第7話 隣のお姉さんからご飯を誘われて辛い


 神崎さんとのお茶が終わり……いや、一方的に終わらせられ、俺は心の傷が癒えないまま部屋に着いた。


 隣からは微かに物音が聞こえる。全力で走って帰ってきたってことか。


「はぁ……散々だった」


 最後は酷い目にあった。でも、何故か口元は緩んでいた。


 それは、少しでも彼女を知れて嬉しかったのと、色々話せたことが楽しかったからだ。


 もう一度、いいや、また何度も話したい。そう、思えるくらいに。


「ま、無事に帰ったようで良かった」


 空は薄暗くなっていた。帰り道も人は数えるくらいしかいなく、すっかり夜になりかけていることが分かった。


 俺はいつものように夜を過ごし、疲れていたせいか早めに寝床へ着いた。


 隣からは何も聞こえてこない。


「寝た……のかな」


 何を気にしているんだろう。確かに昼の件は色々驚いたけど、彼女の心配をする必要はそこまでないはずだ。


 なのに、落ち込んでいないかとか泣いていないかとか色々浮かんでくる。付き合っているわけじゃないのに。


「……って何やってんだ俺は……」


 無意識に聞き耳を立てて壁に耳を当てていた。これじゃ、本当に変態みたいじゃないか。心の中で、俺は俺自身を鼻で笑う。


 気にするのはもうよそう。きっと、彼女も疲れて早めに寝てしまったんだろう。


 そして、俺はゆっくりと目を瞑った。彼女の顔が、チラチラと脳内で映し出されながらーーーー。






 ーーーーピンポーン。


「……んん……なん、だぁ……」


 寝惚けた目で時計を見ると、時間は深夜一時を過ぎようとしている。いつもの寝る時間だから、なんとなく不思議な気分だ。


 にしても、こんな時間になんなのだろう。大家さんか? 勧誘か? 色々思いついたことを頭で並べていくも、全て違うだろうという結果に終わった。


「はぁ、い。なんですかー、いった……」



 扉を開けると、そこにはーーーー兎のように目下を真っ赤にさせた神崎さんだった。


「神崎、さん……どうしたんですか?こんな時間に」


 そういえば、この感じはデジャブ感がある。初めて会った時もこんな感じだった気がする。


 一つ違うとすれば、目を真っ直ぐ見てくれていることだ。目を合わせると、まだ目が泳ぎ出すけども。


「え、えぇっと……昼間は、ごめん、なさいっ!」


 頭を……下げられてしまった。別にもう気にしてないのに。


「……気にしないでください。俺も落ち着かせるためとはいえ、いきなり手を握ったのは申し訳ないと思っていましたし」


「い、いえいえ! 手は……全然……むしろ…………」


「は、はい……?」





「ーーーーーーずっと…………握ってもらいたかった……なん、てーー」




 俺の胸は電気が走ったように震えてしまった。


 友達だ。友達なんだ。この人は、と、も、だ、ち! 決して、その友情を破壊するような感情は抱いてはいけない。ましてや、会ってまだまだ日が浅い。俺の答えは揺るがないはずだ。


 でも、正直に言えばーーーーときめいてしまった。それは、認めざるおえなかった。


「ど、どう……しました?」


「い、いえ……なんでも」


 赤くなった顔を咄嗟に両手で隠した。こんな顔見せたくありません! 恥ずかしい!


 というか、この人よくこんな恥ずかしいこと平然と言えるな! て、天然なのか?


「あ、あの……それで」


「あ、はい、なんでしょう」


 髪を洗った後なのか眩しいくらい艶があるストレートな髪を靡かせながら、彼女は口を開いてゆく。唇の動きと瑞々しさが俺の心を刺激させながら。




「お、お詫びに……こ、今度! ご、ごごごご、ご飯作る、んで、食べに来てーーーーください!」


「えっ、ご飯?」


 驚いた。まさか神崎さんから何かに誘ってくるなんて。しかもご飯ってことは……部屋への、招待?


「えっと……神崎さんの部屋でご馳走してくれる、ってことでしょうか」


「は、はは、はいっ!」


 さっきまで泳いでいた眼は、決意の表れなのか真っ直ぐ俺の眼を貫く。表面上だけでなく、心にも届けてきてくれているような、そんな揺るがない眼だ。


「ーーーはい、是非!」


「あ、あ…………」


 多分、断られたらもう終わりだって思っていたんじゃないだろうか。固かった体は、栓が抜かれ空気が漏れだしていくように萎んでいく。相当緊張していたんだろう。


 俺には断る理由がない。むしろ、またゆっくり話したいと思っていたところなんだ。友達として、楽しく、笑いながら、今日みたいに。


「あああああ、あありがとぅござ、ござございまあすっ!ござぁいますっ!ございまづぅう!」


「お、落ち着いて神崎さん」


 何度も何度も九十度の角度で高速お辞儀をする様は、見ていて腰から上が取れてしまわないか心配になった。たまに超人的な動きするよな……。


「す、すいません……え、えぇっと……じゃ、じゃあ、来週の土曜日……で、いいです……か?」


「大丈夫ですよ。自分も休みですし、今日と同じ感じで」


「は、はぃ! じゃ、じゃあ……私はこれでーーーーーおやすみ、なさい」


 おやすみなさいーーー。変哲もない当たり前の言葉を言った彼女の表情は、とても自然で、安心するように微笑んでいた。


「はい、おやすみなさい」


 まだ、見ていたかったと思いながらも、俺はゆっくり扉を閉めた。


 そして、俺はベッドに戻り、不思議と気分の良いこの気持ちのまま目を瞑った。


 だけど、いつもの如く、気持ちよく夢の世界に入ることは出来なかった。






「ーーーーーーどぉぉぉおおおおおおしよおぉおぉぉおおおおっ!」


 ーーーーーー何が!?


 さっきまで良い感じだったよね? 綺麗に気持ちいいくらい話が終わったよね?


 いったい何があったって言うんだろうか。


「私……私……」


 また冷蔵庫に食べものがないとか? それとも今日の事をまだ引きずっているとか? 考え出すと、結構色々浮かんでくる。


 でも、考え付くものは全て違っていたのだ。彼女が今から言うことは、まったく想像出来ない事だったのだ。







「私ーーーーご飯つくれなぁああああぁああい! うわぁぁぁぁぁあああああっ!」





 なんでご飯誘った!? 俺結構楽しみにしてたのよ!?


「嫌われたくなくて考え付いたことだったけど、よくよく考えれば料理なんてしたことない……包丁すら持ったことない」


 彼女の体はジャンクフードやコンビニ弁当で作られているとでも言うんだろうか。思い出してみれば、冷蔵庫に何も入っていないことが伏線だったんじゃないのか。何故気付かなかった俺!


「よし……」


 そして、神崎さんは誰も考え付かないような恐ろしいことを言ったのだ。




「魚介類を全部生で切らず乗せたらそれっぽい海鮮丼に……それなら私にだって出来るはず! よし! これで決まり! それで……見直してもらって……今までのことを水に流してもらえたら……いいな」


 ……………。


「それで……二人っきりでーーーーーだ、だめだめだめだめっ!というか、部屋に入れるってことで……だめ、考えただけで気絶しそう。もう、寝ようかな……」


 少しすると、安らかな寝息が聞こえてきた。とても、安心したように。


「確かここに……」


 俺は台所の戸棚にある胃薬を取り出し、それを抱き締めるように眠った。食中毒で救急搬送される自分が浮かぶ夢を見ながらーーーー。

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