されたのだ。

 周囲を照らす灯りは消え、バスタの頭上にガラスの破片が降り注いでくる。


「何だとぉ!?」


 反射的に降り注ぐ破片を振り払ったバスタは、剣を振り回せる体勢ではなくなっていた。

 先ほどの小石といい、明らかにバスタの油断を誘うための計算された行動だった。


「死ね」


 小さく低い声が、バスタの耳音に届く。

 その刹那、バスタの肩からは血飛沫があがった。

 一手遅れて、ツーハンデッドソードの剣閃が空を斬る。


「お、お前が……!」


 二太刀斬られて、ようやくバスタは自分を襲う影の姿を視界にとらえた。

 橋の欄干にたたずむ細長い影――黒い装束に身を包み、闇と同化しているその影は、体のラインから察するに女である。

 手には銀色の短刀が握られており、刃から鮮血が滴り落ちている。

 その時になって、ようやくバスタは女が放つ殺気に覚えのあることを思い出した。


「その殺気。それにさっきの声も聞き覚えがある。

 お前は――」


 数日前に訪れた娼館――白面金毛女楽にて、ディナエとのいさかいの際に自分へと向けられた殺気と声に違いなかった。


「娼館の首切り鬼が、こんなところで何してる!?」


 女は無言のまま、バスタを見下ろしている。動く気配はない。

 一方で、バスタは全身から脂汗が溢れ出てきて一向に止まらない。


「彼女を連れ出した――」


 女が口を開く。


「――ぬしは、万死に値しなんす。

 わっちの刃の錆となり、裁きを受けるがよい」

「裁きだと……何様だお前は!

 殺し屋の真似事までしやがって!!」


 激情に任せて女を斬り払おうとした時、全身を激しい倦怠感が襲った。

 ぐらりと体が傾き、膝をつくことでかろうじて転倒を免れる。

 指先には力が入らず、ツーハンデッドソードを握ることすらもままならない。


「な、に、を、した……」

「すでにぬしは死んだも同然」


 女に斬られた二か所の傷が異様に熱い。

 致命傷ではないにも関わらず、こんな状況に陥る原因はひとつしかない。


「毒、か……!」


 女は欄干から飛び降りると、身動きの取れないバスタの前まで平然と歩いてくる。

 夜目がきいてきたバスタは、暗がりの中でも女の顔がわずかながら見えるようになっていた。

 口元を覆うようにマスクをしており、その表情まではうかがえないが、氷のように冷たい目が自分を見下ろしているのはわかった。


「日の下の残酷な仕打ちから、わっちが守らねばなりんせん。

 ぬしのもとに置いておくなど許されぬ」

「何を、言って、いやがる……」


 女は銀色の刃を振り上げた。

 武器を握る力さえ失われたバスタには、もはやそれを防ぐ手立てはない――そう思って姿を現したことが、たったひとつの女の誤算であろう。


「詰めが、甘ぇよ!」


 バスタはわずかに残った力を振り絞り、女に向かって突進した。

 女は予想外の反撃に目を見開き、後方へステップして体当たりを避けようとする。

 が、バスタの狙いは別にあった。


「だから、詰めが甘いって言ったろ」


 そのまま欄干を乗り越え、バスタは川へと落ちていった。

 女はすぐさま欄干から身を乗り出し、胸元から取り出した小さな両刃の剣でバスタを狙おうとしたが、すぐに彼の体は川の流れにさらわれてしまう。


「くっ……!」


 橋の下を流れるガルム小川は支流であり、本流と合流した後、すぐにまたいくつもの支流へと分かれてしまう。

 バスタが川に飛び込んだ時点で、彼の追跡は不可能だった。

 追跡を諦めた女は再び夜の闇に同化し、その姿を消す。

 橋の上には、まばらに飛び散る血痕と、主を失ったツーハンデッドソードのみが取り残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る