第96話 殺気だけで
「なんだったんでしょう、あの人は……」
「さあ、どこかの馬鹿貴族だろう」
食事を続けながら、二人はそんなことを話す。
さすがにあれだけの印象深い登場をした人物を、すぐに忘れて食事するということは出来ない。
「やっぱり、ヘルヴィさんはとても綺麗だから、ああいう人が来るんですね」
「っ……ああ、そうかも、しれないな」
テオに綺麗と言われて少したじろぐヘルヴィだったが、先程の街中での羞恥に比べればなんてことない。
自分が他の人間と比べて、容姿が整っていることはヘルヴィでもわかっている。
しかし、これほど面倒ごとを引き起こす容姿は別にいらないと思っていた。
ただ、テオに可愛い、綺麗と言われるだけの容姿ならば、それでいい。
(だがテオは今のこの姿が好ましいと言ってくれているからな。変えることはないだろう)
ヘルヴィにかかれば変装、もしくは容姿を変えることなど簡単である。
しかしテオに好かれている姿、そして自分本来のこの姿を、他の人間に絡まれるのが面倒だから、という理由で変えることは絶対にない。
そう考えながらテオの顔を見ると、なんだか浮かない顔をしていた。
「どうした、テオ? 何か食事で気に入らないものがあったか?」
「えっ、あっ、いえ! 食事はとても美味しいです!」
テオはハッとしてそう言いながら、止まっていた手を進める。
ヘルヴィはその様子を見てテオの心を覗き、何を考えているかを悟る。
「あの男が言っていたことなど放っておけ。私の夫が務まるのは、テオしかいないぞ」
「っ! あはは、ヘルヴィさんは何でもお見通しですね」
(実際に見通しているからな)
心の中でヘルヴィはそう言うが、もちろんテオはそれに気づかない。
「やっぱり、人から見ると僕はヘルヴィさんと釣り合ってないんですよね……」
あの男に少しでも喋らせたのが間違いであった。
そうすれば、テオが悩むことはなかっただろう。
「テオ、私はお前しか私の隣に合うものはいないと思っているぞ」
「ヘルヴィさん……」
「あんな男の戯言と、私の言葉、どっちを信頼するのだ?」
「も、もちろんヘルヴィさんです!」
照れくさそうに顔を赤くしながらも、そう言ったテオ。
ヘルヴィも真っ直ぐと目を見つめられて即答されたので、少し頬を赤くした。
「それならいいだろう。あの男の言ったことは気にするな」
「はい、ありがとうございます」
「ああ、じゃあご褒美に口移しをしてくれ」
「えぇ!? く、口移しですか!?」
「ふふっ、冗談だ」
さすがにこんな場所でそれをやるほど、周りの目を気にしないわけではない。
(だが冗談で言ったが、口移しはしたことがなかったな……今日の夜、飲み物か何かでやってみるか)
そんなことを考えながら、冗談だということに少し残念そうにするテオを見て心踊るヘルヴィ。
(しかし、あの男は……)
少しだけ嫌なことを考えなければいけない。
一番窓際の良い席なので、窓から下を覗けばこの建物の入り口が見える。
ヘルヴィがそこを見ると、ちょうど無駄に豪華な馬車がどこかに行く様子があった。
◇ ◇ ◇
「どうしたんすかー、ダリオ様ー。そんな慌てて戻ってきて、すぐに馬車を出発させるなんて」
「本当です。なぜなのですか? 戻ってこなければよかったのに」
馬車に残っていた護衛二人が、不満そうに雇い主にそう言う。
「馬車で待ってろって言われたから、抜け出して男探しに行く予定だったのに。予定が台無しっす」
「私は待つつもりでした。ここら辺は醜く太った貴族しかいないので。誰かさんみたいに」
誰かさんみたいに、と言ったとき、ダリオをガン見していた。
しかしそれを、ダリオは疲れからか荒い息を立てて聞こえなかったみたいだ。
「なんでそんな豚みたいに鼻息荒いんすか?」
「走ったみたいですが、まさかあれだけの距離走っただけでそれだけ疲れているのですか? さすがですね」
「う、うるさい、お前ら……黙ってろ……」
いつも馬車で移動していて運動不足のダリオにとって、少し走るだけで息が荒くなるのは当然のことだった。
ようやく落ち着いて、ダリオは二人の護衛に話しかける。
「お前ら……本気で殺気を出したら、人をそれだけで殺せるか?」
「はぁ? 無理っすよ、馬鹿じゃないっすか」
「キーラ、失礼ですよ。本当の馬鹿に対しても、馬鹿って言ってはいけないのです。そして殺気では人は殺せません」
「クレスの方がはっきり言ってるっすよ」
「そうか、そうだよな……」
ダリオへの暴言はいつも通りなので、いちいち反応していたらきりがない。
やはりダリオが雇っているこの二人でさえ、殺気で人は殺せないと言っている。
だが……。
『これ以上、醜く臭い口を開くな。次に貴様がここで何か言葉を発したら、有無も言わさず殺す。一瞬でだ』
「っ……!!」
『嘘だと思うか? それだったら喋るといい。私は今日、機嫌が良い。貴様が一言も発さずに私の目の前から消え去れば、今日は殺さずにしておいてやる』
思い出すだけで、身体の芯から震え上がりそうだ。
あの女、確か夫とか名乗っていた男が、ヘルヴィと言っていた。
ヘルヴィの殺気を受けて、ダリオは何も喋れなくなった。
口を開いて何かを言おうと何度かしたのだが、その度に自分が死ぬとなぜか確信があって、喋れなかった。
「許さん、許さんぞ……! 俺に、あれだけの恥をかかせて……!
あの飲食店を出るときに、周りにいた貴族達の薄ら笑いのような声や顔。
恥ずかしくて他の奴らの顔も見れなかったし、もちろん名前なんて知らない。
それだけの恥をかかせた、ヘルヴィという女とその夫の男。
「絶対に、復讐してやる……!!」
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