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その日の夜、スミルノフはアトリアの州都であるセントラルにおいて、主に中間層が住むアパートが建ち並ぶ住宅街にやってきた。
セントラルの治安は特に貧困街を中心に悪化の一途を辿っており、中間層が住むこのあたりの地域でも、夜となると出歩く人はほとんどいない。そんな閑散とした暗い街中で、スミルノフは一軒の古いアパートの前に足を止めた。近くの街灯に記された住所の数字を確認してから建物の中に足を踏み入れる。1階の暗い廊下を進んだ奥にある扉の前で、スミルノフは足でトントンと何度か地面を叩いた。すると目の前のドアがガチャリと音をたてて数センチだけ開いた。スミルノフはさっとそのドアの隙間から体を中に滑らせる。
中は真っ暗だったので、すぐに上着のポケットから小さな懐中電灯を取り出して周囲を確認した。すると玄関の左側にあるドアが少しだけ開いているのに気づいた。その扉を開けてみると、思った通り地下に続く階段があった。スミルノフは迷いもなくその階段を降りて行った。
階段の先には短い廊下があり、突き当たりにあるドアの隙間から少し光が漏れていた。スミルノフは一旦そのドアの前で立ち止まり、再び足でトントンと地面を叩いた。すると、一人の男がドアを開けてスミルノフを迎えた。
「…久しぶりだな、スミルノフ。入れよ。クラースが持ってきた良い酒があるぞ。」
男はにやっと笑った。左目に眼帯をして、左耳も潰れて変形している。
「ドレイクか、変わらないな。」
久しぶりの再会に、スミルノフはふっと笑いながら部屋に入った。部屋の中央には大きなテーブルがあり、大人6〜7人も入れば窮屈になりそうな大きさだ。地下のため窓もなく、ただテーブルとイスと小さなキッチン台があるだけだった。そこに集まっていたのはスミルノフを入れて5人のメンバーで、こうして直接会うのは久しぶりだ。
「スミルノフ、一杯どうだ。我儘な議員の相手は疲れるだろう。座って話を聞かせてくれ。」
部屋の隅にあるキッチン台のそばに立っていたクラースが、グラスと酒を持って席に座るよう促した。スミルノフは案内された席に座りながら全員に挨拶した。
「みんな久しぶりだな。元気そうで何よりだ。最近はまた治安が悪くなって、貧困街の方は随分ひどい状況だと聞くが…。」
「ああ、今の貧困街の状況はひどいものだ。政府側の治安部隊は誰彼構わず気に入らない者がいたら反政府組織だなんだと文句をつけて強制的に連行していく。昔からそうだったが、最近はその人数がさらに増えた。政府はとにかく俺たち反政府組織を根絶やしにするために躍起になっているようだ。」
スミルノフの正面に座っていたエラルドが眉をひそめた。年齢はもう40代も半ばのはずだが、見た目が若々しいせいで10歳ほどは下に見える。グラスを持つ右手には過去にテロに巻き込まれたときの傷だという大きな火傷の跡があった。
すると、その場にいた唯一の女性であるアンネが口を開いた。
「そうさせているのは最近の不安定な海外情勢でしょう。ラスキア政府内部では同じ4大国の1つでもあるカザンの経済的発展とその脅威に対してどう対処するつもりなのかしら。もしカザンとロティタギルが本当に戦争になってカザンが勝利するようなことがあれば、天下のラスキアといえど放ってはおけない状況になるわね。」
「まぁ、もしそうなればさらに大きな脅威の一つにはなるだろう。だが戦争で金と軍を消費した後であるならば、むしろ攻める機会と考えるかもしれん。ホルシードのときのように、自作自演の大義名分をつくりあげてな。」
アンネの疑問に対して、クラースが苦々しい顔で答えながら持っていたグラスの酒を口に含んだ。
「…今の国際社会でそんなことをしたらさすがに他の国が黙ってないだろう。つい2年前に発見された南極付近の大きな油田によって、4大国の一つであるベルスタードが近くの植民地の奴隷を使って荒稼ぎしてる。確実な情報ではないが、国庫はたった2年で倍になったとも聞く。カザンとロティタギルの緊張状態も含め、ここ数年で世界の状況は大きく変わった。そろそろ本当に大きな変革があるかもしれない。ラスキア政府によるアトリアへの締め付けが急激に厳しくなったのも、そのあたりの情勢が関係していることは確実だ。世界最高峰の航空技術と、現状で世界1、2を争う埋蔵量を誇る油田地帯を持つアトリアを何としても自国に縛り付けておくためにな。…ラスキア政府にとっては、もし今独立戦争なんてやられたらたまったもんじゃないだろう。アトリアを奪うチャンスと見た他国が人道支援を名目にこぞって介入してくるだろうしな。」
そこまで言うとエラルドはため息をついた。本当に、この2〜3年で世界の状況は大きく動いている。過去に起こった世界戦争前の状況を彷彿とさせるような冷戦状態に一歩足を踏み入れたかのようにも思われた。
もし自分達が蜂起したあとに他国の介入を許したら、たとえ見た目だけの独立を勝ち取れたとしても、ただラスキアが他の国になり変わっただけで結局その後同じ道を辿るだろう。
自分たちが望むのは、完全な独立だ。
自分たちの国を自分たちの手でつくっていく。そんな当たり前のことを再び取り戻すために、現状を一度全てぶち壊して真っさらな状態に戻し、新しい国づくりを力強くスタートできるように体制を整えなければならない。
自分達や過去にこの組織を支えてきた人達は皆そのために準備を整えてきた。今になってようやくあと少しのところまで来ている。
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