ナイチンゲール二世

私が、臨床心理士、俗に言う心理カウンセラーを目指そうと決めたのは高校生の時だった。その時、私の友達に運動神経抜群、成績優秀で大抵のことはほんの少しの練習でできるようになってしまう美希という子がいた。しかし、これだけの才能があれば当然嫉妬や妬みを買ってしまう。加えてその子の殆ど唯一の弱点が人とのコミュニケーションを取ることだった。新学期からしばらくすると、その子は他の子からいじめとまでは行かなくとも無視されたりそっけない態度を取られるようになってしまい、最終的には学校に来なくなってしまった。そして、私が大学生になった時、「美希が自殺した」とかつてのクラスメイトから伝えられた。「私が成功すればするほど周りは私を邪険に扱うし、どこに行っても私の扱いは変わらない。両親も仕事が忙しくて私の相談に乗ってくれない。もう疲れた」などと言っていたらしい。彼女はメンタルが弱かったのだ。しょっちゅう学校をサボって遊び回っていたであろう奴らは楽しそうに青春を謳歌している。このことに、私は納得がいかなかった。


何故、一番様々なことを器用にこなせるであろう美希が虐げられなければいけないのか。

何故、「コミュニケーションが苦手」というほぼ唯一の弱点のせいで理由もなく学校をサボるような奴等より不遇な人生を歩まなければならないのか。


私は、能力が人並より優れているのにも関わらず、ただ「コミュニケーションが苦手」「精神的に少し弱い部分がある」などという悩みを抱えているばかりに人生を台無しにしてしまう。そんな人々を救いたいと真摯に思った。


それからというもの、私は熱心に勉強に励んだ。これまで宿題は学校で終わらせ家では全くと言っていいほど勉強しなかった過去の私が今の私を見たら「留年の危機にでも直面したのか」と思うだろう。


それから私の成績は右肩上がりに上がっていき、私は晴れて、臨床心理士となった。私は一人でも多くの患者を救おうと必死に働いたが残念ながら自分の担当していた患者が自殺してしまうことは少なくなかった。死に痛みを伴う状況でもこの有り様なのに、それが痛みを伴わないとなればこのような状況になることは容易に想像がついた。そして、彼らへの最善の処置は安楽死なのかもしれないということにも薄々気づいていた。ただ、どうしても認めたくはなかった。でも、街中で緑色に輝くトーテムの数々を見てしまえばとても否定などできない。

私だってこんなことは望んでない。認めたくない。しかし、きっと彼らへの最善の処置はこれで間違いない。もし、現代版ナイチンゲールなどというものが存在していたら「これ青酸カリですよ」などと言って安楽死のサポートをするのだろうか。彼女の言葉である「犠牲なき献身」の犠牲の定義はどこまでなのだろうか。もしも、患者の遺族を含めるとするならば犠牲だらけだが。

「安楽死をご希望の方は、こちらに並んでください。でも、少しでも……ほんの少しでも悩んでいるならばどうか……どうか考え直してください」

臨床心理士が精神的に弱っているようでは示しが付かないので必死に平常を装い、今にも泣きそうな表情になってしまっていたかもしれないが、必死に笑顔を作ったつもりだ。

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