Κi‖ Daniel






 なん……



 ……



 ……ダニエル、そんな、どうして、こんな










 


 君か?






 君がやったのか?









 いや、違うと言ってくれ。頼む。私は、彼が殺されたなんて思いたくない。

 だって……何の前触れもなかったじゃないか。


 君という人間は、ついさっきまで和やかに昼食を共にしていた、ほぼ出会ったばかりの人間を、後ろから刺し殺せるとでもいうのか? 君にとってはダニエルは架空の存在でしかなかったというのに、彼に何か恨みがあったのか? 殺したいほどの? あるいは、私に?

 いずれにせよ、もしそうなんだとしたら……



 君は、狂ってる。



 君は……異常だ。



 …………



 …………




 ……君はまだこう言いたいのか? 「自分はただ小説を読んでいただけだ、自分はこの物語とは関係ない」って? ラットの時に学ばなかったのか、君は。私は忘れていないぞ。記憶力なら人一倍優れているんだ。1年前、君はラットのケージを開けた。どうやってかは知らないが、この世界の傍観者であるはずの君は、こちらの世界のラットのケージを開けたんだ。まだわからないか? 君はラットの時に学ぶべきだったんだ。私が描かれている小説がどんな形態のものであれ、この世界は、君の何らかの行動によって影響を受けるのだということを。私はただ推測することしかできないが、察するに、それはきっとかなりシンプルな動作なんじゃないか? 小説のページをめくることのように、とても簡単な。


 ああ……見ろよ。


 ダニエルは、完全に死んでいる。重体だとか大怪我だとか、もうそういうレベルじゃないんだ。それなのに君は、どうしてまだその無機質な目でこちらを見続けていられる? 目の前で人が大量の血を流して死んでいるんだぞ。


 ああ……そうか。


 君には……見えないんだな? ダニエルの真っ赤な血に染まった白衣も、光を失った青い瞳も、君には何も見えてない。君に唯一見えているのはそれらを薄っぺらく描写しただけの、ただの文字の羅列。君には何も見えていない。そしてこれからも何も見ない。君はそう……死ぬまで盲目だ。


 ほら、見ろ。彼の亡骸を抱き上げる私の白衣に染みこむ、深紅の色を。この液体はつい今の今まで彼の体内を絶えず循環して、命を繋いでいた。


 はは、そうでなければあるいは、知ったことじゃないと思っているんだろうな。だってこれは、君にとっては架空の世界の出来事だから。君にとっては私の嘆きなど、シェークスピア劇の主人公の芝居がかった嘆きとそう変わらないんだろう。読者の気を引くための嘆き、哀しみ……私は舞台装置の一種に過ぎなくて、君はまたこういうパターンかと呆れた息を吐いて、小説を閉じ、私の嘆きを自分の世界から永久に消し去るんだろう。


 ……なあ。

 ダニエルを殺したお前のような奴に頼むのもおかしいかもしれないが、でももし君が、もし、まだ心のどこかに人間らしさを残しているのなら……




 このクソみたいな物語を書いた作者とやらに、つまりこの世界を書いた神たる存在に、どうか頼んでくれないだろうか。この哀れな登場人物を救ってくれるように。書き直させるんだよ、この物語を。これが君の言うように小説であるのなら、できるんじゃないか? まだ遅くない。今すぐやり直せる。今度はもっと平和ないい世界になる。こんな救いようのない物語を書いた、ひねくれて最低で人の苦しみを喜んで啜って生きているような作者に、君が優しく手を差し伸べてやりさえすれば。

 なあ、そんなに難しいことじゃないんじゃないか? ただ一言、メールでも手紙でもSNSでも、伝えてやればいい。「この物語の展開では、クレンプルゼッツァー博士があまりにも可哀想です。どうか書き直してあげてくれませんか」って。大した労力でもないだろう? なあ、お願いだ、頼むよ……。





 ……




 …………









 ……ああ。




 わかった。




 ははは、私が馬鹿だった。なんて愚かしい考えだったのか。

 私は……博士だ。科学者だ。

 科学者ともあろうものが、神を信じ、あまつさえ自身の運命を神に委ねようとするなんて。


 そんな愚かなことが、あってたまるものか。



 

 ……時に君。私がなぜ小説が嫌いなのか、話したことはあったか? 

 私はね、嫌いなんだ。小説を読んだ、ただそれだけのことで、自身のことを「人間らしい心を理解している人」だと、いけしゃあしゃあと言ってはばからない奴らがね。

 愚かしくてたまらない。だって彼らは、今の君とまるで同じだから。


 読み手は、誰も助けない。


 他人事だからこそ、いい人ぶった感想(ことば)も好きに言えるというだけのことだ。絵空事だと知っているから、安心して嘘をつけるというだけのことだ。

 そのこと自体は責めもしない。そいつの勝手だ。好きなだけ上辺を繕って、嘘をつけばいい。でも彼らは果たして、彼らの絶賛する架空の世界の人々について、どれくらい親身になって考えているんだろうな? さして親身になってなんていないはずだ。

 


 君が小説を読み進めなければ、ダニエルはまだ生きていたかもしれない。



 もちろんこの世界の基礎は作者が生み出すものだろう。しかしそれでも、その作者は読み手のために作品を書いているのだから、君にも少なからぬ責任が生じると思わないか? 作者は、君ら読者の気を引きたいがためだけにキャラクターに悲劇を味わわせ、救いようのない哀しみに沈ませている、もしそうだとしたら。


 何度も言うが、私は、別に君を糾弾したいわけではない。君がものを読む権利を侵害するつもりはない。君はこれからも好きに本を読み、感想を述べ、自由に生きていく権利がある。

 ただ私は……そこに事態を変える手がかりがあるんじゃないかと思ったのだ。



 この世界がもし誰かの書いた活字によって表された世界なのだとしたら、きっと……こちらからも干渉できるはずだ。書き換えられるはずだ。こちらと君の世界を繋ぐポータルが、どこかにあるはずだ。特に君がラットのケージを開けたこと、それが大きなヒントになるだろう。


 絶対に何か方法がある。


 幸い、この研究所には最新設備が整っているし、私は過去に異次元世界について研究するチームにいたこともある。私は絶対にやり遂げてみせる。周りからは散々「頑固者」「変人」とさげすまれてきたが、私は一度決めたことを最後までやり遂げなかったことは一度としてないのだ。こんな結末は認めない。私はダニエルを取り戻す。何年かかったとしても……たとえその結果として私自身が、この世界から消えることになったとしても。


 

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