水母の骨

犬怪寅日子

みづはさす

 あるいはそれはくらげのようにも見えた。

 夏場の大型商業施設の駐車上の果ての、誰もいないコンクリートの片隅。私がアイスの棒を捨てて帰ってきたら、瑞葉はしゃがみ込んで地面の上のそれを眺めていた。店の中にはあれだけ人間がいて大騒ぎしているのに、ここには子供の声ひとつ届いてこない。

 私は瑞葉の頭につむじを探していた。

 つむじというのは、つまりは自然法則の渦で、竜巻や栓を抜いた洗面所の水や、宇宙の星屑の集まりや、そういったものと同じ存在の仕方をしているという証だ。

 瑞葉の頭にはつむじがなかった。

「ねえ、これ宇宙人かなぁ?」

 瑞葉は振り返って、太陽がまぶしかったのか、笑ったような顔をした。

「どう思う? キクナちゃん」

 私の名前を呼ぶときだけ、瑞葉の声からは人間が消える。まるで穴が開いたみたいに、ぽかりと無機質な音だけを吐く。

「ジン、ではないでしょ」

 そう答えると、瑞葉ははっきりとした瞬きをいくつかして首を傾げた。

「なんて言ったの?」

「それ。人の形してないって言った」

 というより、何の形もしていない。

 やや青みがかった透明で、子供の頭くらいの大きさで、溶けているのか水を含んでいるのか、ぬめついている。それ自体が発光しているようにも見えて、じっと眺めていると、視界が白むようだった。何かが規制されるような、そこで認知が止まるような。たぶん――熱中症だ。

「じゃあ宇宙かな?」

「宇宙はこんなとこに落ちない」

「でも地球の生き物じゃないでしょう?」

 なぜ生き物だと思うのだろう。蠢くわけでなし。鳴くわけでもない。ただどろりとしているだけだ。かつて生き物だった、というのならまだ分かるが。今も生き物であるとは思えない。

 それに、万一かつて生き物だったとして、なぜこんな所でどろりとしているのだろう。こんな、誰も訪れないような石灰石と珪素と粘土と鉄の混ざった人間のための地面に。

「キクナちゃん」

 意味不明の物体から目を離さず瑞葉は私の名前を呼んだ。

 瑞葉の白い肌は、ぽってりと健康的に膨れていて、日に焼ける気配が少しもない。夏の光を浴びた後れ毛が、透き通って首元に張り付いていて、それは今朝電車のホームで見た幼子の首と全く同じ質感をしていた。

 瑞葉は会うたびに若返っている。

「これ、うちで飼えるかなぁ?」

 山の向こうから、虫たちの絶叫が熱に溶かされて柔らかく耳まで届いていた。

「ちゃんと世話できるならいいんじゃない?」

 適当に答えると、瑞葉は全くもって花が咲くのと同じ笑い方をした。

「うん! 世話するよ」

 けれど私は、瑞葉が笑う理由を今まで一度も理解できたことがない。

「水槽とかあるの?」

「すいそう?」

 それをどう飼うのが適切かは分からないが、ぬるぬるしているので水に入れるのがいいだろう。少なくとも虫かごやバケツよりは適切なはずだ。

 しかし瑞葉は小さく眉を下げ、もってない、と言った。そのまま消えて行くような声で。

「買ってこようか?」

 なぜそんなことを言ったのか自分で分からなかった。もうずっと、何もかもよく分からない。なぜこんな物の飼育を許可したのか、なぜこんな所にいられるのか、なぜ、どこにも連絡しなかったのか。

「ありがとう、キクナちゃん!」

 だって瑞葉の家の二階では、今でも父親が死んでいるのだ。

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