第19話 隣のお姉さんの弁当が理想的且つ普通


「まったく……酷い目にあった」


「ですね。ま、まぁ、目の保養に……あ、いやなんでもないです」


「安心しろ、誰もお前を引いたりしねえよ。……俺なんて鼻血吹いて倒れちまったからな」


「あれは……悲惨でしたね」


「ま、過ぎたことはいい。今は……飯だ!」


 浮かれた学生のように騒ぎ、周りに迷惑をかけつつ大事件を起こしてしまった怒濤の午前。周りの視線は尋常じゃなく、遊ぶどころではなかった。

 気付けば昼時。軽食スペースも備えられ、ちらほら人がそちらに流れていく。俺達のお腹も素直だったため、昼食を食べることになったのだ。


「にしたって、まさか弁当を作ってくれてるとはな」


「ええ、ほんとに。確か佐藤さんは寿司屋で働いてるんですよね? この前食べた海鮮丼も美味しかったし、期待出来そうです!」


「あいつは料理だけが取り柄だからなぁ。ま! 期待しておこうぜ!」


 神崎さんと佐藤さんは弁当を作っていたらしく、今はそれが来るのを男二人で待っている。席は昼時の人の多さに関わらずスムーズに確保出来た。……田中さんがいるだけで人が避けていくからなぁ。

 佐藤さんは期待出来るとして、問題は神崎さんだ。料理が壊滅的に出来ないのは知っている。事前に弁当の作り方を悩んでいたのは壁越しに聞いていたけど、無事に作れたんだろうか。


「お、噂をすれば……おーい! こっちだ!」


 見ると、人混みの中から佐藤さんが手を振ってこちらに歩いてくる。隣には神崎さんも一緒だ。

二人はそれぞれ弁当箱らしきものを持っている。 神崎さんは小さめの大きさ、佐藤さんはかなり大きめの大きさだ。まるで、玉手箱を持ってくる竜宮城の姫みたいだ。


「おっまたせー! ほぉらっ! ウチが心を込めて握った弁当だ! 食べな食べな!」


 近くで見て分かったことが、この箱は三段重ねの重箱だったということだ。確保した席の円形テーブルを軽くはみ出している。


「で、デカイな……ま、まあ食べられればいいか! どれ、中身は────なっ!?」


「ん? どうしまし……えっ!?」


 俺達は驚愕したと同時に絶望した。お昼は抜きになるかもしれないと。

 何故なら、重箱に入っていたのは……いかにも常温で長時間放置してぐったりした、寿司だったからだ。


「お、お前、なんで寿司なんだよ! しかも全部イクラってなんだよ!」


「ウチが好きだから!」


「自分の好みじゃねぇか! 暑い中放置してたみたいだし……これは食べられ」


「うっ……ひっく……」


 急に手で顔を覆う佐藤さん。どう見ても嘘泣きだ。


「れ、蓮ちゃん!? ど、どうしたの!?」


「うぅ……せっかく作ったのに……裕太が食べてくれないってぇ……」


「そ、それは酷い! た、田中さん見損ないました!」


「えぇ……」


 台本でもあるかのように神崎さんも茶番に付き合いだした。そうか、事前に打ち合わせをしていたやつだなこれは。


「うぇぇぇぇんっ!」


「田中さん!」


「────あぁもう! わぁったよ! 食べればいいんだろ食べれば!」


 流石の田中さんも、この状況はなんとか出来なかったみたいだ。田中さんは重箱を片手で持ち上げ、佐藤さんの手を強引に握った。


「神山! お前はここで神崎さんの弁当食べてろ! 俺はこの弁当を……出来るだけトイレに近い場所で食べてくる……行くぞ蓮華!」


「あ、ちょっと急に引っ張んないでよー! あ、沙弥! また後でね! ……ちょ、無理矢理引っ張んないでよー!」


「うるせぇ! お前のやっちまったことは全部俺が片付けてやるっつったろ! いいから見てろ!」


「あ──────うん!」


 爽やかで涼しい風でも吹いてきたのか、佐藤さんは一瞬固まった。頬が緩んだのはそのすぐ後だ。何かを思い出したように、そして嬉しそうに田中さんの手に引かれていった。


 残されたのは、俺と神崎さんだけだ。


「えぇっと……行っちゃいましたね」


「は、はい……あ、す、すす、すいませんっ! つ、つまら、ないものを……見せてしまっ……て……どうしてもって、蓮ちゃんが……」


「あはは、大丈夫ですよ。……あ、そろそろお腹が減ってきたなぁ……なんて、えへへ」


「あぁ、そ、そうでした!」


 そう言うと、慌てて対面の椅子に座り、こじんまりとした緑の弁当箱をテーブルの中央に置いた。小さいといっても、一人分くらいのご飯やおかずは入る大きさだ。


「ど、どうぞ! め、めめめめ、召し上がりくだしゃいっ! あ、保冷剤で冷やしていた……ので、大丈夫、かと!」


「は、はい!」


 どうやら、緊張が遅れてやってきたようだ。

考えれば、この弁当は神崎さんの手作り。海鮮丼は佐藤さん、カレーはほぼ自分……つまり、やっと手料理を食べられるということなんだ。

 恐る恐る蓋を開けていく。ちゃんと出来ているか、それとも食べれない何かなんじゃないか、でも好きな人の手料理をやっと食べられるんだ……様々な思考が頭で交錯する。


「……おぉ」


 ────杞憂だったみたいだ。


 だし巻き卵、唐揚げ、ミートボール、ブロッコリー、ミニトマト、そぼろご飯。バランスも良く、よく見る弁当そのものだ。

 一つ言えるなら、だし巻き卵と唐揚げだけは見た目が悪い。卵は綺麗に包まれていなくぐちゃっとなり、唐揚げの衣も不十分でほぼ生の鶏肉だ。


「卵と唐揚げは自分で作ったんですか?」


「え、えぇ! 蓮ちゃんに聞いたり、ネットで色々調べて……頑張って……作り、ました! ……他は買ったものだけど……」


「凄いです……ちょっと不格好ですけど、とっても美味しそうですよ!」


「はひゃっ!? あ、あ、あああああ、ありがと、うございま……すぅ……うへへぇ」


 例え見た目が悪くても、味が悪くても、今はこの弁当を作ってもらえたことが一番嬉しい。慣れないことなのに、この日のために……。


「雛は成長するもんだなぁ……」


「ひ、雛? って、な、何泣いてる……んですかぁ!?」


 つい、嬉し泣きをしてしまっていたようだ。朝食を食べに押し掛けてきた頃より遥かに成長したなぁ……と。


「すいません、えへへ。じゃあ、いただきますね! ……あれ、そういえば神崎さんの分は?」


 よく見ると、神崎さんの分がない。この弁当は完全に一人分だ。まさか……半分子ってやつだろうか。


「え……あ、あぁ! す、すす、すっかり私の分を忘れて……ました……。す、すいません! と、と、取りにいってきまぁすっ!」


 流石に半分子ではなかったようだ。内心、少し寂しく感じてしまった。

 神崎さんは慌ただしく席を離れ、人混みの中へと消えていった。俺は神崎さんの後ろ姿が見えなくなるまで見つめ、唐揚げを口に入れた。




「……やっぱり少し生」









 ……褒めてもらえた褒めてもらえた褒めてもらえた褒めてもらえた褒めてもらえた褒めてもらえた!


 もう……心臓が持たないくらいドキドキしてる。このまま、本人に好きって言っちゃいたいくらい。あぁ……顔の火照りがおさまらないよぉ……。



「頑張ったかいあったな……」


 頑張って良かった。本当に。何度も何度も失敗はしたけど、その数々の失敗が成功したってことなんだきっと。……まだまだ完璧ではなかったけども。


 よぉし! お弁当取ってきたら一緒に食べていっぱいお喋りするんだ! それで、良い雰囲気になって……えへへぇ。





「────ちょっとすいませぇん、お姉さん一人ですかぁ?」


 野太くもねっとりとした声が、私の耳に入る。見ると、私より遥かに背が高いいかにも不良な男達だった。

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