第五幕 処女のいない街(2)

 目的地の娼館――白面金毛女楽。

 娼館はある程度密集して並んでいることが多いが、その店だけは違った。

 すぐ近くに貴族のサロンもあるような大通りに面した一等地に、堂々と店が構えられているのだ。


 夜の暗みは深まり、店の周りにはランプが煌々と輝いている。

 店の外観は、この国の人間にはやや異質に映るような独特なもので、東の島国の様式を取り入れていると言う。

 店の入り口を照らすランプの造形も変わっており、ぷっくり太った筒状の丸い形をしている。紙でこしらえられたそのランプは、この娼館のみが特注で用意した代物だ。


「いらっしゃいまし。

 今夜も、殿方の皆さまに熱い夜をお約束しなんす」


 店の前で、道行く男に声をかける女達もまた、バスタやサルカスのよく見知る姿と異なっていた。女達は皆、赤い髪留めで黒髪を結い、金色の着物を着て、顔が真っ白になるほどの化粧をしている。

 妖しく煌びやかな灯りのともる娼館の前で、男達がその声色に魅了され、次々と店ののれんをくぐっていく。

 夜の暗みと、ランプの灯りは、女の美しさを引き立てていた。


「なるほど。白面金毛、ねぇ……」

「なるほど。いかにも庶民には高嶺の花って感じだ」


 バスタもサルカスも、店の外観や女達の姿に十分すぎる高級感を抱いたが、それ以上に自分の知る娼館のイメージとあまりにかけ離れている様子を垣間見て、呆気に取られてしまっていた。

 その場所だけ、まったく景観が違う。まるで別世界に入り込んだようだ。


「そこの殿方お二人、今夜はうちでお休みするのはいかがでありんす」


 女の一人が、白い顔に笑みをたたえて、棒立ちしている二人の男に近づいてくる。


「……え? ああ。

 えぇと、まずは女の子を見てぇなぁ」

「そうざんすか。それでは、まいりんしょう」


 女は二人の男の手を取って、店へと引っ張って行く。

 それは、剣や斧を日々握っている女とは違う、柔らかい手だった。


「相棒。今日はこの店で楽しみたいと思わないか」

「それは同意なんだけどね。

 賭博場で稼いだ金は、ほとんどマダムのところに置いてきちまったよ」

「くそっ!

 あのババアに無駄金を払いすぎたかっ!!」


 突然、声を荒げたバスタにびっくりして、女が訝しそうな目を向ける。


「ぬしさん、どうかしんした?」

「いや、なんでも」

「昼間の疲れを癒すのが、わっちら女の仕事でありんす。

 今宵は楽しんでいきなんし」


 入り口を照らすランプは、近くに来てなおさら妖しく煌めいている。

 女に手を引かれるまま、二人はランプの脇を通り抜けると、甘いお香の匂いが漂う店内へと足を踏み入れた。

 店内には廊下の道伝いに燭台が並べられ、木造りの屋内を照らしている。


「二名、入りんした」


 女は店の窓口まで二人を連れてくると、年配の女性に声をかけた。

 マダム・ストレアと同じくらいの年齢であろうが、雰囲気はまったく違う。

 物腰の柔らかそうな、か弱いながらも品のあるたたずまいのその女性に、二人の男はらしくもなくかしこまっていた。


「ようこそ、白面金毛女楽へ。

 初めての御尊来(ごそんらい)で、さぞ戸惑っておいででしょう。

 他店と異なるところが少々ございますが、身の回りのお世話は女達がすべて行いますので、ご心配なく。

 私は、白面金毛女楽のローシュでございます。

 受付をいたしますので、どうぞこちらへ」


 ローシュと名乗った女は、二人を待合室へと案内する。


「冒険家の方がいらっしゃるのは珍しいですわ。

 今夜だけは、お二人の武器をお預かりいたしますが、どうかご心配なく。

 当店の倉庫番は優秀で――」

「ディンプナって女を指名したいんだが」


 ローシュの説明を遮り、バスタが指名したい女の名を告げた。


「ディンプナ?……でございますか。

 あの子は小間使いで、娼婦ではありませぬが……」

「え?」

「ですので、今宵の伽を務める女はそちらの部屋にいる者からお選びください」


 そう言うと、ローシュは隣の部屋を指さす。

 木製の格子窓で区切られた先にある部屋では、娼婦達が談笑している姿が見える。

 そこは娼婦達が客への顔見せをする場所だった。

 ご丁寧に、格子の前には女達の肖像画と値札までもが張り出されていた。


「俺はディンプナが人気だと聞いてきたんだが……」


 バスタは諦めずに食い下がる。

 ディンプナという名前だけが頼りである以上、ここで食い下がらなければ、目的の人物とは会えそうにない。


「ああ! もしかしますと、ディナエのことでしょうか。

 たしかにディナエは当店でも五本の指に入るほどの人気です」

「ディ……ディン……ナエ……。

 そうなのか? そっちの名前が正しいのか?」

「幸いにも、ディナエは今から部屋に入りますが……。

 ぬし様さえよろしければ、特別にディナエに夜伽を務めさせましょう」

「いいのか? なら、ぜひ頼みたいな」

「かしこまりました。

 その代わり、今後ともうちをご贔屓に」


 ローシュは頭を垂れると、格子窓の戸をくぐろうとしていた女に話しかける。

 その女がディナエなのだろう。

 五本の指に入ると言われるだけあって、髪留めも着物も、格子窓の奥にいる女達よりもいっそう煌びやかな装いをしている。


「サルカス。悪いけどお前の金を貸してくれ」

「ええっ!?」

「トップ5に数えられる女を指名するんだぜ。

 さすがに手持ちじゃ足りねぇよ」

「貸すのはかまわないけどさ、そうすると俺が女を買えないんだけど……」

「倍にして返すからよ!

 そもそもここで金を払えなきゃ、目的を果たせないだろ」

「はぁ……」


 バスタはサルカスから残りの金をすべて受け取ると、自分の有り金と合わせて受付嬢に手渡した。彼女が金勘定を終えるやいなや、バスタは受付の先へと通される。

 ツーハンデッドソードは倉庫番の男へと預けられ、バスタは肩が軽くなった心地で案内役の女につれられ、二階へと続く階段を上がって行った。

 後には、受付にポツンとたたずむサルカスだけが残った。







 木の匂いがわずかに漂う通路を、案内役の女の後ろについて歩いていくバスタ。

 狭い廊下には道すがら燭台が点々と置かれており、左右には障子戸が並んでいた。

 障子戸の奥には部屋があるらしく、暗い中で蝋燭のわずかな灯りに照らされながら、男女の入り混じった吐息が聞こえてくる。


「男と女の絡み合う音は、ようござんしょ?

 ディナエ様は、ぬし様を十分満足させてさしあげることができましょう。

 ああ。ご心配されなくとも、ディナエ様のお部屋では他の殿方に声を聞かれることなどありませぬ。

 ご存分にお乱れなさいませ」

「言っちゃなんだが、別世界みたいで居心地が悪いぜ」

「お加減もすぐに良くなりますよ。

 空が白むまで楽しまれた後は、湯浴みもございます。

 湯浴みは、白面金毛女楽の名物ですので、ご期待くださいませ」


 道中、バスタは柄にもなく高揚してくるのがわかった。まるで冒険のさなか、獲物を目の前にした時のような期待感が押し寄せてくる気持ちだ。

 娼館でこんな気分になったのはいつ以来か……そう考えるうちに、女の足が止まった。


「着いたのか?」


 女は口を開かず、動作だけで示した。

 廊下に膝を下ろすと、そっと障子戸を開き、バスタを中へといざなう。

 バスタが部屋に入ると、障子戸は音もなく閉じた。

 そして、バスタは感嘆する。

 床は畳、壁は障子戸という、見慣れない光景の部屋だが、紙で出来た芸術的なランプが、殺風景にも見える部屋に妖艶な雰囲気を醸し出している。

 部屋には薄甘いお香の匂いが充満し、未知の空間での高揚感も相まって、まさに別世界に迷い込んだ心地だった。


「いらっしゃいまし。

 今宵は、このディナエがぬしさんのお相手を務めさせていただきんす」


 彼を迎えたのは、白い顔で瑞々しい艶の黒髪、そして絢爛豪華な金色の着物をまとう華やかな美女だった。

 その姿は、やはり待合室でローシュが話しかけていた女だったが、この部屋で見る彼女の雰囲気はまるで違った。

 匂いと色の魔力的な効果なのか、妖艶な魅力に心乱されてままならない。

 美女の双眸は、薄暗い部屋の中で黄色く輝いているように見える。まるで猫のようだ。


「なるほど、たしかに。他の店とはモノが違うってわけだ」

「殿方を悦ばせる技も、他より多くを心得てありんす」


 彼女は火照った顔で着物をはだけさせ、白い胸元をさらけ出す。

 夜の帳(とばり)は月明りも遮り、暗闇の中でバスタは白い肌の女を――抱いた。

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