第七幕 処女のいない街(4)

 建物と建物の間から、日が顔を出し始めた頃――

 人気がまばらになった白面金毛女楽の入り口では、バスタとサルカスが数時間ぶりに合流していた。


「なんだよ、バスタくん。顔色悪いぜ。

 俺を差し置いて高級娼婦を抱いたんだから、もっといい顔しなよ。

 それとも、張り切りすぎちまったのかい」

「……高嶺の花だった」

「なんだ、口説き損ねたってことか?

 やっぱりユニコーンに乗ってくれるような女性は、処女も非処女もそうそう見つかるもんじゃないねぇ」

「いや、口説くのはこれからだ。

 予定通り、ディンプナを味方に引き込む」


 バスタはサルカスを連れて建物の裏側へと回った。

 ディナエの話通り、裏手の広場には大きな馬小屋があった。

 貴族達が乗ってきたであろう豪勢な荷馬車が、何台も置いてある。

 馬も見るからに精悍な顔つきをしており、血統証付きのさぞや良い馬なのだろう。


「ディンプナって娼婦じゃなかったのかい。

 こんなところにいるのは、馬番の小間使いぐらいじゃないの?」


 サルカスが不審がっていると、馬小屋の中から、安物の着物を着た小柄な女が出てきた。

 真っ黒な髪は手入れをされた様子もなくボサボサで、前後ともにうなじまで伸びる髪は、顔をほとんど覆い隠している。

 猫背で両手に水の入ったバケツを持っている彼女は、一見、不気味にも見える。


「え、あの子がディンプナ?

 ディンプナって娼婦じゃ――」


 サルカスの疑問に返答することなく、バスタは彼女に駆け寄った。


「お前がディンプナだな?」


 声をかけられた女は、突然のことにきょとんとした顔で男を見上げた。

 そして、しばらく考えた後、答えた。


「はい」


 ディンプナと認めた彼女を訝しむサルカスに対して、バスタはすぐさま次の質問を投げかける。


「ここから出たいそうだが、本当か?」

「……」

「俺の計画に協力してくれれば、礼をする。

 ここを出て、当分は不自由なく暮らせる額は渡せるはずだ。

 どうする?」

「…………」

「いつまで考えてんだ。

 早く答えてくれ、馬番が来たら面倒だ」

「……………はい」

「ん?」

「はい」

「それは、俺の計画に協力してくれるってことか?」

「……」

「おい」

「…………」

「……ここから出たいのは本当か、ってことへの返事か?」

「はい」


 バスタとサルカスは顔を見合わせる。

 なるほど、こういう手合いか……バスタは少し気が重くなった。


「こりゃ俺達のことや計画を理解させるのも一苦労だな」

「と言うか、この女がディンプナ?

 俺はてっきり娼婦だとばかり思っていたけど」

「こいつがディンプナだよ。

 中で娼婦から聞いたんだが、こう見えて……信じられないが……相当腕が立つらしい」

「腕が立つってのは、戦闘において、ってことで合ってるよな?」

「そのはずだが……」

「おいおい、信じられないって!」


 サルカスはそう言うと、バスタを押しのけて彼女の前でファイティングポーズをとる。

 ディンプナは状況がわかっているのか、目の前の小男を見て首をかしげた。


「おい、何する気だよサルカス」

「この女がディンプナだってんなら、それでいい。

 だけど、腕が立つってのが信じられないね!

 クロエの姉御をスカウトした手前、戦えない女を連れていったらボコられちまう」


 サルカスはチョイチョイと指を動かして、ディンプナを挑発する。

 かかってこい、すでに戦いが始まっているぜ、の合図だ。


「ほら、腕試ししてやるから来なよ!

 身のこなしくらいは素早くないと、ユニコーンを追うなんて夢のまた夢だぜ」

「……戦う?」

「そうだよ。

 お前が普通の女じゃないのなら、少しは俺を驚かせてみろ!」


 ディンプナは大きく頷くと、顔を覆っていた黒髪を両手で払う。

 髪の下から見えたのは、ギョロリとした相貌と、鼻や唇が焼け爛れた醜い顔だった。彼女が顔を隠すのはその素顔ゆえのことなのだろう。


「……醜女だから、小間使いをさせられてるらしい。

 客商売とは言え、世知辛いな」


 ディンプナの素顔を見て、バスタからは率直な感想が口から洩れた。

 一方、バスタは一瞬戸惑ったものの、すぐに冷静さを取り戻して臨戦態勢を取っている。隙はない。


「ほら、かかって来い!」

「はい」


 言った瞬間、ディンプナは足で地面を蹴り、空中で小柄な体を大きくひねった。

 次の瞬間、風を切る勢いで、鋭い回し蹴りがサルカスの顔面に突き刺さる。身長差がほとんどないため、彼女のかかとは見事にサルカスの眉間をとらえていた。

 その一撃でサルカスはよろめき、ディンプナの姿を再び視界にとらえた時には――


「ぐほぉっ!!」


 強烈な肘打ちをみぞおちに受け、前かがみに跪いた。

 内臓が痙攣し、昨晩食べたものを戻しそうなのを必死に堪えながら、サルカスは第三撃――掌底を顎に受け、ゴロゴロと数メートルあまり転がっていった。


「マジかよ」


 その様子を一部始終見ていたバスタは、素手の勝負とは言え、あっさりと昏倒した相棒の姿を見て驚愕した。

 それ以前にこのディンプナという女、体のキレが半端ではない。

 格闘技の経験がある、というレベルでは到底収まらないほどの卓越した技量だ。


「……あなたも?」

「待て! お前の力は十分にわかった!!」


 ほんの数秒前まで無表情だった女の顔は、まるでオモチャを買い与えられた子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。

 ギョロリとこちらを見る相貌は、蛙を睨む蛇の如き禍々しい圧力を感じさせる。

 その素性は不明ながら、ただの娼館の小間使いではないことは明白だった。


「私、あなたの計画、協力する」

「あ、ああ……。よろしく頼むぜ」

「名前」

「俺はバスタ。あそこで転がってるのはサルカスだ」

「バス……大きい人。サル……小さい人」

「ああ。まぁ、間違っていないからそれでいいよ」


 サルカスが目を覚ましたのは、その日の夕方だった。

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