二、世界は
1
「おい、例の件は進んでいるか?」
ヨーゼフはイライラした様子でコーヒーを飲みながら積み上げられた書類に目を通していた。秘書のスミルノフはつい先ほどヨーゼフから指示された別の書類をタイプライターで作成しているところで、突然の質問に顔を上げた。
「例の件とは…、バルツァレク国防長官の件ですか?」
「そうだ!交渉は問題なく進んでいるんだろうな!?」
ヨーゼフはイライラを隠そうともせず、書類を持ったままスミルノフを睨みつけた。しかしスミルノフにとってはいつものことだった。何事もなかったようにさっと手元のファイルから数枚の書類を取り出し、ヨーゼフの前に差し出した。
「長官の息子のアドルフ・バルツァレクに関する調書です。長官側との交渉は今のところかなり順調です。以前の話し合いでも出た通り、あとは全て本人次第となりますが…。」
ヨーゼフはスミルノフの手から奪うように書類を受け取り、早速調書の内容を確認した。
「…ふん、やはり噂通りろくでもない息子のようだな。親の部下にあたる人物の妻や娘にも手を出しているのか。」
「…はい。そういった素行の悪さが原因の一つにもなり、父親がラスキア政府内でも1、2位を争う有力者でありながら、なかなか息子の結婚話がまとまらず苦慮しているようです。」
「この前の会談での長官の物言いもそうだったな。早く結婚させて落ち着かせたいが、こちらで探して会わせてもなかなか息子が気に入る相手が見つからないと。」
「お年を召してからやっとできたご子息様で、相当甘やかしているという噂ですから、アドルフ様自身が気に入る相手であることは大きな条件となるでしょう。一方で、親の地位や家柄についてはそこまで問わないとのことです。バルツァレク国防長官自身がすでに権力の中枢に位置していますから、下手に権力を持った相手と切りにくい繋がりを持つことはどちらかというと避けたいのでしょう。」
「…そうだろうな。その意味ではこの俺にも大きな可能性がある。一アトリア州議院が、ラスキア政府の大きな権力を利用できる最大のチャンスだ。何があっても必ずものにしなくてはならん。」
「ええ、しかし…、大事なお嬢様のご結婚相手に、このようなひどい女好きを…いや、女遊びだけでなく、酒癖の悪さや周囲に対する態度も相当ひどいということは周知の事実です。…本当に良いのですか…?」
スミルノフは困ったような顔でヨーゼフを見た。しかしヨーゼフの表情は一つも動かなかった。
「当たり前だ。勝手に軍に入り、あろうことか貧困街出身の女と一緒になってリーデンベルク家の名に泥を塗った、口も聞きたくなかった弟の子供であったゾフィーを、あいつが死んだ後にわざわざ引き取って育てたのはこのためだからな。…まぁ、ゾフィーは器量だけは良い。身分の低いあの女に似ているところは気に入らないが、あの見た目であればアドルフは十分満足するだろう。歳も来年には16になる。婚約してから結婚までの準備を考えればちょうどいい。かなり良い条件が揃っているこの機会を絶対に逃してはならん。」
ヨーゼフはそう言いのけてから再び書類に目を落として何やら考え事を始めた様子だったので、スミルノフは諦めて自分の仕事に戻り、再びタイプライターを打ち出した。
少しして書類が半分ほど仕上がった頃、ヨーゼフは席を立つと同時にスミルノフに告げた。
「予定通り今度のシスレー社のパーテイーでアドルフ・バルツァレクとゾフィーを確実に引き合わせろ。もちろん長官には事前に結婚の了解を取り付けておけ。」
「…承知しました。」
スミルノフが手を止めて返事をすると、ヨーゼフはそのまま部屋を出て行った。完全にドアが閉まるのを横目で確認してから、スミルノフはひとり大きなため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます