第14話 隣のお姉さんは電波を通してもうるさい
────暑い。
目の前の風景が歪む。コンクリートの地面を歩いていると、熱された鉄板の上を歩いているような感覚に陥りそうだ。むせかえりそうな草木の匂いとサウナのような重々しい空気が、体を溶かしていく気がしてならない。
通りすがる人は皆薄着で、額の汗をハンカチで拭っている光景が何度も目に入る。もうすっかり、真夏なんだと気付かされる。
「暑いなぁ……おい、大丈夫か? 生きてるかー?」
「な、なんとか……」
俺と田中さんは、絶賛仕事中だ。
この炎天下の中、男二人でせっせせっせと外に出て、カートに積み上げられた荷物を運ぶ。中身がジュースなだけに、カートを押すのにも一苦労で、力を入れる度汗が吹き出す。
届け先は近くの大型プール施設。一年前に建ったばかりで、まだ目新しさを感じる。以前町にあったプール施設が老朽化に伴い解体され、それから遊泳するなら遠くにある海に行くしかなかった。
そんな中、満を持して建ったこの施設には、夏になると毎日のように大勢の人だかりが出来ている。きっと、今日もかなりの人の多さなのだろう。
「しっかし、なんで俺達が運ばなきゃならねぇんだ……普通取りに来るだろ?」
「ですね……確か電話で、忙しくて手が回らないから届けてほしいって言ってましたよ」
「ふざけんな! だったら忙しくなる前に取りに来ればいいじゃねぇか! ああ……くそっ!」
異常な暑さのせいか、田中さんはいつもより苛立っているようだ。迫力あるヤクザ顔負けの顔が更に強化されているようで、前を歩いている人がいれば、怯えたように道を譲ってくれる。
そのおかげか、予定より早くに目的の建物が視界に入ってきた。
「着きましたね、やっと」
「お、おぉ……やっと、な」
担当の人とは裏口で受け渡しとなっていた。関係者しか入ることが出来ないせいか、正面入口の行列を見ると天と地の差がある。
「行列凄いですね」
「あぁ……金払ってこんな糞暑い中長時間並ぶなんてアホだな」
「いやいや、その先に待っている涼しくて冷たい水に浸かって、ワイワイ遊ぶ妄想が原動力なんですよ」
「いいよな……夏休みの学生はよぉ」
並んでいる人はほとんど学生に見える。暑い中、無邪気に喋りながら並ぶ様子は、若さの体力を感じる。俺もまだ若いけど、流石にあんな若々しい幼顔の集まりには当然劣るだろうな。
「───どうもぉ! いやぁ、すいませんね! ここまで運んでいただいて!」
荷物を注文してくれていた担当者がやってきたようだ。
小太りの中年で、お腹がはち切れるかと不安になるくらいサイズギリギリの海パンを履いている。ここは管理者までもが水着にならなきゃならないのだろうか。膨れ上がった卵のようなお腹が波を打ち、この暑さと相まって苛立ちを覚えた。
よく見ると、海パンに小さく的場と書かれている。確かに、大きくて良い的になりそうだ。
「えぇ、大丈夫ですよー? はっはっは!」
愛想笑いをしているつもりなのに、田中さんの表情は般若の面のように厳めしい。
「あ、あの、怒ってません?」
「いえいえ、怒ってませんよー。はっはっはー」
「ひえっ!」
「すいません、商品お持ちしましたので、お受け取りお願いします」
「あ、あぁ、はい」
怯える的場さんを促すと、手伝いを呼んですぐに回収してくれた。あとは代金をいただいて帰るだけだ。
「…………はい、ちょうどお預かり致します。それでは、ありがとうございましたー!」
「あ、ちょっと待ってください」
呼び止めてきた的場さんの手に握られていたのは、四枚の紙切れみたいだ。それを俺達に差し出してきた。
「これは……なんでしょ」
「ひぃっ!」
「田中さんは俺の後ろにいてください。えっと、これは……?」
ブツブツ文句を言いながら田中さんは俺の後ろに隠れた。顔のせいで話が続かないからしょうがない。
「あ、あぁ、チケットですよ! このチケットがあれば、無料でこの施設に入ることが出来ますよー!」
「ほんとですか! じゃあ……それを、私達に?」
「えぇ! ここまでわざわざ運んでくださったんだ、これくらいお礼をしないと! 四枚ありますので、ご家族やご友人を連れて是非いらしてください!」
「無料でですか!」
「ひぃ!」
「脇の下から顔を出さないでください田中さん! あ、ありがとうございます! ありがたく頂きます」
手を振る的場さんに頭を下げ、俺と田中さんは元来た道を戻っていた。
鉛のように重かった荷物がなくなり、カートが軽くなった感覚だ。羽でも生えたみたいで、スムーズに押せる。
「それ、どうするんだ?」
「チケットですか?」
「そう。お前、あの子と行くんだろ?」
……鋭い。
その通り、誘うつもりだった。少しでも仲良くなりたいし。
「はぁ……お前はいいよなぁ、相手がいてよー」
「いやいや! まだそういう関係じゃ!」
「お前らもう出来てるみたいなもんだろ! はぁ……俺の隣にも可愛い子来ないかなぁ」
「ウチがいるじゃない」
「そうそう。お前みたいに顔が整ってて体型がモデルみたいで……って」
「「───うわああああぁぁぁぁっ!」」
突然、聞き覚えのある声が背後から聞こえたと思ったら、佐藤さんその人だった。
二人してまったく気付かず、互いにお化けでも見たんじゃないかってくらい絶叫してしまった。
「ちょっと! 失礼だなほんと! 人をお化けみたいに」
「いきなり真後ろから声かけられたら驚くわ馬鹿!」
「そ、そうですよ!」と、息を整えながら田中さんに同調した。
すると、佐藤さんは不適な笑みを浮かべた。本物の悪魔のように。
「話、聞いてたわよ。そのチケットのこと」
「なん……だと……」
どこかの漫画に出てきそうな反応で、田中さんは驚愕しているようだ。
もしかして、佐藤さんは荷物を運んでいる時から俺達を見ていたのでは。そう思うと、まったく気配を感じさせなかった佐藤さんは忍者か尾行の才能があるんじゃないだろうか。
「それ─────ウチらも行く!」
「────はぁ!?」
「いいでしょ! プール入りたいんだもん!」
「わ、我が儘言うな! お前が来たら楽しいものも楽しくなくなるじゃねぇか!」
「えー、ひどーい。……私の水着、久しぶりに────見たくない? 裕太」
「なっ……なっ……」
腰をくねらせ、大きい胸を強調しだした佐藤さんは、自身の体が最大で最強の武器だということを理解しているみたいだ。
田中さん……駄目だ、呆けた顔になっている。きっと、佐藤さんの水着姿を想像しているんだろう。鼻の下が伸びすぎだ。
「うへぇ……って待て待て! もう俺達は終わったんであってだな!」
「ダ…………メ?─────」
「─────っ!」
あ、田中さんの心臓に矢が刺さった。一本じゃなく、何本も。
これは────落ちたな。
「……はぁ……分かったよ蓮華、連れてってやる」
「よっしゃ! 流石は裕太!」
「ただし! 変なことするなよ!」
「分かったってー! もう信用ないなぁ」
そう言うと、後ろポケットから携帯を取り出した。何やら、どこかへ連絡しているみたいだ。
「そ、そういえば、ウチらって言いました?佐藤さん以外に誰が……」
「んー? もち、沙耶だよさーや!」
「ふぁっ!?」
心臓を鷲掴みにされた気分だった。
薄々感じてはいた。でも、やっぱり名前が出ると落ち着かなくなる。元々誘おうとは思っていたけど、こんな急に連絡して大丈夫だろうか。
「……あ、沙耶? ウチウチ蓮華ー! いやね、それがさ」
来てくれるのか少し不安になっている自分がいる。こんなに暑いのに、鳩尾の辺りが妙に冷えてしょうがない。
様子を見ていると、不意に「ほれ」と佐藤さんが携帯を画面が見えるように見せてきた。画面にはスピーカーモードと表示され、神崎さんの声がノイズ混じりに聞こえてくる。
「沙耶ー、プール行こうよー!」
『えっ……で、でも……人多いし、水着買い直さなきゃならないし……悪いけど、今回は……』
「神山君来るってよ……」
『え』
「だーかーら、神山君が来るって言ってんの! さ、どうする沙耶ぁ?」
『え、えっ、へっ』
眉を曲げ、口元を歪ませた奇怪な笑顔をさせながらこちらを見ている。
あぁ、お前が直接誘えってことか。田中さんに目線を送ると、「なんかすまん」と謝られてしまった。
「え、えと……神崎、さん?」
『ふぇ、えっ、そこに……ふぁっ!?』
「もしよかったらなんですけど、プール一緒に行きませんか? 佐藤さん、田中さん、俺、神崎さんの四人で」
『え、えっと……』
「あ、無理はせずにですよ。出来れば一緒に行きたいなぁって思って」
『い、一緒、に……あわわわ……で、でも、わた、し……』
渋っている神崎さんの声が耳に入る中、不意に佐藤さんは携帯を自らの耳に当て、こちらに聞こえないくらい小さく口を動かし何かを伝えだした。気味の悪いニヤつきはそのままに。
「神山、きっと彼女来てくれるぞ」
「えっ、でもなんか行きたくなさそうでしたよ」
「まぁ、待ってれば分かる」
田中さんは既にこれは決まったことなんだと言わんばかりに、腕組をして澄ました顔をしている。
少し待つと、再び携帯を目の前に出してきた。『あぁぁ……あぁあ』と呻き声が電波を通して流れてくる。いったい何を吹き込まれたのか。
「沙耶ー? もう一度聞くね? ─────プール、行こ?」
「む、無理強いはよくないで……」
『─────い、いいいいいい、いきまあああああああぁぁぁぁぁすぅぅぅうっ! いかせてくださぁぁぁぁぁぁぁああいっ!』
鼓膜が破れるかと思うくらいの叫びが辺りに響き渡った。耳を塞いでも、残響が中で駆け巡っているようだ。
いったいどんなことを吹き込んだっていうのか……佐藤マジック恐るべし……。
こうして、俺達は四人でプールに行くことになったのだった。
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