第1話 恐怖への最終列車、発車。

 話は数時間前に遡る。

 今日は会社の暑気払いだった、そして二次会の予定は……まだ無さそう。

 二次会? そんなもの行きたくないに決まってる。巻き込まれる前に早く帰ろう。

 今帰れば可愛い息子はまだ起きているかもしれない。妻も数日は不機嫌にならずに済むかもしれない。


 それならばさっさと帰れば良かったんだ、なのに優柔不断な俺、阿久津あくつ ゆう三十九歳はさっと帰れない性格だった。後で上司から睨まれるのが怖かったからだ、あいつは薄情な奴だと。

 そんなことをしていた俺は、よりによって最悪な蜘蛛の糸にひっかかることになる。

 突然、俺の肩を強くボン、と叩く者がいた。八神部長である。


「阿久津君、二次会は決まったか?」

「え、いや、あの……申し訳有りません、もう帰ろうかと……」

「じゃあカラオケ、予約しといて」


 部長は猛獣と揶揄されるくらい、凶暴かつ自分勝手で有名だった。

 猛獣とカラオケという檻の中に二人はありえない、まるで黒豹に食べられるのを待っているうさぎちゃんじゃないか。

 俺は被害を軽減させるため、他の犠牲者を探した。


 ところが、すでにほとんどの社員はしれっといなくなっていた。

 その場に残っていたのは俺と後輩の山田、そして山田と同期の須田里美、それともう一人……。俺はその一人に声をかけた。


「おい早乙女さおとめ、二次会行くよな?」


 早乙女さおとめ 淳司じゅんじ、キザでナルシスト。それでいて計算高い。こいつは是非犠牲者に加えたい。


「ごめん、俺パス。明日早いから、そんじゃ」


 そう言って、エレベータの「閉」ボタンを押した。

 重いドアがゆっくり閉まる。

 くそっ、逃げられたか。俺もあいつみたいにドライになれればどんなに人生楽なことか。


「阿久津さん……」


 その場に残された、俺を含めた3人に哀愁が漂い始めた。

 泣きそうな目で後輩の山田が俺を見上げる。

 俺は敢えて明るい笑みを見せた。


「大丈夫だって。カラオケ行くだけだろ? さすがに命までは取られまい」


 山田は大きく首を振った。


「先輩も知ってるでしょう。八神部長の死のカラオケ、通称カラオケ・オブ・ザ・デッド。大して面白くもない歌をひたすら聞かされて、少しでもチャラい歌を歌おうとするものなら、マイク越しに怒鳴り散らす。しかも……」


 山田よ、それ以上言うな、これから起こる事に心臓が潰されそうになる。


「しかも始まったら最後。かならず朝の5時まで付き合わされる、これは『死ね』って言っているようなもんですよ」


 隣には須田里美。山田と同期の女子社員だ。彼女は真面目でいい子なんだが、いまひとつ機敏性にかける。だからこういう時に逃げ遅れる。


 顔が真っ青になっている二人を見て、俺は一つ決意した。


「分かった、部長が来ないうち、今のうち帰れ。犠牲者は俺だけで十分だ」

「いや……でもそんな」

「いいんだよ、山田も里美ちゃんも明日も仕事だろ? ほら、さあ部長が戻ってくる前に……」


 二人はお互い顔を合わせ、何かを考えているようだった。

 しばらくすると、里美ちゃんが顔をあげた。


「阿久津さん、このご恩は一生忘れません。どうかご無事で……」


 俺は目を閉じてゆっくり頷いた。


 その時だった。

 どこかから声が聞こえてくる、エレベータ横の階段からだ。

 

「——もちろん行くよな?」

「そりゃそうですもちろんですよ、部長。二次会行かないで帰る奴って白けますよね。意味がわからないっす。今から呼びつけてやりましょうか?」


 八神部長と肩を組みながら、一人の男が階段を登ってきた。


「おい、阿久津君。早乙女君も行くって! 何人集まった?」

 

 これで役者は揃った。

 猛獣と一緒の檻に入れられる人質は4名。

 俺、山田、里美ちゃん、早乙女。

 今まさに、破滅への旅が始まったのだ。

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