第三幕 赤か、黒か(2)
バスタとクロエがテーブルに着いてから、数刻が経つ頃。
ダンッと、テーブルを叩くクロエの姿があった。
「お客様、他のお客様のご迷惑なのでそういったことは……」
「そうそう。他のお客様にご迷惑だぜ。クロエさんよ?」
「ぐぐっ……!」
テーブルのプレイヤーは二人だけ。その二人のうち、負けがかさんでいるのはどちらか、誰の目から見ても明らかだった。
たまに勝つバスタに対して、クロエは負けが続き、すでに彼女の資金は許容量をオーバーしていた。これ以上負け越せば、まともな形では賭博場を出られない。
普段のクロエならば、どんなに調子が悪くてもここまで負け越すことはなかった。
原因は、同じテーブルにいるバスタに対する敵がい心のためである。
今の彼女は、苛立ちと焦燥感で普段とは程遠い精神状態にあった。まったくもって、冷静ではない。
「くそ……!」
「お、お客様……ゲームを続けられますか?」
「当たり前だ!」
すでにバスタはチップをベットし終わっていた。大量のチップを、強気の3目賭けである。
一方、クロエは今回もあえてバスタの賭けた番号を避けてベットする。
「賭けたい番号があるなら、素直に賭けりゃいいじゃないか。
妙なこと考えてるから、いつもの勘が冴えないんだよ」
「う、うるさい!」
クロエがベットを終える。残りわずかなチップを半分、4目賭け。
「なぁ、クロエ。
俺が邪魔だってんなら、俺はこれを最後のゲームにしてやるよ。
ただし、俺からの賭けに乗ってくれればな」
「はぁ? あんたとの賭け?」
「そう。賭博場とは関係のない、俺とお前だけの賭けだ。
乗るかい?」
「てめぇの頼みは断った」
「その話はもう終わってる。
俺とお前の賭けってのは、互いの得物を賭けること。
ここにはねぇが、受付に預けてあるお互いの得物のことだ」
「何言って……?」
「俺のツーハンデッドソードと、お前のハルバード。
このゲームで勝った方にそれを譲る!
なかなかスリリングな賭けじゃねぇか?」
「はぁ!?
仕事道具を賭けの対象にしろってのか!?
頭おかしいんじゃないのか!」
さすがのクロエも取り乱す。
負けが込んだ今、さらには冒険家にとって命の次に大事な武器を手放すような賭けなど、まともな神経をしていれば承諾しないだろう。
しかしそれは、いつもの冷静なクロエであればこそ、の話である。
「逃げてもいいんだぜ。
男はこういう命がけの勝負には燃えるんだが、お前は……女だしなぁ?」
後ろで黙って見ていたサルカスの顔が青ざめる。
その言葉がクロエにとってタブーだと言うことは、ウエストガルムで彼女を知る冒険家ならば誰もが肝に銘じていることだからだ。
表情に殺意の影を覗かせたクロエが、ゆらりと立ち上がる。
戦場で狩るべき獲物を見据える時と同じ、殺す覚悟を含んだ冷徹な眼光を、バスタに向けながら――
「いいぜ、バスタ。
乗ってやるよ、お前の賭けに」
「いいね。それでこそ、黒い血のクロエ!
今のお前は、その二つ名にぴったりの顔をしているぜ」
「冒険家にとって、武器は身を守る重要な道具だ。
それを手放した時にはてめぇ、覚悟はできてるんだろうな」
「お前に喧嘩ふっかけてんだ。
こっちもマジなんだよ、クソ女。さっさと座れよ」
静観するサルカスだけでなく、ディーラーや、テーブルを監視する警備員までも、二人の間の異様な空気に固唾を呑む。
その異様さは、他のテーブルでゲームに興じる無関係の客にまで浸透し始め、たった二人のプレイヤ―だけのテーブルに注目が集まりつつあった。
そして、賭博場には、少なくともクロエを取り押さえられるような人間はいない。
「ベットはやり直しだ――」
クロエは4目賭けを取り消し、手持ちのチップをすべてREDにベットした。
「――正真正銘の最後の勝負。
冒険家の得物を賭けるってんなら、この身を賭けるも同然だ。
もちろん乗るよな、パスタ野郎?」
「いいね!
こういうスリリングなゲームは最高だ――」
クロエに合わせて、バスタもすべてのチップをBLACKにベットし直す。
「――勝負してやるぜ!!」
大勝負の気配を感じ取り、他のテーブルから人が集まり始める。
ギャンブルの勝ち負けだけではなく、冒険家のプライドを賭けた勝負。
滅多に見られないシチュエーションに、ギャラリーも燃えないわけがない。
「おい」
「は、はいっ!?」
「回せ」
「ひゃ、ひゃい……」
クロエの狼のような眼光を受けて、怯える子羊のように身を震わせるディーラー。
しかし、そこはプロである。
息を整えると、冷静さを取り戻した彼女は、冷めた表情で回転盤に球を投げ入れる――これが最後の一投。
その場の誰もが、回転盤を転がる球を見据えながら、勝負の行方を見守る。
赤(クロエ)か、黒(バスタ)か。
そのどちらに球が落ちるかで、決着がつく。
あるいは、二人のベットの対象外「緑の0番」に落ちるという、壮大な茶番に終わるのか――
「こい。こい、赤!」
「いいや、黒だね。黒に来る!」
そして、球が落ちた色は――
クロエは、賭博場の前でハルバードを手にしていた。
正面にいるバスタを睨め付けながら、不快そうな顔を隠そうともせず。
「今言った通り、ハルバードと交換条件だ。
そいつを返す代わりに、ユニコーンの捕獲に協力してほしい」
「あたしは、絶対に乗らねぇぞ」
「その話は終わったって言ったろ。
今は単純に、お前の力を借りたいだけだ。
それもたった一度きりで、ユニコーンを捕まえた後に稼げた金はお前に半額やるって言ってんだ」
「あんたの言うことに従うのは癪に障るが……あたしも一度吐いた唾を飲み込むつもりはない。
非常に気に食わないが、今回ばかりはあんた達に協力してやる」
「よし。それじゃあ、こっちの準備ができたら声をかけるぜ。
当面、勝手に都から出ていかないでくれよ」
「ふん……」
ハルバードを背負ったクロエは、ぶつぶつ不満を漏らしながらその場から去って行った。
「しかし、味方につけたとは言え、クロエの姉御以外に処女のアテがあるのかい?
俺達みたいなやつの、それも危険な冒険に付き合ってくれるようなさ」
「あいつ以外に、そんな女がいるわけねぇだろ。サルカス」
「ええ? でも、姉御は絶対ユニコーンには乗らないって言ってるぜ」
「ユニコーンの捕縛戦に持ち込んじまえばこっちのもんだ。
偶然にでも、あいつのケツをユニコーンにまたがらせてやるさ、なんとかな」
「その後、姉御に殺されても知らないぜ。相棒」
「そうならないように計画を詰めるさ。
とりあえず宿に戻ろうぜ、さすがに疲れて眠ぃ……」
一仕事終えたと言わんばかりに、あくびをするバスタ。
スリルあるゲームを長時間繰り広げたことで、ずいぶん疲れが溜まったようだ。
ましてや、相手は怒らせれば猛獣同然のクロエだったから、尚更である。
「待って――」
帰路に着こうとしたバスタ達に、不意に声をかける者がいた。
「――約束は果たしました。
二度と、この店には立ち寄らないでください」
それは、バスタとクロエの勝負を見届けた女ディーラーであった。
彼女の表情は、賭博場にいた頃のクールなものとは異なり、剣呑とした雰囲気で、バスタに刺すような眼差しを向けている。
「ああ、ディーラーのお姉さん。
今日はご苦労さん、おかげで虎を手懐けることができたよ」
「え? 相棒、いったいどういうことだい」
「万全を期すれば虎も膝を折る、だぜ。相棒」
「それと、この子と何の関係が……?」
「お前、忘れちまったのか。
この賭博場のオーナーは、以前、俺達に仕事を依頼してるんだよ。
それも、公にできないような、やばい仕事をな」
「そうだったっけか。
と言うことは、この子はオーナーの……」
「いいさ、忘れたままで。
どのみち今回の件で貸し借りなしって話を通してあるんでな」
ディーラーの女は、険しい表情を崩さずに再び口を開く。
「父の借りは、私が泥をかぶることでチャラです。
二度と、この店に――いえ、私や父の前に姿を現さないで。
約束を破れば、マーダー・ユニオンに依頼することも辞さない」
「可愛い顔して、ずいぶん物騒な冗談を言うんだな。
不良冒険家でも、取引相手との約束は守るさ。
しかし、いい腕だった。
あんた将来、帝都のカジノへ行ったら花形になれるかもな」
「死ね、ゲス野郎」
最後に吐き捨てるように言うと、彼女は賭博場の扉をくぐって消えていった。
「相変わらず女に嫌われるの得意だね」
「言うなよ。
好奇心のためにナンパ相手を一人失ったんだぜ」
「やれやれ」
違法すれすれのアプロ―チが功を奏し、見事、クロエを手玉に取ったバスタ。
しかし、計画を進めるにあたって必要な人物はもう一人いる。
言わずもがな、100%非処女の女――
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