第22話 隣のお姉さんはお姉さんしたくてもお姉さん出来ていない


──────ここ、は。


 起き始めの重い瞼に当たる光は原色そのままの橙色。癪にさわる気の抜けたカラス達の鳴き声が夕方なんだと知らせてくれる。


「そう、か……気失ってたのか」


 目に映るのは見慣れた天井。見渡せばいつもの部屋。体を支えるベッドは動く度軋み、かなり使いこまれているのが分かる。

 間違いない、この場所は俺の部屋だ。


「でも、なんで────いったっ!」


 起き上がろうとすると、全身に太い針でも刺さったかのように鋭い痛みが襲った。

 よく見ると、体の至る所を包帯で固定されている。包帯を少し捲ると、痛々しい大きな痣が出来ている。


「これは……しばらくバイトは無理だな」


 こんな体じゃ働くことも出来ないし生活することも難しい。田中さんに連絡しないと。

 携帯は枕元にあるみたいだ。腕を動かすのも一苦労だけど、俺はなんとか携帯を手に取った。


「さて、田中さんに…………連絡必要ないみたいだな」


 一通のメールが受信されていた。田中さんからだ。


『お前を運ぶの辛すぎだったわ! まぁ、入院するほど酷くなくて良かったよ。バイトはしばらく休んでろ。礼は復帰したらたっぷりしてもらえればいいから。それじゃな、神崎さんにもよろしく言っとけよ』


 ここまで運んでくれたのか。これは、相当お礼を弾ませないとだな。


 小さなため息を溢すと、新たなメールを受信した。今度は佐藤さんだ。


『やっほー! いやぁ、ビックリビックリだったよー。でもまぁ、無事で何より! すぐ助けに行けなくてごめんね。こればっかりはウチもふざけられないかな。ほんとに、ごめん。あ、沙耶にはちゃんと声かけてあげてね。あの子、ずっと君の名前呼びながら泣いてたから。それじゃね! また近い内!』


 気にしてないのに……。佐藤さんにも世話になったんだし、また会った時お礼を……借りを作ってほんとに良かったのか不安になってきた。


 それはともかく、神崎さんはずっと俺を呼んで泣いてたのか。相当心配かけていたってことだよな。


「夢で見たみたいに……泣いてたのかな」


 恥ずかしい夢……というよりも、過去の記憶。あの時みたいにずっと泣きじゃくってたのかな。

 確か、あの後病院に運ばれて即入院だったはずだ。治療するため別の病院へ移ったせいで引っ越すはめになって、あの子とはそれっきりだった。

 何年も月日が経てば、印象的な過去やかつて好きだった人も忘れるものなんだな。


「にしたって、盛りすぎだろ小さい頃の俺……」


 まさか先にあんな大胆な告白をしてしまっていたなんて……それにキスまで。穴があったら入りたい気分だ。

 頬が熱くなる。火でも炙られているかのように熱い。

 神崎さんは、このことを覚えてて、そして……。




「好きになっちゃたんだよ────」


「────っ!」


 それは壁からの声。紛れもない、神崎さんの声だ。


「あの時が……好きになったきっかけ。あんなの、好きになるしかないよ……。でも……あんな痛々しい姿は、もう見たくなかった」


「…………」


「何度も何度も立って、私を庇ってくれて……嬉しかったけど……嬉しかったけど! ────もう、あんな光景、嫌」


 声は震え、拒絶が伝わる。

 それは、トラウマを抱えているような物言いだ。


「だから自分を強くしなきゃって思った。神山君といつかまた会える時までに、頼りになるようなお姉さんに。……け、結局全然駄目で変わらなかったけど」


 頼りになるお姉さん、か。

 遊園地で助けてもらった時は、まさにそんな感じだった。希望の光に見えたし、ヒーローに見えたし。

 そんな姿を見て、小さい頃の俺は好きになったんだ。きっと。


 今は……確かに頼りになるお姉さんとは言い難い。放っておけないドタバタお姉さんって感じだろう。


「もっと強く生きなきゃなのに……そう決めたのに……また、しかも神山君に庇ってもらえて……うぅ、ひっく」


 啜り泣く声が聞こえてくる。

 自然と手を伸ばす。指先に触れるのは、ただの壁。

 それでも、彼女を慰めるように壁を撫でる。伝わらないとしても、俺の手は止めない。

 止めてしまったら、きっと、いつまでも泣いてしまうんじゃないかって思ったから。────あの時みたいに。





「よし……よし!」


 ……俺の手は止まった。

 突然、威勢の良い呼び声が聞こえてきたからだ。


「明日も休みだし、様子見てこよう!」


 様子も何も、包帯ぐるぐる巻きミイラ顔負けの格好で痛い痛い言いながら必死に生活しているだけですけどね。


「田中さんと蓮ちゃんは大丈夫って言ってくれたけど……心配で心配で仕方ない! なにより、私がもっとしっかりしていればあんな目に合わずに済んだこと……だから、せめて側にいて」


 それはそれで、こそばゆいというか。嬉しいけど、なんだか落ち着かなくて治るのも遅くなりそう。

 以前、朝食を食べさせた時はなんとも思わなかったけど、今はじっとしていられないかもしれない。




「────看病するぞぉ!」



 ……か、看病?

 側にいてくれるだけでいいんですよ?


「身動きとれないだろうし……ご飯作ってあげたり洗濯してあげたり掃除してあげたり!」


 有難いことなんだ。うん、有難いこと。

 でも、なんだろう……この激しく揺さぶられるような胸騒ぎは。


「あ、包帯も取り替えないと……じゃ、じゃあずっと肌を触るってことで────は、鼻血が」


 あぁ、清潔な白の包帯が、泥のような血で真っ赤に染まりそうだ。


「だ、大丈夫! 昔は神山君のこと助けてあげたこともあるんだし! 今回も、大丈夫! ……多分」


 ……俺は既にメールを打っていた。送り先は田中さんだ。


「えっと、掃除は……全部捨てればいいし、ご飯は無難にお粥! ……作ったことないけど」


 文章は簡潔だ。一瞬で理解出来るだろう。


「洗濯はいつもみたいに纏めて洗えばいいし、それ以外は……アドリブで!」


 痣の痛みが激しさを増す。彼女の言葉一つ一つが傷口を抉っていくようだ。


「よぉし! 明日は付きっきりで面倒見るぞぉ! 私、頑張るっ!」





────明日が怖いから寝てしまおう。


 俺は、まだ夕方にも関わらず、怯えるように瞼を閉じた。眠れなくてもいいから、今は夢の中にいさせてほしいと願って────。







「ん? メール? ……おぉ、神山か。目覚ましたみたいで一安心だわ……。んで、内容は……」






『助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて────』





「────何があった神山あああぁ!?」

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