第27話 魔王軍、撤退

「ダメっ――!!」


 私は左手に嵌めた指輪に視線を向ける。

(凛ちゃんがやられるのを、あのときみたいに、黙って見ているわけには――)

 もう二度と、あんな想いは――したくない!!


「――凛ちゃん!!」


 私はマホと繋いだその手を振りほどく。


「ちょ、アン!動かないで!ちゃんと掴まって!!」

「マホごめん!やっぱり私は行けない!」

「は!?アン、何言って……凛の気持ちを無駄にするつもり!?」

「でも、それでも!!凛ちゃんのいない世界なんて……私には無理だよ!!」


 私はマホの腕を振りほどき、聖女様に全力で体当たりした。

 勢いあまって聖女様の身体が後ろに倒れる。


「――っ!?アン、何を……!」

「――――ッ」


 私はその勢いのまま、聖女様を押し倒して強引にキスをした。

 指輪を嵌めた左手を――大天使のネックレスに添えて。


「――!?……!む……んんぅ!」

(おとなしく、してください……!)


 聖女様は私を引き剥がそうと抵抗したけど、さっきまで全力で攻撃していたせいか、あまり体力が残っていなかった。

 暴れる聖女様の手から離れた杖と雷が、バランスを崩してあらぬ方向に飛んでいく。

 眩かったネックレスの輝きは次第に薄れ、力が、指輪を通して私の中に流れ込んでくる――


 視界の端に――壊れていく世界が見える。

 大地が裂けて、川が氾濫して……

 魔剣を構えながらも、それを申し訳なさそうに横目に見ている、凛ちゃんの姿も……


(ああ、そんな顔をしてないで……)


 このまま世界が壊れていけば、凛ちゃんは、きっと悲しむ。自分を責める。


 ――させない。そんなこと。


 私はネックレスを強く握りしめ、心の中で呼びかけた。

 大天使の力は、すでに半分以上私のものだ。

 

『ウリエルちゃん、聞こえる?』

『……だあれ?エカテリーナ……?』


(男の子の声……それに、聖女様の本名……間違いない。この子が……)


『ううん。私はアン。あなたの新しいおトモダチだよ?』

『エカテリーナは?』

『ごめんね。エカテリーナ様には、もう会えないの』

『どうして?』

『私が全部、力を貰うからだよ。今あなたとお話してる、この力もね』

『やだ、やだよ……エカテリーナとお話ししたい……』

『じゃあ、エカテリーナ様の為に、力を貸してくれる?』

『なあに?』

『この世界が壊れていくのを――止めて?何かを護(まも)るのは、得意でしょ?』

『それは、エカテリーナのためなの?』

『うん』


(――嘘。本当は、凛ちゃんの為だよ)

 ごめんね、ウリエルちゃん。でも今、崩壊を止められるのは、あなたしかいないから。

 お願いだから、言うこときいて。


『エカテリーナ様が愛したこの世界の崩壊を、止めて?キミならできるよね?』


 姿は見えないけど、もじもじと戸惑っているのが伝わる。

 あと、聖女様を助けたい気持ちも。


『――わかった。ぜんぶはむりだけど、ぼく、がんばるから……だから……』

『わかってる。これからは、私があなたのこと、エカテリーナ様の分まで――』

『……』

『――愛してあげる』


 私がそう約束すると、地鳴りが止み、大地がせりあがって、川の氾濫を止めた。

 これなら世界は、半壊程度で済むだろう。

 世界は――まだやりなおせる。

 凛ちゃんも、負い目を感じなくて済むはず……


『ありがとう。いい子だね、ウリエルちゃん』


(――その力、今日から全部、私のものだよ……)


 そのまま一気に吸い尽くそうとしていると、背後からマホの叫び声が聞こえた。


「凛っ――!!」

(――っ!?)


 私は振り返って凛ちゃんの方を見る。

 さっきの雷がかすったのだろうか、凛ちゃんを乗せたドラゴンが、気を失ってゆっくりと宙を落下していた。

 ぶつかる力を失くしたゲートが、今にも消えそうに揺らめいている。


「リリエル、凛を!!」


 凛ちゃんを助けに行こうとするマホの行く手を塞いだのは……

 ――フリードさんだった。


「もう限界だ。ゲートに入りなさい。お前まで、凛の想いを無駄にするつもりか」

「師匠!どいて!」

「お前の首には、私の牙が埋め込んである。お前さえゲートに入れば、逆探知ができるかもしれない」

「は!?何言って……」

「私がお前みたいな貴重な研究材料を、みすみす逃すはずがないだろう?」

「はぁ!?そん、な……私、GPS入ってんの……?」

「じーぴ……?」

「てゆーか、いつの間に……」

「お前がうちに来た日からだ。――いいから行け。文句なら今度聞く」


 マホとフリードさんが押し問答をしていると、ドラゴンがべしゃり、と音を立てて地に落ちた。

 ドラゴンの下から這い出しながら、凛ちゃんが声を荒げる。


「フリードさん!!マホだけでも行かせて下さい!できなければ、あなたを殺します!!」

「――やれやれ、人使いの荒い魔王様だ……」


 フリードさんは『魔王らしくなってきたか』と嬉しそうにため息をつきながら、マホの首根っこをひょいと掴むとおもむろにゲートに投げ入れた。


「ちょ、やめっ――このくそ師匠!覚えてろっ!!」


 マホは悪態をつきながらゲートに吸い込まれていった。

 フリードさんが手をぽんぽんとはたきながら私の元にやってくる。


「お前は……間に合わなかったか」


 そう言われ、フリードさんの視線の先に目をやると、ゲートが蜃気楼のように揺らいでなくなったところだった。


「聖女は……気を失ったか。力を吸い尽くしたのだ、無理もない。これからは、ただの人に戻るだろう」

「あの、私達は、これからどうすれば……」

「 あとのことは、落ち着いてから考えればいい。マホが無事に帰還していれば、逆探知してリリエルに迎えに行かせよう。あいつを魔族と契約させておいて、正解だった」

「そんなこと、できるんですか?」

「居場所がわかれば、すぐにどこへでも駆け付けられる。それが魔族と我々魔術師の『のろイノほだし』契約だ」

「――素敵な契約ですね?」

「代償が大きく、もう使う者も少ない――外道魔術だがな」


 フリードさんはにやりと笑うと、リリエルと呼ばれた黒い翼の天使に凛ちゃんを回収させて、言った。


「凛様率いる魔王軍――撤退だ」

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