第18話 隣のお姉さんはハプニングが日常茶飯事


「もう少し! もう少しですよ!」


「は、はは、はいぃっ!」


 水飛沫が体に当たる。神崎さんは水面で脚をばたつかせ、何度も息継ぎを繰り返している。俺はそんな彼女の両手を掴み、溺れないように支えている。


「……ぷはぁ、はぁはぁ」


「手、そろそろ離しますよ!」


「は、ふぁいっ!」


 フォームは出来ている。脚は内股でリズムよく水を蹴り、腕も真っ直ぐ伸びている。息継ぎも楽に出来てきたようで、あとは手を離せば自然と泳げるだろう。

 俺は掴んでいた手をゆっくり離した。






 ────神崎さんは沈んでいった。徐々にではなく、一瞬で。

 重りでも積んでいるんじゃないかと錯覚してしまうほど。


「神崎さん!?」


 沈んでいく彼女の手を引き、陸に上げた。泳げないと聞いて遊ぶついでに練習に付き合っているけど、これは中々時間がかかりそうだ。

 今いる場所は底が深い大型プール。底が浅く、人も疎らな流れるプールに移動した方がいいかもしれない。


「ごほっ、けほっ、す、すいませ……こほっ」


「大丈夫ですか? やっぱりここは底が深いですし、移動した方が……」


「い、いえ! だ、だだ、大丈夫です! 私……ここで、神山君に、泳ぎ方教えてもらってるのが、幸せ……ですから───」


「────っ」



 気が緩んだ隙を縫って右ストレートを直に貰った気分だ。この人は無意識に気恥ずかしいことを自然と言うからいつも驚かされる。


 好きになってしまった今は、尚更だ。


「ど、どうしまし……た?」


「な、なんでもないです! 分かりました、じゃあ今日はゆっくり神崎さんに付き合うということで!」


「は、はい! すいません……我が儘……みたい、で。せっかくプールに来たのに……」


「いいんですよ! 俺も神崎さんとこうしてのんびり話しながら過ごすの好きですし、楽しいですから!」


「すっ、すすすっ! ……はわわぁ……」


 頭から煙の塊を出し、同時に顔が赤くなっていく。あぁ、親の顔より見た顔とはこのことを言うんだな。





「────下にいる人ぉ! 今からウチが降りまぁすっ! どいてくださーい!」


 山の頂上から響き渡るのは、聞き覚えのあるハスキーボイス。声を聞いた人達は、水をかけられ分散して逃げていく蟻のようにゴールから離れていく。

 見ると、佐藤さんが仁王立ちしながら下を見下ろしている。佐藤さんの足元には田中さんが震えながら待機している。

 容易に想像出来る。田中さん……無理矢理連れられたんですね! 佐藤さんに血相を変えて色々文句を言っているようだけど、一切届いていないようだ。




「よぉし! ウチ──────いってきまぁぁぁぁあすっ!」


「あああああああああああああぁぁっ!」


 二人は歓声と悲鳴を織り混ぜながらスタートした。

 滑走路が揺れるほど激しく動きながら滑っているようで、下にいる係員が不安そうな顔をしている。加速が重なっていき、跳ねた水が俺達の方まで飛んできた。


「速すぎないか……あれ」


「で、ですよ……ね」


 既に、残像が残る程の速さまで到達してしまっている。例えるならボブスレーの滑りそのもの。着弾するまで数秒といったところだろう。

 俺達含め、周りの人達も心がざわめきだしているようだ。




「────いぃぃぃっやぁっほおおぉぉぉおっ!」




 着弾──。

 水面は激しく揺れ、小さな波が発生し、水飛沫がプール一帯を覆った。波のせいか、周りが一斉に体を押され、俺達は人の波に飲まれていく。


「神崎さん!」


「あぁぁあああっ!」


 神崎さんは肉と肉に挟まれていき、見失ってしまった。手を繋いでいればよかった……。


「神崎さーん! どこですかー!」


「よっすー!」


「おぉっわっ!」


 水面からモグラのように出てきたのは、今の状況を作り出した原因かつ元凶の佐藤さんだった。手には、ブクブクと泡を吹いて気絶している田中さんが頭ごと掴まれている。

 田中さん、御愁傷様です────。


「なにしてんの?」


「貴女が無茶なことするから神崎さんとはぐれちゃったんですよ!」


「あー、ごめんごめん! あっはっはっは!」


 駄目だ、この人に罪悪感というものが微塵に感じられない。


「早く探さないと……」


「沙耶はー……あ、いたいた!」


 早くも見つけたらしい。流石親友といったところだろうか。少し、羨ましく思ってしまった。


 指をさす方向を見ると、陸でしゃがみ込み前を両腕で隠しているようだ。俺達はすぐに駆け寄った。


「大丈夫でしたか!? はぁ……はぐれたから心配して……ん?」


 身を震わせ、まったく動こうともせず俯いている。全身真っ赤だ。

 よく見ると、脇の下を通って背中で結ばれていた水着の紐が見当たらない。佐藤さんは何かに気付いたようで、腹を抱えて笑い出した。


「あ、あのぉ……」


「え、ええええ、ええとぉ……」


「さ、さ、沙耶ぁ、あはは! あんた……くっ……上の水着どっかやったっしょ!?」


「はひゃぁあっ!」


 あぁ、正直気付いていた。でも、あえて言わないようにしていた。恥ずかしいだろうし、早く誰にもバレずに更衣室に戻りたいだろうし……と。


 そんな俺の気遣いは、この女が全て破壊していきやがったのだ。


「佐藤さん! 直接言っちゃ駄目でしょうが!」


「ほおら! 神山君にもバレてる!」


「ほひゃああっ!」


「もおっ! 田中さんからも何か言ってくだ……」



「……………………」



 くそっ! 使い物にならねぇ!


「────沙耶!」


「ひゃいっ!」


「ウチのロッカーにスペアの水着あるから着てきな! ほら、鍵!」


「え、え、ひゃんっ!」


 投げられた鍵は、両手の塞がっている神崎さんの後ろ首に当たった。慌てて拾おうとするも、胸を隠しながらなせいかぎこちない。

 鍵を掴むと、佐藤さんに涙目で視線を向けた。


「GO! 沙耶!」


「────す、す、すぐもどりまぁぁぁぁぁああすっ! うわあああああぁぁぁぁっ!」


 プールの水よりも乾いた水を、目から撒き散らしながら、土埃を上げて走っていった。


「さぁーて……ちゃんと着てくれるかなぁ?」


 ニヤニヤしている佐藤さんを見ると、嫌な予感がしてしょうがない。水着、無難なことを祈るしかない。








「早く! 早く着替えないとっ!」


 私は走った。更衣室へ、迷いなく。息を切らして全力で。

 入ると、同性だけしかいないという安心感からか胸を隠していた両腕は自然と降りていた。足取りも軽くなり、気持ちに少し余裕が生まれた。


「えと、蓮ちゃんのロッカー……あったあった!」


 貰った鍵で開け、蓮ちゃんのバッグから予備の水着を取り出した。


「よし、早く着替えて戻らないと!」


 余裕が生まれたとしても、待たせてしまっていることに変わりはない。私は素早く、新しい水着に着替えていく。


「あ、上下一緒じゃないと変だから、下も変えないと」


 この水着は黒で、着ていた水着は緑。上下の色を合わせないと、かえって目立ってしまう。色がバラバラでもいいけど、そこまでのセンスは私にはない。


「……なんかスースーする……」


 なんだろ、なんだか風当たりがいい。さっきより涼しく感じる。


「まぁ……いっか! よぉし! 着替えた着替えた! 早く戻ろ!」


 私は、着替えた水着を見ずに、皆の元へ走った。いくつかの、違和感を感じながら。








「まだですかね」


「すぐ来るでしょー。……そんなに沙耶の水着姿が恋しい? んー?」


「ちょ! そんなわけっ! ……あ、るかも……ですけど」


「はっはっは! 素直で結構結構!」


 やっぱりこの人は怖い。姉御肌で頼りになる時はあるけど、何もかも見透かされているようで怖い。よく仲良くやっていけてるよ神崎さん……。


「いつから、仲良いんですか?」


「んー? そうだねぇ、中学の頃からだったかな」


「そんな前からだったんですか」


「うん。初めて見た時、なんか悪い女子グループにからかわれててさー。見ていられなくなって助けたら、その日からずぅーっとアヒルの子みたいについてくんの!」


 あー、想像出来る。トコトコついてきて、前が立ち止まるとピタッと止まる。一人になるとオロオロしだして、佐藤さんを探す。

 今もあまり変わらないところを見ると、頬が緩んでしまう。


「最初は鬱陶しくて堪らなかったんだけど、段々慣れてきちゃって。最終的には可愛くてしょうがなくなってしまったわけ。そこからもうズルズルとこの関係は続いたかな」


 天井を見上げる佐藤さんの目は、その先の青い空を見ているようだ。空へと消えていった過去を思い出すように。


「だぁかぁら!」


「へっ?」



「────可愛い可愛い大事な沙耶を泣かせちゃ……メ! だからね!」


 俺の下唇に人差し指を置いて告げられた言葉は、ふざけてるようで真剣に感じられた。妙に色っぽくて、気を抜くと心を掴まれそうだ。


「お、沙耶来たみたいだね。おーい! って、はぁーっはっはっは!」


「え、何を笑って……え、えぇぇっ!?」


「お待たせしましたぁー! ……ど、どうした、んです、か? 横向いて……や、やっぱり前の水着の方が!」


「あ、いやいやいや違うんで……いや違わないけど……って違う違う違う! ちょ、直視出来ません!」


 彼女の着ている水着は、あまりにも裸に近い。胸は先端しか隠れてないし、下なんて葉っぱ一枚つけてるようだ。

 こんなの男子には耐えられないし直視出来ない!


「え、え、えっ」


「おぉ……あ、俺気絶してたのか……おうお前らどうした……ぶふぉっ!」


「田中さんっ!」


 せっかく起きたのに、鼻から夥しい血飛沫を上げて、また気絶してしまった。それくらい目に良い……ヤバいってことだ!


「ほ、ほんとに着るなんて……はっはっは! 自分の姿見てみな!」


「え────────ひょえええええええぇぇぇっ!」


 あらゆる目線が神崎さんに突き刺さっていく。ヒソヒソと囁かれ、子供には指をさされ、男達は下を隠している。


 そして、聞き慣れた絶叫がプール内に響き渡るのだった。





「────いいいぃぃぃやああああああああああぁぁぁぁっ!」

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