第82話 イネッサ



 おそらく心臓を破壊するだけの魔法だったら、イネッサはあれほどヘルヴィに惚れ込まなかったはずだ。

 セリアぐらいの魔法使いでないと、なぜ相手がいきなり死んだかもわからないから。


 しかし今回、テオに戦い方を見せるという目的で肉弾戦をした。

 確かにテオから見ても、いつもよりわかりやすく倒していて、参考になったことだろう。


 だがそれが裏目に出てしまったのだ。


(あぁ、純白で長い髪がとても素敵……サラサラしてて、触ってみたい……! 顔立ちもとても凛々しくて、綺麗……!)


 イネッサの心を読むと、ずっとそのような言葉が溢れている。


 しかし……。


「テオ様、護衛の皆様に手当てをしていただきありがとうございます」

「い、いえ、僕は何も……!」

「ふふっ、ご謙遜なさらず」


 心の内に何を考えているかなど、全く悟らせないような佇まい。

 優雅に微笑んで、テオと話している。


 いつもなら嫉妬をするような場面だが、心を読んでいるヘルヴィはその気は起きない。


「? ヘルヴィ様、私とじっと見つめていかがなさいましたか?

「……いや、なんでもない」


 本当に不思議そうに、可愛らしく顔を傾けて問いかけるイネッサ。


 顔を傾けた際に、イネッサの水色の髪がゆらっと揺れる。

 背中の真ん中ほどまで伸びた髪が綺麗に流れていた。


 テオよりも少し身長が低く、だが大人っぽい仕草で貴族らしい雰囲気だ。

 顔立ちは可愛らしく、笑顔は華やかである。


 不思議そうに顔を傾けたイネッサだが、心の中では少し荒れていた。


(ヘルヴィ様が、私のことを……嬉しい……! もしかして、両想いかしら? 私も顔立ちは良いと自負しているから、ヘルヴィ様も私のことを好きになってくれたのかしら!?)


 ここまで考えていて、表に出ていないのはヘルヴィでも感心した。


 しかし、その考えになるのは意味がわからなかった。


(ああ、そうか、このイネッサという女は……)


 ヘルヴィはイネッサが少し勘違いしていることに気づく。


「テオ」

「はい? なんで、んっ……!?」

「なっ!?」


 全く雰囲気も前兆もなかったが、ヘルヴィはテオを呼びキスを落とした。

 軽くだが、それは二人にとっては軽くで、傍から見れば中々深いキスである。


 いつもよりも短かいキスを終え、唇が離れた。


「い、いきなりなんですか、ヘルヴィさん?」

「いや、私の夫が、他の女に目移りしないようにな」

「そ、そんなの、するわけないじゃないですか!」

「ふふっ、そうか、嬉しいぞ」


 ヘルヴィもテオを信じていないわけではない。

 むしろテオが他の女に目移りする可能性など、皆無だろう。


 だからこれは、別の意図があった。

 それは……。


「お、夫……えっ、お二人は、その、……ご夫婦、なのでしょうか?」


 イネッサは呆然とし、信じられないと顔に書いたままそう問いかけてくる。


「は、はい、そうです」

「そ、そうなの、ですか……」


 イネッサは、ヘルヴィとテオが姉弟だと勘違いしていた。


 同じ姓を名乗っている男女がいたら、考えるのは夫婦か姉弟かだろう。

 イネッサは最初から夫婦という選択肢は無く、確実に姉弟だと思っていたようだ。


 一瞬でも「もしかしてヘルヴィ様は自分のことが好き?」と思ったイネッサには、とても大きな衝撃だった。

 ぎこちない笑顔になって、先程までの大人っぽい雰囲気は霧散していた。


(ふん、いい気味だ。私とテオが釣り合わないと思っていたようだからな、せいぜい傷ついているんだな)


 ヘルヴィ自身は、あまり他の人に下に見られることは少ない。

 先程の傭兵達には実力が下だと思われていたようだが、すぐに覆した。


 だがテオは傭兵になってから、ずっと下に見られてきた。

 それは契約時に見て、ヘルヴィも怒りが湧いたものだ。


 自分が下に見られるよりも、テオを下に見られることの方がヘルヴィとしては許しがたい。


「だ、大丈夫ですか? なんか落ち込んでいるようですけど……」

「いえ……だ、大丈夫です……はい……」


 テオに心配されるほど、気落ちしているイネッサ。


(距離が近い姉弟だとは思っていたけど、まさか夫婦だったなんて……)


 心を覗いても、やはり大きくダメージを負っているようだ。


(容姿に自信があったようだが、テオの前では皆等しくどうでもいい。テオが断トツで一番だ)



 目に見えて一度落ち込んだイネッサだったが、とりあえず表面上では明るく振る舞えるようになったようだ。


「私たちの車両は無事でしたが、先程の者たちに馬を殺されてしまいました……どうしましょうか」


 イネッサは頰に手を当てて、あからさまに悩んでいるという仕草をする。

 実際に悩んでいるのだが、心の中は違うことを悩んでいた。


「うーん……ヘルヴィさん、どうしましょう?」


 テオも一緒に考えたようだが、良い案が出ずにヘルヴィに聞く。


「……そうだな。私たちが連れている黒馬は、おそらくこの車両を引くぐらいの馬力がある。中に私とテオを入れてもらえるのであれば、それで構わない」

「まぁ、本当ですか? もちろん構いません、ありがとうございます!」


 ヘルヴィの案に顔を輝かせ、お礼を言うイネッサ。


 しかしヘルヴィはそれを少し冷めた顔で見ていた。

 なぜかというと、今の提案はイネッサの心の中に思っていたことを言っただけだったからだ。


 イネッサはそれを思いついてはいたが、テオかヘルヴィが言うのを待っていた。

 それをイネッサから言うのは、さすがに失礼になると思っていたのだろう。


 二人が思いつかずに言わなかったら、イネッサから頭を下げて言うつもりではあったようだ。


 ヘルヴィとテオが乗ってきた車両は小さいので、十数人といる護衛たちが協力して引っ張っていくことになった。


(この女、頭が良く賢いが……なかなか腹黒いところがあるようだな)


 強かな女である、というのは最初の印象と変わらないが、違う意味でも強かなようだ。




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