第15話 隣のお姉さんが寝かせてくれなくて辛い


「水着……水着……」


 ほとんどの人が寝静まるだろう深夜零時。聞き慣れた声はいつも通り隣から聞こえてくる。

 水着、水着、と呪文を唱えるかのように同じ単語を繰り返しブツブツ呟いている。まるでこれじゃ、ホラー映画のワンシーンだ。


「水着……どうしよう」


 声は震え、うつ伏せのまま声を発しているのか籠ったように聞こえてくる。それに時々、ゾンビのような呻き声も聞こえ、俺の眠気は遠退くばかりだ。勘弁してほしい。

 いったいどうしたというのか。もしかして、水着を一着も持っていないとかだろうか。




「─────買いにいくの、怖い」


 そっちだったか。確かに、神崎さんは極度の上がり症だし、水着を進んで買いに行くイメージは浮かんでこない。

 でも、いつもお洒落な服装に身を包んでいる様子を見ると、実は服屋に行き慣れてるのかもしれないと微かに思っていた。


「普段の服はいいけど……水着は…………選び方が全然分からないし、店員さんが目をギラギラさせてくるから買いづらいんだよなぁ……」


 男は適当な海パンを買えばいいだけだから簡単だけど、女性はそうもいかないってことか。実際、数えきれない程の種類があるみたいだし、色やデザインも色とりどりで選ぶのに時間がかかりそうだ。

 時間がかかると近くの店員さんが寄ってきて、囀ずりながらあの手この手で適当な水着を買わせるんだろう。


 もし、神崎さんが店員に言い寄られたら────あぁ、全速力で逃げ出しそうだ。


「でも、神山君とプール行きたいし……一緒にのんびり泳ぎたいし……」


 勿論、俺も同じ気持ちだ。

 そして……水着姿が見たい。さっきから神崎さんの水着姿が頭でちらついてしょうがない。やっぱり緑色かな、それとも白かな、なんて気持ち悪い妄想をしている俺はどうかしている。


「よし! ここは蓮ちゃんに頼んで一緒に行くしかない!」


 名案です神崎さん! 俺は無意識にガッツポーズしてしまった。どれだけ見たいんだ俺は。  あぁ、目の前に俺がいたらぶん殴ってやりたい気分だ。


「───あ、もしもし蓮ちゃん?」


 今かけるの!? もう深夜だよ!? ま、まぁ、佐藤さんならこの時間起きてそうではあるけど。


「うん……うん……水着一人だと買いに行けなくて、お願い出来る……かな?」


 その時、俺の手は素早く携帯を掴んだ。疾きこと風の如く、俺の親指は文字を一つ一つ正確に素早く入力していく。文面はこうだ。


『お願いします。神崎さんと水着を選びに行ってあげてください。これは男としてのお願いです。見たいです、本当に。本当に、本当に。』


 よし! 




 ─────いや、よしじゃないだろ俺。

 我に返るのはもう手遅れで、既に送信ボタンを押していた。勿論宛先は……佐藤さんだ。




「……えっ、えっ、なんで笑うの!? 笑いすぎだってば!」


 神崎さん、安心してほしい。佐藤さんが笑っているのは貴女のせいじゃない。全て、本能に屈服した哀れで滑稽な男の手紙によるものなんだ。


 ……笑いすぎです、と追加で送信しておこう。



「もう……えっ、行ってくれるの? ほんと!? はぁ……良かったぁ……」


 ミッションコンプリートだ。今の俺ならどんな難解な任務でもこなしてみせるだろう。それくらい、俺の頭は今おかしくなっているみたいだ。


「うん、うん! じゃあ次の休みにね! …………ふえっ!?」


 急に変な声を出してどうしたというんだろう。

まぁ、恐らくは佐藤さんがまた変なことを吹き込んだんだろうけど。


 神崎さんも安心したろうし、俺はもう寝ようかな。明日も早いし、このままぐっすりと……。




「わ、私が神山君を……悩殺!?」



 ……まだまだ寝られそうにないみたいだな。


「わ、分かった……頑張ってみる……」


 頑張るんですか神崎さん!? 悩殺……想像がつかない。

 神崎さんは人前でそういうことが出来るキャラではないことは前々から知っている。例え頑張ろうにも、空回りしそうで若干不安だ。


「えっ? まずは───お! おおおおおっ! 押し倒す!?」


 最初からクライマックスだったぜ。色々すっ飛ばしている気がしてならない。


 佐藤さんにメールを送っておこう。『控えめに……というか無茶なこと言わないように』、と。




 ……お、返信が来たようだ。内容は……。


『おっけー! 任せて!』


 どうやら、ちゃんと伝わったようだ。これなら、神崎さんにこれ以上変なことを吹き込まないだろう。




「───ふぁぁあっ!? 押し倒したあとは、む、むむむ、胸を押し付けて誘惑するぅぅう!?」



 何が任せてだあの人ぉ!

 

 ───思わず携帯をベッドに叩きつけてしまった。思い切り振りかぶって投げたせいか、少し画面に傷が出来てしまったようだ。

それもこれも、全部佐藤さんって人のせいだと思っておこう。



「う、うん……転んだと見せかけて押し倒して……うまく立てないって言ってずっと密着させる……わ、分かった! やってみる!」



 やるの!? 意外に乗り気な神崎さんに、俺の心臓は持ちそうにない。

 俺は顔を両手で覆った。顔が熱すぎるからだ。


「え、それから────」


 まだ何かあるっていうんだろうか。そろそろ勘弁してほしい。これ以上何かあれば、朝まで眠れなくなりそうだ。






「────────ふぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 蒸気機関車が煙を吹かしたように轟く絶叫が、壁を破壊する勢いで聞こえてきた。相変わらず、鼓膜がひび割れていく感覚を味わえる叫びだ。最近は心地良いとも思えてきた。



「あぁ……あへぁ……」


 今度は奇妙な声が聞こえてきた。直前に、倒れるような物音も聞こえ、恐らく神崎さんは今みっともない格好で気絶しているんじゃないだろうか。


 俺は佐藤さんに『何を吹き込んだんですか!?』とメールを送った。すると、すぐに返信が返ってきた。




『キスしてそのままイケないことしちゃえ! って言ったよー! 私ナイスアシスト!』


 バッドアシストだよ馬鹿ぁ!


 ────また、携帯を叩きつけてしまった。ついに亀裂が入り、次やればきっと粉々に砕けてしまうだろう。




「はぁ……」


 ため息しか出ない。

 神崎さんが気絶したのなら、自分は今度こそ寝てしまおう。水着も買いにいけるようになったみたいだし、一件落着。


 重くなってきた瞼を閉じると、すぐに意識が遠退いていった。内心楽しみにしている、神崎さんの水着姿を浮かべながら────。






「────はっ! お弁当も作らないと! ……作り方、誰か教えてええええええっ!」



 ───どうやら、今夜も徹夜になりそうです。

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