五、ヴィル

1

「おい、誰だこの工程の担当者は!雑すぎる!やり直せ!!」


 上司の怒号が聞こえてきて、近くで作業していた同僚はみな手を止めて声の元に注目した。だがヴィルは気にせず自分の作業を続けた。さっさと今日の分の仕事を終わらせて操縦訓練に入りたかった。


「あいつ、またイライラしてるぜ。あれが作業を遅らせてる原因だってのがわかんねぇのかよ。」

隣で作業しているサイラスが憎々しげに呟いた。それでもヴィルは黙々と作業を続ける。

「どうやったって大して出世もできねーんだから、黙って適当にやってりゃいいのによ。俺らみたいな貧困層は一生かかっても上流階級の奴らには勝てない。ただ奴らに奴隷のように使われて一生を終えるんだからな。」

 サイラスは組み立てたパーツをチェックするふりをして適当に転がしていた。ヴィルはそれをちらっと横目で見ながらも引き続き黙っていた。するとサイラスがついにヴィルへと視線を投げかけた。

「ああ、お前は違うよな。軍に入ってパイロットになるんだもんな。トゥラディアでは期待してるぜ。遊びでやってるような学生のお坊ちゃんたちに死んでも負けるなよ!お前は俺らの希望なんだからよ。」

するとヴィルはふっとため息をついてから仕方なくといった様子で口を開いた。

「…うるせー奴だな。さっさと手を動かせよ。」

 サイラスは一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに諦めたように作業に戻った。


(ただの奴隷だって…?そんなことは分かってる。)

 ヴィルは貧困街で生まれ育った自分の生い立ちについて、運が悪かったとは思いこそすれ、不幸だと思ったことはない。自分の人生に不満があるなら、それを変えるために手段を尽くすしかない。だからこそヴィルは、航空学校に行かずとも独学で航空力学を勉強し、あらゆる手を尽くして操縦を学び、会社の代表パイロットに選ばれるまでになった。

(じゃあなんで俺は、こんなにハンスに敵対心を燃やすのか…。)

 ふとそう思ったヴィルは初めてハンスに会ったときのことを思い出した。


 最初にハンスに出会ったのは14歳で初めてレースに参戦したときだった。

 待機場で俺は柄にもなく少し緊張していた。航空機メーカーの駐機場を利用した待機場には、これからレースに出場する機体がその順番を待っていた。緊張を紛らわすためにも自分の機体のコンディションを入念にチェックしていたとき、すぐ近くに駐機している機体のそばで自分と同じくらいの年齢の奴らが集まってわいわいとしゃべっているのに気づいた。何となくその機体に目をやると、セントラルにある航空学校のマークが描かれていた。


 アトリアにおいては、俺たち貧困街で育った子供はもちろん、中間層の家庭であっても金銭的に余裕のない家の子供たちは、義務学校から先に進むことは難しい。

 割合にすると全体で約6割もの子供が高校などに進学できず、大抵は航空機関連の工場などに就職し、流れ作業をする工員として働いている。給料は最低賃金レベルで、長年働いても家族を養うことさえ難しい。やがて同じ工員同士で結婚し、子供を産み、その子供もまた貧困から同じような人生を辿る。そのサイクルが当たり前のように何十年も続いて来た。

 人々は疲弊し、議会に対する不満を漏らす。しかし議会に言ってもどうにもならないことなど皆知っている。

 全てはラスキア政府によってコントロールされていて、元敗戦国の国民だった俺たちはそれに従うしかない。従おうとしない者達は何かしらの理由をつけて強制連行される。近年は特にそれが酷くなって、それに反発する者たちによるテロまがいの事件も貧困街で頻発するようになった。

 確かに不条理な世の中だが、それでも生きていくしかない。多くの人々は明日の生活のために黙ってひたすら働くしか選択肢はないのだ。


 義務学校から先に進学する子供たちの中でも、航空学校に進む者は上流階級の子供達に限られる。航空産業はアトリアの主要産業で、実にアトリア内の約8割の人々が何かしらの形で航空関連の仕事に従事している。だがその大元となる大手数社の幹部となれるのは、航空学校もしくはレベルの高い普通科の高校に進んで大学まで出た、いわゆる限られたエリート達だけだ。

 またそういったエリート達の一部が政治家を目指し、形だけの選挙によってアトリア州議会の議員になる。そして自分たちの地位を確立するためにさらにラスキアに擦り寄り、完全にその言いなりとなることで、ラスキアにとって都合の良い政治体制がつくり上げられてきた。

 腐敗した政治はそのまま世の中をも腐敗させる。民衆の声は届かなくなり、歪んだ資本主義がさらなる貧富の差を産んだ。


 エリートの卵として名高い航空学校の生徒らしいそいつらは、会場でもよく目立つ独特の紺色の制服と制帽を身につけ、集まって楽しそうに話をしていた。

 俺は反射的に目を逸らした。自分が育ってきた環境と全く違う世界で生きてきたであろうそいつらの無邪気な笑い声に、無意識に嫌悪感を抱いたのだ。


「それ、君が乗るの?」

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