第58話 魔界?


 テオの腕と足を縛っていた見えない何かがいきなり外れて、自由になった。

 ヘルヴィの心は荒ぶったままだが、テオを傷つけないように手加減をして魔法で外したのだ。


 怒りを抑え、申し訳ない気持ちでヘルヴィはテオを抱き締める。


「すまないテオ、油断していた……お前を危険に晒してしまった」


 テオは先程まで恐怖で震えていたが、今はもうヘルヴィが助けてに来てくれたので安堵している。

 だからこそ、ヘルヴィがここまで弱々しくなっているのを初めて見て困惑していた。


 まさか自分も攫われるとは思っていなかったので、それを予期して防ぐなんて難しい。

 それもどうやって攫ったのもわからないなので、さらに対処するのは困難だろう。


「ヘルヴィさん……助けてくれて、ありがとうございます……」


 自分は大丈夫です。

 ヘルヴィさんに助けられて、本当に良かったです。


 そんな気持ちを込めて、テオはヘルヴィの背中に腕を回して抱き締め返す。


 テオのそんな気遣いが伝わったのか、ヘルヴィはさらに強く抱き締める。



 数十秒、二人は抱き合い続け、ようやく離れた。

 テオは身体が離れるときには恐怖や困惑は消え、恥ずかしさで顔が赤くなっていた。


 側から見るとテオが攫われて、助けてられて泣きながら抱きついて慰めてもらった形だ。

 恥ずかしがるな、という方がテオには無理があった。


 そんなテオの心の内を知っているかのように、いや、見ていたヘルヴィは小さく笑う。


(やはりテオは可愛い……こんな優しく可愛いテオを、守れなかった私に腹が立つ。そして……あのクズにも)


 また湧き上がってくる怒りを少し抑えながら、俯いているテオの頭を撫でる。


「テオはここで待っていろ、私は今から敵を追いかける」

「あっ、は、はい、気をつけてください……!」


 顔を赤くしながらも顔を上げたテオに、軽く唇を重ねる。

 テオが無事で安心したので、我慢ができなかった。


 いきなりのことでビックリして、離れた後に「えっ……」と呆然としているテオを横目に、ヘルヴィはクズを吹っ飛ばした方向を見る。


「お前らもここまで待っていろ、テオから目を離すなよ」

「はいはーい、いってらっしゃい」

「さっきので仕留めたと思うけどね」


 ここまでヘルヴィに連れてきてもらっていたジーナとセリアは、そう返事をした。


 そしてヘルヴィは、三人の目の前から消えた。 


 ジーナとセリアが来ていたことを知らなかったテオは、今までのやり取りを見られていたことに気づいて、二人の顔を見れなかった。



(逃げろ……逃げろ……! あの人の手の届かないところまで、早く……!)


 ヘルヴィにぶっ飛ばされた男は、全速力で逃げたいた。


 作戦は失敗したので、もう逃げるしかない。

 盗賊の男を利用してテオを攫うところまでは上手くいったが、ヘルヴィは男の予想を遥かに上回った。


 ヘルヴィに殴られた顔は、原型を留めていなかったが再生できた。

 むしろ吹っ飛ばされて山を削り続けた身体の方が重症だ。


 しかしそれもほとんど再生し、ずっと逃げ続けている。


 男が瞬間移動できる距離は、悪魔の中でもトップクラスの百キロ。

 何回も連続でやると血反吐を吐くほど辛いが、それでもやり続けながら逃げる。


 もうさっきまでいた山から、千キロ以上は離れていた。

 ヘルヴィ達が元いたネモフィラの街よりも遥かに遠い。


(ここまで来たら、さすがにあの人でもすぐには……)


「――っ!?」


 男がそう思った瞬間、目の前に現れた。


「逃げられると思ったか、クズが」


 先程テオ達がいた前では出さなかった漆黒の角と翼を出し、無表情で男を見下ろすヘルヴィ。


「なん、で……! こんな早く……!」


 いくらなんでも常識外れすぎる。

 自分以上に瞬間移動の範囲が大きい悪魔など、数える程度しかいないはずなのに。


 なぜもう追いつかれているのか。


「お前がどれほど長い距離を移動しようとも、この星から逃げてなければ一回の瞬間移動で追いつける」

「はっ……?」


 この星から、逃げなければ……?


「――この星の裏側まで、一回の瞬間移動で行ける。私から逃げられると思うな」


 絶望的なほどの力の差が、悪魔の中でもあった。


 しかもヘルヴィは男の心を読んでいた。

 心を読むことができる相手は、自分よりも格下しかだけ。


 つまり文字通り、悪魔の格が違うのだ。


 しかしそれはすでに、男は知っていた。


「は、ははっ……! さ、さすがですよ、ヘルヴィ様……!」


 顔を引き攣らせながら、男は喋る。


「……貴様は何者だ。私と同じ種族というのはわかるが、答えろ」


 そもそもヘルヴィは、自分以外に悪魔がいるなど聞いたことがなかった。


 そしてなぜこの男が本気で自分を敬っているのか、心の中を覗いてもわからない。


「貴女様は、魔界に戻ってくるべきです……!」

「……魔界?」


 聞き馴染みのない言葉だ。

 しかしどこかで、聞いたことがある。


「貴女様は魔界を統べる、王になるべき器なのだから」


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