第13話 隣のお姉さんと俺は決意する


 言ってしまった────。


 後悔の念が頭の中で渦を巻いている。固まった空気は、夕方の蒸し暑さに関わらず凍ったように冷えていく。


 お互いに顔を合わせる。彼女の目は大きく開き、大きな黒目が俺を吸い込んでいきそうだ。


「あ、あの、それはです……ね」


 たどたどしい物言いは、普段の神崎さんと同じようだ。それほど、俺は動揺している。


 弁明をしようと、納得させる言葉を検索し繋ぎ合わせ文章にしていこうにも、どうも上手くいかない。全て、追い討ちをかけてしまう文章になってしまいそうだからだ。


「───なん、で」


 彼女はゆっくりと俯き、閉ざしていた唇を動かした。肘は伸び、肩も張り、握るスカートの手は、段々と強くなっていく。スカートの皺が増える度、俺の心は痛みを増していく。


「え、えっと……人として好きでいてもらえてるんだろうなぁ……って意味、ですよ!」


「人、として?」


「そうそう! 人として! ここまで気を許してくれてるのは、人として俺のこと好きでいてもらえてるのかなぁって! そうだな……言い換えるなら、友達として……そう!友達として」


 誤魔化すために、必死で無難な言葉を口に出して繋げていく。彼女の耳に届いているのか、泳いだ目でチラチラと顔を伺うけど、反応は薄い。苦しく放った言葉一つ一つが、空中で行き場をなくしてさまよっているようだ。


「そ、そうだな……えっと……」


「…………」


 冷えた汗は止まらない。一滴一滴、頬を伝って流れ落ちてくる。これ以上、弁明する言葉が出てこないからだ。


「──────あ、あ、ああああ、あのっ!」


「は、はいっ!」


 彼女は再び口を開いた。俯き、肩を張りながら。


「……好き、ですよ。神山君、のこと….」


「─────っ」


 突然の告白に、一瞬目眩のような感覚が起こった。でも、それは神崎さんにしては流暢で、恥ずかしく言っている感じもなく、自然に口から出ているみたいだ。


「も、もももも、もちろ、ん!……友達として、人として……です、よ」


「は、はい」


「えへへぇ……バレバレでした、ね!」


 跳ね上がっていた心臓は、落ち着きを取り戻していく。


 友達として……。弁明として自分から言った言葉なのに、なんだか寂しく感じてしまった。誤解は解けた、けれども俺の心に穴が空いてしまったような、そんな空虚な感覚が巡っていく。


「え、ええ! 自分も神崎さんのこと好きですよ! ……とも、だちとして」


「す、すす……で! ですよ……ね! 友達と、して……」


 一瞬戸惑っていたけど、友達という言葉を口にした彼女は……どこか、寂しげだ。


「……あ、そろそろ……部屋に戻りますね。暗くなってきましたし」


「え! あ……もうこんな時間」


 気付くと、窓の外は薄暗くなっていた。時計も、十九時をさしている。


 もう少しいてもいいとは思っていた。でも、これ以上いてもしょうがない。今は早く部屋に戻って、顔を洗いたい気分だ。


「カレー、美味しかったですよ。ま、まあほとんど俺が作ったような気もするけど……あはは」


「で、ですよ、ね……で、でも! しっかり覚え……ましたから! 次は、私だけで作って……ご馳走します、ね!」


「はい。期待してます!……それじゃ、おやすみなさい」


「おやすみ……なさい─────」


 扉が閉まる瞬間、隙間から見えた彼女の口は笑っていた。


 ────『にー』と、魔法の言葉を唱えているように。










 部屋に戻ってからは、すぐにシャワーを浴びた。色んな複雑な感情や想いを、一旦水に流したかったからだ。


「もう、こんな時間か」


 浴室から出て時計を見ると、二十時と表示されている。随分と長く浴びていたみたいだ。いつもは三十分くらいで終わらせるのに。


「水に流す量が、多すぎたかな」


 今日はもう寝てしまおう。絡み合った想いをクリアにさせたい。そう思いながら、毛布にくるまった。


「神山君、好き」


 ────やっぱり、聞こえてきた。いつもの壁越しから伝わる告白。


「あそこで、本当の意味で好きって伝えられていたら、どうなっていたのかな」


 俺にだって……分からない。もし、本当に告白されていたら……いや、分からない。


 初めは断ろうと考えていた。でも今は、自分も神崎さんのことが好きになってしまった。彼女のことを深く知ってしまったから。


 それでも、告白に対する答えは───分からない。


 それは────既に壁越しから好意を知ってしまっていたという罪悪感のせいだ。




 いっそ、この壁が壊れてしまえばいいのに。




「いつも、この壁に向かって溢れんばかりの気持ちを吐き出しているけど、今夜は……直接言いたくてしょうがないな」


 布の擦れた音がする。神崎さんも横になったようだ。きっと、こちら側に顔を向けて。


「神山君は昔、私を助けてくれた。そして、今も色々助けてもらっちゃってる」


 助けた? 俺が、いつ助けたというんだろう。


「ずっと想いを伝えたくて、ずっと探して、ようやく見つけたこの場所。せっかく隣同士になったのに、いざ顔を合わせたらいつもみたいに動揺しちゃって駄目駄目だったもんなぁ」


 初めて顔を合わせた時は、結婚を申し込まれたっけ。そのあとは朝食を食べさせたり……ほんと、そんなに時間がたっていないはずなのに、どこか懐かしく感じる。


 どれもドタバタで、初めは迷惑だった。けど今思えば、俺の日常に新たな色が追加されたみたいで、きっと楽しかったんだと思う。


「神山君に迷惑ばかりかけてしまっているけど、どんな形でも二人でいる時は凄く楽しい。いつもいつも、心臓が破裂するかもしれないくらい胸が高鳴るし」


 ……ええ。俺も、そうですよ。




「……よし! 決めた!」


「────っ!」


 囁きから突然の大声は耳に悪い。心臓が止まりかけてしまった。


 いったい何を決めたというんだろうか。




「もっともっと仲良くなって、いつか絶対、正面向かって……笑顔で! にー! ってしながら告白する! 必ず……この気持ちを、こんな壁じゃなく、直接神山君にっ!」


 ───決意は、もう届いてますよ。聞いてて気恥ずかしいけど、これまで悩んでいたことが吹き飛んでいくような、そんな清々しさを感じた。


「よし! 明日は仕事だし、もう寝よう! また朝……挨拶しよ……すー、すー」


 相変わらず、寝つきがよくて凄いよ神崎さん。


「ふっ、ははっ」


 つい、笑ってしまった。あまりの清々しさに、いつまでも悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しく感じて、自然と吹いてしまったんだ。


 ……なんか、吹っ切れた。


 神崎さんが決意するなら、俺だって決めた。




 神崎さんともっと仲良くなって、ちゃんと、本当の意味で告白を受ける! そしてその時、壁の件や俺自身の想いを告げる───。


 男なら普通は自分から告白するべきだろう。でも、俺は彼女の決意を聞いてしまった───だからこそ、俺は告白されるまでしっかり待つことにする。


 まるで、歪んだ決意だ。どうとでも言うがいい。俺は……決めたんだ。


「……おやすみ、神崎さん」


 俺は決意を胸に、目を瞑った。きっと、今夜はよく眠れるだろうから─────。








「んぅ……あっ……はぁ、はぁ。もっと…」


 ….……………。


「す、きぃ……かみや、ま……くんっ」


 …………………………。


「ぎゅっ、て……してぇ、かみやま、くんっ」





 ────やっぱり、眠れねぇぇぇぇぇええええっ!

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