『私色』



『そうだね〜』

(本当は違うんだけどなあ。)

私は思ったことをそのまま口に出すことが苦手だ。相手が誰であろうとも、とりあえず相槌を打っておくことしかできない。そうすれば、相手が傷つくことはないから。でも、自分の意見を自分の中で溜める度に、心が重くなる。うまく笑えてない気がしてしまう。(お願いだから私に意見を求めないで、、。)


家に帰る。父は夜遅くまで働いてるし、母は夜勤だからこの時間は寝ている。机には『温めて食べて』と書かれたメモと、夜ご飯のオムライス。1人で夜ご飯を食べることにももう慣れた。無言でオムライスを食べ終えて、母が買ってくれた紺のコートを羽織って外へ出た。そしていつもの場所へ向かった。そこからは、星が綺麗に見える。月が私を照らしてくれる。私は、心の重さに耐えきれなくなったらここに来る。澄んだ空気に包まれながら大きく深呼吸すると、自然と重みが取れていく感じがして気分が良くなる。私ってなんでこうなのかな、と、ぼそっと呟いてみた。頭の中ではいつも思ってることだけど、声に出すとまた違うみたいで、急に涙が溢れた。なぜ私は自分に自信が持てないんだろうか。誰も私を責めているわけじゃないのに。友達だっているし、親に叱られるわけでもない。自分の意見をはっきり言えるようになりたい。本当はそう思ってないんだよ、って。卵料理も、このコートも、私そんなに好きじゃないよ、気に入ってないよ。お母さん、私、もう少しかっこいい上着が欲しいよ。なんで言えないんだろう。なんでも肯定しちゃうんだろう。


大きく深呼吸して、星を見上げてから、とぼとぼと家に向かって歩き始めた。家に着く頃には、明るかった月が、雲に隠れていた。


翌日土曜日、仲の良いA子から急にLINEがきて、遊ぶことになった。遊んできます、とメモを残して家を出た。ドアを開けると、私には明るすぎる太陽と、雲ひとつない青空。駅に着くと、もうすでにA子が待っていた。大きく手を振っている彼女の笑顔もまた、私には明るすぎた。


A子とは中学から同じで、ちょくちょくこうやって遊びに行ったりする。A子は、地に足がついていないような私とは大違いで、自分の意見を貫き通す、芯がしっかりしているリーダー的女の子で、男女ともに人気が高い。困っている人にはさっと手を差し伸べられるし、クラスの決め事なども積極的に意見を言える。私の憧れで、とても尊敬している友達。こんな友達が居て、私は幸せだなあってよく思う。


文具屋に行った。A子は 新しい筆箱が欲しいと前々から言っていたから、多分それだろう。私が便箋を見ていると、私を呼ぶA子の声が聞こえた。A子は、赤のペンケースと黒のペンケースを持っていた。

『ん〜。私赤好きなんだよね、でもデザイン的にはこっち(黒)の方が好きだし〜。このデザインで赤色の作ってくれたり、、しないよね、。どうしよう!どっちがいいと思う?』

私は戸惑った。意見を求められてしまった。私的には赤のペンケースが、A子らしくて良いと思った。でもデザインが気に入らないなら、黒の方がいいんじゃないかなとも思った。悩み続けた末、

『私は赤の、、、』

『やっぱ黒かなあ、こういうのってデザイン重視だよね!!』

やっぱり黒が良かったんだなあ。私は頷いて

『いいと思う』と言った。A子は嬉しそうに、レジに向かって行った。


時間もいい頃なので、昼ごはんを食べることにした。駅前に新しくできたお洒落なカフェがあるらしく、A子がそこへ行きたいと言うので、私はついていった。着くと、すごい列。かるく1時間は待つだろう。腕時計は12:30を指している。カフェの隣に、落ち着いた感じのレストランがあり、そこならすぐ入れそうだったのでそっちにしよう と提案しようとした。でも、A子はもう長蛇の列に並び始めていた。

『1時間くらいで入れるかな〜、楽しみ!ここのオムライス本当に美味しいのにインスタ映えするんだよ!』

目をキラキラ輝かせながらそう話すA子を見たら、私の提案なんかできるわけなくなってしまった。私はため息をつきたい思いを必死に堪えて、笑顔で『楽しみ』とだけ答えた。提案の後に、実は私卵料理得意じゃないんだ、と言おうとしていたことさえもう頭の中から消え去っていた。


『今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとう。また学校でね!』

朝と同じ眩しい笑顔で手を振ってくれたA子と別れた後、私は本屋に寄った。家で1人でいる時間が多い私は、最近読書にハマっている。今読んでいる本をもう少しで読み終えるので、次の本を探しにきた。表紙の絵を見たり、裏表紙のあらすじを読んだり、色んな本を手に取ってみたが、しっくりくるものは無かった。帰ろうかと思った時、目の前の、同い年くらいの男の子が手に取った本が、目に入った。

『人間失格』

太宰治の名作で、題名からしてインパクトが大きい。読んだことはないけど聞いたことはあった。同世代が手にしていたからか、興味が湧いてきた私は、男の子の姿が見えなくなってから、黒い表紙の本を手に取ってみた。思ったよりも薄かった。

結局そのままレジへ行き、購入。まっすぐ家に帰ると、自分の部屋でじっくり読むことにした。だけど。


『恥の多い人生を送ってきました。』


物語の中の、第一の手記はこの一文で始まる。私はどきりとした。この先を読むのが怖くなった。そして、本を閉じてしまった。


月曜日。雨だった。学校に行くのが少し憂鬱になりながら、重い足取りで向かった。途中でA子と会った。こんなに雨が降っているのに、赤い傘をさしたA子はいつものように元気いっぱいだった。


いつも通りの授業を受け、下校。いつもならA子と帰るのだが、A子は車の迎えが来ていたので1人で帰ることにした。手には人間失格。読む勇気がないくせに、持ち歩いていることは、自分でもおかしいと思っていた。一日中降り続く雨をぼーっと眺めていた。

そんな私の隣に、いつのまにか男の子が立っていた。本屋で会った男の子。スリッパの色が緑だったので、一個下であることが分かった。そして、その子の手にも、黒い本が。傘がなくて困っていることに気がつき、私は急いでロッカーの中の置き傘を取りに行き、男の子に渡した。男の子は一瞬驚いた顔をして、『ありがとうございます』と丁寧に礼をした。そして男の子はこう言った。

『人間失格、僕も読んでます』と。

私は恥ずかしくなった。隠していたつもりがバレていた。

『冒頭部分だけ読んで、、まだ他読んでないんだよね』

私はうつむきながら本当のことを言った。

『あ、もしかして、最初の一文で刺されちゃいましたか?』

なぜ分かったんだろう。不思議に思いながら私は少しだけ頷いた。男の子は、自分の名はB太ですと自己紹介したのち、ぜひ第一の手記だけでも読んでください、と言い残して私の真っ黒な傘をさして走り去っていった。

その日の夜、私は星を見に行かなかった。雨は止んでいたのに。月は綺麗だったのに。その代わり、私は夜遅くまで黒い本を読み続けていた。


翌朝は、昨日のあの雨が嘘だったかのような天気の良い朝だった。A子といつものように登校していたら、昇降口にはB太の姿があった。

A子は何を勘違いしているのか、ニヤニヤしながら『お先に〜』と言って教室へ行ってしまった。

『傘、助かりました』やっぱり私の黒い傘を返しに来ていた。受け取って、教室に行こうとすると、引き止められた。

『第一の手記、読みましたか?』

私は昨夜、読んでしまった。やっと、読むことができた。B太に軽く頷いた。彼は感想が聞きたいと言う。私は、学校で異性といるのを見られるのが嫌だからという理由で、放課後、あの星の見える場所で会うことにした。あそこには誰も来ないだろう。そう思ったから。それと、あの場所なら、落ち着いて話せると思ったから。


放課後、なんだか急ぎ足で家に戻り、ご飯を食べ、19時くらいに家を出た。天気が良い今日は、いつも以上に夜空が美しかった。


彼はもうそこに居た。右手には人間失格。

『先輩の感想、聞かせてください』

持ってきた小さなレジャーシートの上に2人で座って、私は話し始めた。


『私ね、私が嫌いなんだ』

私にも、なぜ彼にこんな話ができるのか分からなかった。出会ってまだ数日しか経ってないのに。でも、彼なら私の心の内を聞いてくれると思った。打ち明けるのが、怖くなかった。

『誰と接する時でも、愛想笑いになってしまう。親にさえも、本音が言えない。そんな自分が嫌いなの。第一の手記、読んだよ。主人公の葉蔵は私のようだった。相手の気持ちが理解できない葉蔵が道化の上手になったように、自分に自信がない私は1枚の仮面を被って生きている。私も、葉蔵と同じく本当のことを言わない子、いや、言えない子なんだなあ。私ね、卵料理好きじゃないんだよ、ってことさえ言えないんだよ。』

ぽろぽろ涙が溢れてきた。私の隣にいる彼は無言でハンカチを差し出してきた。月の光に照らされた彼の顔は、とても優しかった。


私が落ち着き始めたら、彼は私の目をまっすぐ見てこう言った。

『先輩は強い人ですね』。

私はとっさに反論した。強くなんてない、弱い人間だよ、と。彼はゆっくり首を横に振った。

『自分の弱さを認められる人って、強い人だと思うんです。ただその強さに気づいてないだけなんですよきっと、自分の弱さしか見えてないから。本当に弱い人は、自分の弱いことを自覚したくない、できないと思います。僕は人間失格を読んで、やっと自覚できたんです。葉蔵って、誰かに似てるなあと思ってて、第一の手記読み終えて、ああ、僕に似てるんだなあ、って気づいたんです。僕ってとことんつまらない生き方してるんだなあって。そこから、出来るだけ自分らしく生きよう、と思うようになりました。』

彼が発する言葉1つ1つが、私の胸に突き刺さった。私は知らなかった。ハキハキと物を喋る彼が、以前まで私側の人間だったとは。


『先輩は、恥の多い人生って、どんな人生だと思いますか?』

彼が私に尋ねた。

『自分の色がない人生、かな』

私はそう答えていた。恥の多い人生を、自分の人生と重ね合わせていた。彼が、ふっ、と笑った。そして、

『僕の思った通りでした。』と呟いた。顔に理解できないと言う文字でもあるかのような私に、彼はこう説明した。

『僕、先輩のことちょっと前から知ってました。まさかこんな形で絡む機会があるとは思いませんでしたが。先輩、よくここに来てませんでした?僕もよくここに来るんです。先輩のように泣きに来るわけじゃなくて、ただ星を見に来るだけですけどね。最初は、僕と同じように星を観に来てるのかな、と思いました。学校で先輩を見て、同じ学校だったことを知りました。何回か先輩のことを見たことあるんですが、1回も心から笑ってるところを見たことがなくて。以前の僕を見ているような気持ちになりました。だから少し観察してたんです。そしたら、やっぱり。色のない生き方をしていたんですね。そして、先輩はここへ来て泣いていることに気づいたんです。』

ストーカーみたいで気持ち悪かったらごめんなさい、と少し笑いながら彼は話終えた。私は驚いた。以前から私を知っていたことに対してもそうだけど、それ以上に。分かる人には分かるんだなって、びっくりした。完全な愛想笑いを見透かされていたんだな、って。


そのまま数十分、彼とたわいもない会話をした。夜風が冷たい。でも、この夜だけは、どこか暖かく感じた。


家に帰って、色々考えた。彼が放った言葉が頭の中を巡る。『色のない生き方』自分が言ったことだけど、人に言われると本当につまらなく感じてしまう。実際、つまらないのだろう。もう一度、あの本を手に取った。ページをめくる。読むたびに、とことん自分と重なる。2度目を読み終えたとき、私は心が軽くなっていた。

つまらない生き方はやめよう

思った時にはもうすでに声に出していた。私は、自分の色を見つけたいと強く思った。自分だけの色を。もじもじしてないで、自分の思ったことを、少しでも言えるようになろう、って。


仕事が休みの日、母に、卵料理がそんなに好きじゃないことを勇気を出して言ってみた。オムライスよりも、ハンバーグがいい。お母さんの作るハンバーグが好き、って。母は驚いた顔をして、オムライス好きじゃなかったの、って言った。母の顔を見るのが少し怖くてうつむいていた。すると母は、『私もあんたくらいの時、ハンバーグ好きだったなあ、、。よっし、今日は仕事休みだし、一緒に作るか!!』と、思いっきり笑った。私も、思いっきり笑って、頷いた。ひとりきりに慣れていたからか、母と一緒に作って、一緒に食べたハンバーグは思っていた味とは違った。だけど、とても美味しかった。少しB太のことが頭に浮かんだ。ありがとう、って言いたかった。もう星が見えるあの場所に行くこともないだろう。

こうして、私の人生が少しずつ色付き始めた。


ある日、A子に言われた。

『最近、少し変わった?よく笑うし、明るくなった気がする。恋でもしたの??』

にやにやするA子に、どうかな、なんて言ってみる。この前、母に買ってもらったカーキ色のジャケットを羽織る。私のお気に入りだ。こうして私の充実した1日が始まる。


自分らしく生きる、って、幸せだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自分色 @sj510

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ