第1話 恐怖への最終列車、発車。
話は数時間前に遡る。
今日は会社の暑気払いだった、そして二次会の予定は……まだ無さそう。
二次会? そんなもの行きたくないに決まってる。巻き込まれる前に早く帰ろう。
今帰れば可愛い息子はまだ起きているかもしれない。妻も数日は不機嫌にならずに済むかもしれない。
それならばさっさと帰れば良かったんだ、なのに優柔不断な俺、
そんなことをしていた俺は、よりによって最悪な蜘蛛の糸にひっかかることになる。
突然、俺の肩を強くボン、と叩く者がいた。八神部長である。
「阿久津君、二次会は決まったか?」
「え、いや、あの……申し訳有りません、もう帰ろうかと……」
「じゃあカラオケ、予約しといて」
部長は猛獣と揶揄されるくらい、凶暴かつ自分勝手で有名だった。
猛獣とカラオケという檻の中に二人はありえない、まるで黒豹に食べられるのを待っているうさぎちゃんじゃないか。
俺は被害を軽減させるため、他の犠牲者を探した。
ところが、すでにほとんどの社員はしれっといなくなっていた。
その場に残っていたのは俺と後輩の山田、そして山田と同期の須田里美、それともう一人……。俺はその一人に声をかけた。
「おい
「ごめん、俺パス。明日早いから、そんじゃ」
そう言って、エレベータの「閉」ボタンを押した。
重いドアがゆっくり閉まる。
くそっ、逃げられたか。俺もあいつみたいにドライになれればどんなに人生楽なことか。
「阿久津さん……」
その場に残された、俺を含めた3人に哀愁が漂い始めた。
泣きそうな目で後輩の山田が俺を見上げる。
俺は敢えて明るい笑みを見せた。
「大丈夫だって。カラオケ行くだけだろ? さすがに命までは取られまい」
山田は大きく首を振った。
「先輩も知ってるでしょう。八神部長の死のカラオケ、通称カラオケ・オブ・ザ・デッド。大して面白くもない歌をひたすら聞かされて、少しでもチャラい歌を歌おうとするものなら、マイク越しに怒鳴り散らす。しかも……」
山田よ、それ以上言うな、これから起こる事に心臓が潰されそうになる。
「しかも始まったら最後。かならず朝の5時まで付き合わされる、これは『死ね』って言っているようなもんですよ」
隣には須田里美。山田と同期の女子社員だ。彼女は真面目でいい子なんだが、いまひとつ機敏性にかける。だからこういう時に逃げ遅れる。
顔が真っ青になっている二人を見て、俺は一つ決意した。
「分かった、部長が来ないうち、今のうち帰れ。犠牲者は俺だけで十分だ」
「いや……でもそんな」
「いいんだよ、山田も里美ちゃんも明日も仕事だろ? ほら、さあ部長が戻ってくる前に……」
二人はお互い顔を合わせ、何かを考えているようだった。
しばらくすると、里美ちゃんが顔をあげた。
「阿久津さん、このご恩は一生忘れません。どうかご無事で……」
俺は目を閉じてゆっくり頷いた。
その時だった。
どこかから声が聞こえてくる、エレベータ横の階段からだ。
「——もちろん行くよな?」
「そりゃそうですもちろんですよ、部長。二次会行かないで帰る奴って白けますよね。意味がわからないっす。今から呼びつけてやりましょうか?」
八神部長と肩を組みながら、一人の男が階段を登ってきた。
「おい、阿久津君。早乙女君も行くって! 何人集まった?」
これで役者は揃った。
猛獣と一緒の檻に入れられる人質は4名。
俺、山田、里美ちゃん、早乙女。
今まさに、破滅への旅が始まったのだ。
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