第6話 隣のお姉さんが大食いすぎて怖い
俺は今、ケーキ屋に来ている。
以前神崎さんにお詫びとして頂いたケーキが売られた、美味しいと評判の人気な店だ。その場で食べられるスペースと専用のウェイトレスがいることも相まって、隠れた喫茶店とも言われている。
場所は何度も何度も悩んだ。ある日ふと、神崎さんに頂いたケーキを思い出し、最終的にここを待ち合わせ兼話す場所として決めた。
今回も一時間早く来て、神崎さんを待っている。
「もうすぐ、か」
時計を見ると、約束の十三時まで五分を切った。そろそろ来る頃だろう。
昼時も過ぎ、周りは多少落ち着いた人混みだ。落ち着いているとはいえ、若い女性が非常に多く、居心地が悪い。向けられる視線は突き刺すように痛い。
「いらっしゃいませー!」
視線に押し潰されそうになった時、扉のベルが優しく鳴り響いた。見ると、ずっと待ちわびていた人物が目に入った。
「何名様ですかー?」
「え、えっと、か、神山という名前で……その……」
「あー! 神山様のお連れ様ですね! もうご来店されておりますよ! こちらへどうぞ!」
店員の案内で俺がいる席に通され、彼女は俺の目の前に姿を現した。
「ごゆっくりどうぞ!」
「え、ええっと……こ、ここここ、こんにち、わっ!」
相変わらずの感じで安心感すら覚えてきた。
「こんにちわ、神崎さん。どうぞ、座ってください」
「は、はいぃ!」
ロボットのようにぎこちない動きで席に着く神崎さんは、緊張しているのが丸分かりだ。頬も赤くして、顔が強張っている。
「えっと、そんな緊張されると俺も緊張しちゃうというか……」
「あ! す、すす、すいません……」
いつも通り、俯いてしまった。このままじゃいつものパターンだ。今は何か話題を振ろう。
「今日の服、可愛いですね」
「ふぇっ!? か、かかかかかっ! かわ、いいぃ!?」
嘘はついていない。本当に可愛いと思ったのだ。
ふわっと宙に浮いたイメージをさせるクリーム色で手を隠す程長い長袖のニット、ひざ下で揺れる袖が女性らしさを引き出している翡翠色のロングスカート、そして遊園地でも使っていた白の小さなバッグ。遊園地でも感じていたことだけど、とてもお洒落だ。
尚、昨夜に着る服を全力で悩む神崎さんの様子は思い出さないでおこう。
「お洒落、ですよね。いつも似合った可愛い服装をしている印象があります」
「か、かわっ!? そ、そんな……こと……ないですよ……」
「そんなことありますよ。とっても、可愛いです」
「ひゃんっ!」
誉められ慣れていないんだろうか。可愛いと言う度に変わった反応をする。不覚にも、その反応一つ一つが心臓の鼓動を段々と激しくさせていく。
「ご注文はお決まりですかー?」
「こ、ここここ、これ、お願いします」
メニューに指をさしたのは、ミルクティーと上にタピオカが盛られたタピオカモンブランなるものだった。
前から思ってたけど、タピオカって美味しいんだろうか。
「かしこまりました! 少々お待ちくださいませ!」
元気に戻っていった店員を見送ったタイミングで、俺は口を開けた。
「えと、今日は来てくれてありがとうございます。良い天気で良かったですよね」
「は、はい! ほん、とうに……良い、天気、で……」
机に人差し指で円をなぞっている。落ち着かないんですねそうなんですね。
「気楽に話しましょ。リラックスで。……にー!です」
「そう……ですね! ……えっと、にー!」
その後は緊張も解れたのか、他愛ない話から仕事の話まで色々話すことが出来た。だいたいが、仕事での失敗や日常での失敗話で、良い会話とはいえないだろうけど。
それでも、楽しいと感じていた。例え悩み相談や失敗談だとしても、やっとこうしてまともに話せるのが嬉しかったから。
ぎこちない笑顔を作る『にー!』は、自然な笑顔にも作り変えることが出来る魔法の言葉ーーーーーそう、感じた。
「お待たせしましたー!ミルクティーとタピオカモンブランでございます!ごゆっくり、お召し上がりください!」
「こ、これは……」
大きい。メニューに描かれたこじんまりとした大きさじゃない。これ、ワンホールのケーキと同じくらいじゃないか……。
「神崎さん、食べられそうになかったら俺も半分……って、え?」
「もぐもぐ」
神崎さんは物凄い早さでケーキを食べていく。汚い食べ方じゃない、至って上品にフォークで一つ一つ食べているのだ。
のに関わらず、この大食い並の早さはなんなのか。俺は唖然としてしまった。
「あ……ご、ごめんなさいっ! 私……夢中になって……」
「い、いえいえいいんですよ。ささ、いっぱい食べてください」
「は、はい……」
おや、急に俯いて固まってしまった。どうしたというんだろう。
「がんばらないと、私……」
「え?何か言いまし……へっ?」
目の前には、ケーキが乗ったフォークが突き出されている。
いったい何を…………まさかっ!?
「あ、ああああ、あーん……」
「ふぁっ!?」
いきなりすぎて変な声を店内中に響き渡らせてしまった。
この人は何を言ってるんだ。友達同士でこういうことするのか。あー、もう分からない。
その時、昨夜の記憶が甦る。彼女はこう言っていた。
「友達……アプローチすれば、きっとそれ以上の関係に……よし! 頑張るぞ! 私!」
言ってたぁぁあっ! つまり有言実行ってことかぁああっ!
「え、えっと……」
近付くケーキ。顔から火が出そうな神崎さん。そして戸惑う俺。なんなんだこの状況。
落ち着け俺、パクっと自然に食べれば問題ない。そうだ、自然に、クールに。
そうして、俺はゆっくりと差し出されたケーキを口に入れた。
「お、美味しいですね、このケーキ」
「…………」
見開いた目で俺を見る彼女は、どこか魂でも抜けたように心ここに在らず。差し出していたフォークがゆっくりと彼女の口に戻っていく。
唇に当たった瞬間、俺は地響きを感じていた。地震なんかじゃない。これはーーーー。
「か、かかかかかかかっかかかかっかかかんせ、かんせっつ、き、きききき」
針飛びを起こしたレコードのように、口から文字が飛び出していく。顔は真っ赤になり、頭からは噴火と例えるのが正解と言うべき火柱が上がっている。
この動揺さ、まさか食べないと思っていたんだろうか。あんな状況、断れないだろ! まして相手は神崎さんだ!
「落ち着いて神崎さん!」
「ふぇっ!?」
俺は落ち着かせるために、思わず両手を握った。
それが、間違いだったかもしれない。
「あ、ああ、ああああああああっぁあああ! し、しつれいぃしまぁあああああすっ!」
無理矢理握った手を振りほどかれ、猛スピードで外へ駆けていってしまった。
立ち尽くす俺を、周りは振られた彼氏と噂している。もういい、誰か助けてくれ。
何もかも失ったような感覚の中、唯一残ったのは、口で広がる初体験のタピオカのほろ苦さだけだった。
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