第21話 隣のお姉さんと俺は過去でもぎこちない


 暗い暗い抜け道を通って、たどり着いたのはどこか懐かしい風景。


 遊園地。ペンキが塗られたばかりなのか、様々な場所が錆もなくカラフルだ。遊具も元気に音を立てて動いている。


「どこぉ……おかあさぁん……」


 男の子が一人、迷子なのか母親を探しているようだ。いつ号泣してもおかしくない、そんな不安に満ちた顔つきだ。

 周りには誰もいない。夕日だけが、ただただ見守っている。


「うぅ……ひっく……あぁぁ」


 もう限界みたいだ。動き回ったのか足は重そうで、転んだのか腕や頬に擦り傷がたくさんで。立ち止まるのも、すぐだった。

 生温い湿った空気と見渡しても誰もいない空虚が重なって、ついにはしゃがみこんでしまう。


「どうして……どこにぃ……うわあああぁぁ!」


 塞ぎこみ、ただただ慟哭。籠った悲痛な叫びは一切届かず、空に消えていくだけ。

 このまま、一人で寂しく、夕焼けの色に溶け込んでいって、この世から消えてしまうんじゃないか。──そう、男の子は思っていたはずだ。




「き、君……だ、だだ、大丈夫?」


 そんな孤独感に襲われている時、一人の女の子が恐る恐る声をかけた。

 顔には相変わらず靄がかかり、誰か分からない。でも、なんとなく、それは親しみのある人だと感じた。




「だ、だれ……?」


「あああ、あ、えと……お、お姉ちゃんは……そう! 君が泣いてる声がしたから……気になって見に来たの」


「──おか…ぁさん、いないの……」


「……はぐれたの?」


 緊張した声色は消え、優しく柔らかい表情と声に変わる。男の子はその表情に安堵したのか、いつの間にか涙は引き、純粋で透き通った宝石のように輝いた目を見つめている。


 女の子は、男の子の手を躊躇もなく当たり前かのように握った。突然なことなのに、男の子は驚きもせず握り返す。


「探そ、お母さん。絶対、見つけてあげるから!」


 自信に満ちた顔つきは、さっきまでのぎこちない作った顔とは真逆だ。晴れ晴れとして、自然な笑顔で、本当の姉のように。

 男の子は口を開かずも、頷いたようについていく。寂しく伸びていた男の子の影は、もう一つの大きな影が重なり、寂しさを感じさせない程大きく大きくなっていた────。



 それからは、日が沈むまで隅々まで探し続け、足が痛くなろうとも二人は走り回った。握った手は決して離さず、必死に、見つかることを願って。


「あ、君達! やっと見つけた……ご家族の方が心配しているよ。さ、行こう」


 作業服を着ている男が、声をかけてきた。汗を垂らして、二人を見た時の安心しきった表情から、この人も必死に探していたんだろう。

 二人は疲れ果て声も出せないのか、男の先導に従って後ろをついていくだけ。そんな中、女の子は乾いた唇を開けた。


「やったね。見つかったよ」


「……うん、お姉ちゃん」


 それ以降、お互いに言葉は交わさなかった。声が出ないなんて理由ではなく、単純に……照れ臭かったから。

 靄が消えていく。その顔は、心にそよ風を当てる程、とても可愛かった。


 母親との帰り道。こっぴどく叱られながらも、不思議と平気だった。何故なら、ずっと……声をかけてくれた女の子のことを考えていたから。


 せめて────お礼くらいは言いたかったな、と。





──────風景が切り替わる。


 今度はどこかの公園だ。何の変哲もない、普通の公園。

 そこには、小学生くらいの男の子達が、一人の女の子を囲んで暴力を振るっている。何度叩かれたのか考えたくもないような、全身に巡るアザの数。罵倒も重ねられ、精神はもうズタボロなはずだ。


 なのに、女の子は抵抗しない。ただ、黙ってしゃがみこんでいるだけ。



「────っ! ──っ!」


 俺の声は届かない。逃げてほしいという願いも届かない。


 どうしてこの子はこんな目に遭わなければならない。どうしてこの子は理不尽に殴られなきゃいけない。


 どうして──。




「────やめろぉ! お前らぁ!」


 悲惨な光景にメスを入れるかのように、その言葉は彼らの耳に届いた。勿論、女の子にも。

 罵倒は男の子に向けられ、矛先が変わる。囲まれ、威圧され、胸ぐらを掴まれ今にも殴られそうだ。


 それでも、目に恐怖の色は無い。相手の目を真っ直ぐ見つめ、敵意を剥き出しにした狼のように鋭い。


「い、いい……から……にげ……」


「逃げないっ!」


 傷だらけの痛々しい体で手を伸ばすも、男の子は拒絶する。


 そして、彼は公園中に響き渡らせるように叫んだ。





「───僕の大好きな女の子に酷いことするなあっ!」


────沈黙。そして、嘲笑。


 こいつは何を言ってるのか、気持ち悪いこといってんじゃねぇ、一つ一つの言葉の槍が二人に突き刺さる。女の子は唖然としながらも、頬を染める。

 彼は違った。言葉による痛みは感じさせず、意思は揺らがない。純粋無垢な、真珠と見間違う程輝いた瞳に迷いはない。


 そんな彼を見て、女の子は何か思い出したように目を見開く。「────あの時、の……」と漏らしながら。




 当然、相当な怒りを買ったせいで、案の定男の子はボロボロになるまで殴られ続けた。女の子のようにアザだらけになり、口も切って血が垂れ流れる。


「も、もういいわ! お前らキモいんだよ!」


何度も何度も、目に光を失わず立ち続けた男を見た彼らは、逃げるように去っていく。

残されたのは、ぼろ雑巾のように汚れた二人だけ。女の子は駆け寄る。


「どう……して、なん……で」


「よかっ……た……ぶじ、で」


「なんでぇっ! 私なんか……構わなくていいのにっ!」


 大粒の乾いた雨が彼に降り注ぐ。瑞々しい肌はそれを弾く。どうして泣いているのか理解出来ないように。



「────僕、お姉ちゃんのことが……好き。ケッコン……したい……それ、くらい……好きに、なっちゃった」


「──────っ! あああぁ……何をいって」




 不意に彼は唇を重ねた。延々と泣き続ける彼女を慰めるように。


「なに、を……」


「笑って……笑った顔が……好き、だから────にー!」


 表情を作るのも痛くて痛くてしょうがないはずなのに、無理矢理口角をあげて笑顔を作った。

 咲き始めの花のように晴れ晴れとしていて、彼女もつられていく。


「に、にー?」


「うん……にー!」


「────にー!」


 魔法の言葉を言い合い、互いに笑い合う。誰も邪魔が入らない、二人だけの空間が小さく出来上がっていた。




 こんなこともあったな。すっかり、記憶の片隅へ追いやられていたようだ。

 いつしか、その想いは心のどこかで鍵をかけてしまっていたんだろう。


────光景は光に包まれていく。


 あぁ、長い長い夢はそろそろ終わりを迎える。そろそろ、戻ろう。




 真っ白な世界に飲まれ、仮初めの意識は一瞬にして消えていった。

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