第53話 左腕


「あーあ、ヘルヴィさんのせいで逃げられちゃったじゃん」


 ジーナはボスが逃げた方向を見ながら、残念そうに言った。


 ボスは逃げた直後というのに、もうすでに姿形は見えない。

 上手く森の地形を使って、こちらから感知されないように逃げているのだろう。


 少なくともテオはもちろんのこと、ジーナとセリアにもボスの居場所はもうわからない。


「なんで逃げる前に仕留めなかったの? ヘルヴィさんならできるでしょ?」


 セリアは疑問に思い問いかける。


 確かにヘルヴィなら逃げる前に殺せたし、なんなら今やろうと思えばすぐにでも殺せる。


「……ふむ、少し思うところがあってな。今は泳がせておこうというわけだ」

「思うところ?」

「ああ、まあそれが外れたとしても後で殺せばいい。盗賊を生かす必要もないからな」

「だけどあの傷じゃ放置してても死ぬかもしれないけどね」


 ジーナの言う通り、ボスは片腕を無くなって血を失い続けている状態だ。

 適切な処置をしない限り、一日とその命は保たないだろう。


「逃げた方向を見る限り、山頂に向かったわけじゃなさそうね。とりあえず私たちは依頼の薬草を採取しに山頂に行きましょう」


 こちら側の山には山賊がいたので、今までは薬草を採取できなかった。

 しかしすでに山賊という障害物は乗り越えたので、あとは山頂に行って採取するだけだ。


「薬草採取はテオ君の出番だね。私たちは全く種類とかわからないから、任せたよ!」

「私は全くわからないってわけじゃないわよ。だけど今回のは見分けが難しいから、お願いね、テオ」

「は、はい! 助けられてばっかりなので、僕も頑張ります!」


 テオは自分も役に立つ、とやる気に満ち溢れていた。

 その様が小動物が頑張ろうとしている姿という感じで、他の三人は戦いで荒ぶった心が少し癒された。


 そして四人はまた山頂へと歩き始める。


「行きましょう、ヘルヴィさん!」


 一番後ろでなぜか止まっているヘルヴィを見て、テオが声をかける。


「……ああ、行こうか」


 鋭い目つきで地面を見ていたヘルヴィだが、テオに声をかけられたので軽く笑って隣を歩き始めた。


 ……ヘルヴィが見ていた地面には、あったはずの物がなかった。



 ◇ ◇ ◇


「はぁ、はぁ……いっつ! くそっ!」


 ボスはヘルヴィたちが追ってくる気配がないので、備えで作ってあった避難場所に来ていた。

 いつもの住処よりも断然狭いが、最低限のものは置いてある。


 商人を襲ったときに奪っておいた治療道具で、激痛に耐えながら左肩をなんとか止血する。

 応急処置だが、これで失血死になることはないだろう。


「何者だ、あの女……! 俺の技が全く効かない奴なんて……!」


 整備していない凹凸の激しい岩の壁にもたれかかって、力なくそう呟く。

 居心地は最悪だが、今はそんなこと言ってる場合ではない。


 なぜ効かなかったのかが全くわからない。


 その前に戦った女、ジーナには効き目は薄かったが効いた。

 手応えの感じからして硬かったから、いつものように肉や骨を裂くまでは至らなかったというのがわかる。


 しかしヘルヴィのときは、手応えは完璧だった。

 特に硬くなかったし、普通の人間と同じぐらいの肉質だったから風穴を空けたと思った。


 それなのに全く効かないというのは、どういうことなのだろうか。


 その原因がわからないと、まず勝てない。


 そう、ボスはまだヘルヴィに勝つ、いや、ヘルヴィたちを殺すつもりだった。


「この俺がこんな無様な姿にされて……許さねえ! 絶対に殺す、肉も骨も内臓もズタズタにしてやる……!」


 怒りを露わにして、残っている右手で岩の壁をぶん殴る。


 ヒビが入り大きく壁が崩れて、さらに居心地が悪くなってしまうが全く気にしない。

 いや、それを気にできるほど今は心に余裕がないだけだ。


 しかし今のままではどうやっても勝ち目がない。


 ボスは左腕が利き手だったし、右腕一本で勝てるとは到底思えない。

 利き手の本気の一撃でも微動だにしなかった相手に、どうやったら勝てるのか。



「いいね、君。気に入ったよ」

「っ! 誰だ!?」


 突如聞こえてきた声に、考え事をやめて周りを見渡す。


 声が反響していて、どこから声が聞こえたのかわからない。

 おそらく魔法か何かで声を反響させたのだろう。


 最初から岩壁を背にしているから、背は気にせずに周りを見渡す。


 前や横、上を探しても声の人物はいない。気配もない。


「こっちだよ、こっち」

「なっ……!?」


 次に声がしたのは、後ろだった。

 それもすぐ近く、自分の右耳のそばで言ったかのように聞こえた。


 訳も分からず、ボスは振り向きざまにまた岩壁を殴る。

 もちろんそこには誰もおらず、ただ岩壁のみが崩れ落ちていく。


「うん、いいよ、その獰猛さ。攻撃をする度に左腕に激痛が走っているのを無視するほどの精神力、とてもいい」

「なんなんだてめえは! 姿を現しやがれ!」

「だけど乱暴な言葉遣いは、あまり好かないなぁ」


 ボスはイラついてまた大声を上げようとしたのだが……声が出なかった。


「っ……!?」

「落ち着いてよ。ボクは君に提案をしに来ただけなんだから」


 姿は見えないのに、なぜかボスの耳元でその声は響く。


 そいつは話を続ける。


「君に力を与える。そしてあの悪魔を殺してくれよ」



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