第六幕 処女のいない街(3)

 床の間での熱い夜が明け、空が白んできた頃――


「湯浴みはいかがしなんすか、ぬしさん」


 黄色い目の女が白い肌を露わにしたまま、横に寝る男に尋ねる。


「それも楽しみなんだがね。

 ひとつ、君に外での仕事を頼みたいんだが」

「……わっちは、ここでの仕事に誇りがありんす。

 場所を問わず股を開くようなけちなことはできんせん」

「噂は聞いてるぜ、ディナエ。

 あんた、トコだけじゃなくタテも強いんだってな――」


 バスタは自身の計画について――彼女にユニコーンの背に乗ってほしいことを打ち明ける。

 が、即答で拒否された。にべもない。


「あなた、正気なの?

 ユニコーンに乗れだなんて、そんな馬鹿なことを言うために私を買ったわけ?」

「……なんか雰囲気変わったな」

「まともな客じゃないことがわかったから、こっちも演技を続けるのをやめにしたの。

 冒険家なんですって? こんな場所でまで、野暮な連中なのね」


 ディナエは露骨に不愉快そうな顔を見せる。

 客として出迎えてくれた時とはまったく印象が変わってしまった。

 しかし、そんな状態でも美人は美人である。


「なぁ、考え直してくれないか。

 ユニコーンを捕まえるのに少し手伝ってくれればいい。

 仲間には他に女もいるし……」

「ユニコーンって聖獣でしょう。それを捕まえるですって。

 血を飲んで不老不死にでもなる? それとも大病を患う家族でもいるの?」


 ディナエの棘のある言葉にバスタは頭を抱えた。

 どうも嫌われたようで、しかも金を払ってどうにかなる女でもないらしい。

 だが、このまますんなりと引き下がるつもりもない。


「まぁ、目的は単純に好奇心を満たすためなんだが……。

 頼むよ。タテが強いっていうあんたがいれば、俺の計画も成功率が上がるんだ!」

「待って、タテが強いってどういうことよ。

 私、そんな粗暴な女じゃないわ!」

「信頼できる情報筋から聞いてるんだ。

 あんた本当の顔は、俺に近い仕事をしてたんじゃないのか!?」


 バスタの剣幕に思わず後ずさるディナエ。

 彼女の細腕を掴み、バスタはさらに凄む。


「ユニコーンは闇市に売り払えば相当の金になる!

 その金があれば、あんたもこんなところに身をやつすことなんて――」


 バスタの口上が止まる。

 喉元に違和感があったためだ。


「……!?」


 ひやりとする冷たい感触。

 部屋の中へとわずかに注ぐ日の光で、それが何かわかった。

 バスタの喉元には、銀色に輝く刀身が触れていたのだ。

 普段は慣れ親しんだ刃物の感触が、今、自分の命に届く場所に触れている。

 事態を理解したバスタは、全身に一気に汗が噴き出した。


「これ以上の野暮は慎みなんし。

 でなけりゃその首、いただくもいとわず」


 小さく低い声が、バスタの耳元でささやかれる。

 それを聞いて女の声だとわかった。


「な、何者だ……。俺をどうするつもりだ……!?」


 背後から突き刺さるように放たれる殺気に、バスタはまるで金縛りにあったように身動きが取れない。振り返ることすらできない。

 ここまで圧倒的な殺意の気をあてられたのは初めてだった。


「わっちのことはよい。

 ぬしさんが何も言わずに湯浴みに行けば、すべて丸く収まる。

 行かねば、日の下には帰れんせん」

「何ぃ!?」


 女の言うことに疑いはない。

 多くは口にしなくとも、殺気が雄弁に語っている。


「……わかった。

 もうさっきの話はしない。湯浴みの後は、さっさと帰るよ」


 やや間をあけて、喉元の刃が引いた。

 背中を突き刺すように向けられた殺気も消え、バスタはゆっくりと後ろに振り返る。

 が、そこには人の姿などなかった。


「わかったかい?

 この建物の中で、オイタはできないのさ」

「娼館にも首狩り鬼が出るとは知らなかった。

 なんだ、今のは……?」

「白面金毛女楽は貴族が主な相手だけどね。

 貴族って言ったって、聖人君子なんてのはいないのさ。

 あんたみたいな粗相をするお客には、今みたいに助け舟が出されるんだよ」

「客をたしなめる役がいるのはいいが、いきなりあれはやりすぎ――」


 そこまで言って、バスタは天井を見上げて絶句した。


「……ちょっと待て!

 てことは、ああいうやつが常に部屋を覗いてんのか……!?」

「ほんと、野暮な男だねぇ。監視と言いなよ」


 背筋に鳥肌が立つのと同時に、バスタは気持ちがすっかり萎えてしまった。

 本心では湯浴みも楽しみにしていたのだが、さっさと服を着て一刻も早くこの建物を出たいという気持ちに駆られる。

 いそいそと衣服を着るバスタを横目に、黄色い目の女は火をつけたキセルをくわえて一服し始めた。


「あんた、腕の立つ女を捜しているようだけど」

「ああ。だが、諦めるよ。

 まさか虎の巣の中だとは思わなかったからな」

「うちで小間使いとしてこき使われてる子がいてね。

 元は、ここのローシュが東の国から連れてきた奴隷子の一人らしいんだけど、やたら喧嘩が強いんだよ。

 あの子もここを出たがっていたし、金さえ払うなら、どんな馬鹿なことでも従ってくれるかもしれないね」

「……ぜひ、その子を紹介してもらいたいね。

 あんたには口止め料も出すよ」

「悪い男。そういうとこは私好みかもね――」


 黄色い目の女は、ふうっと煙を噴き出すと、続ける。


「――小間使いの中に、髪も手入れせずにボサボサで小汚いのがいるんだ。

 顔が傷物の醜女でね、頭もあまり働かない子さ。

 ローシュも扱いに困った子だから、あんたが口八丁で連れ出しても、騒ぎにはならないと思うよ」

「どこにでも、必要とされない子はいるもんだな……。

 それと大事なことだから聞いておきたいんだが、その女は非処女だよな?」

「はぁ?」

「だから、その女は男に抱かれた経験はあるんだよな?」

「……処女がいいって男は聞くけれど、非処女?

 あんた、なんでそんなことにこだわるの」

「いろいろわけがあってな……」

「処女じゃないわよ。

 こんな場所で働いているんだから、そういうのは済ませてあるもんよ」

「そうか、ならよかった。で、その女はどこにいる?」

「この時間なら、裏の馬小屋にいるんじゃない。

 馬の世話があの子の役割だから」


 女が喋り終える頃には、バスタは服を着終えていた。

 懐から、宝石のついた十字架を女の足元に放り投げる。


「これは?」

「謝礼さ。口止め料ってことで受け取ってくれ。

 最後にその女の名前を教えてほしい」

「ディンプナっていうんだけど」


 その名を聞いて、バスタは一瞬呆気にとられた後、自嘲気味に笑った。


「その名前の女、もしかしたら俺に不運をもたらす類かもな」

「……ほんとに湯浴みはいいの?

 この都の殿方は、それを目当てに来るのにさ」

「俺の好奇心が満たせたら、湯浴みのためにまた来てやるさ。

 その時は、またあんたを指名してやるよ」

「また来るのはいいけどさ、二度と妙な真似はしないでおくれよ。

 天井裏では、あたし達を見守る者がいることをお忘れなく」

「あんな記憶は忘れたいぜ。

 それと最後くらいそれっぽく送り出してくれよ」


 女はキセルを置いて、丁寧な姿勢で座り直すと、ゆっくりとお辞儀をした。


「またの御尊来、賜りますよう。

 わっちも、ぬしさんをお待ちしていんす」

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