第21話 オトナの事情

     ◇


 私が用事を済ませて帰宅すると、勇者の小娘が少年魔王になっていた。


 儀式は無事に成功したらしい。

 角が生えたり、瞳の色が変わっていたりはするが、自我も理性も保てているようだ。

 染色体操作の術も正常に機能している。


「――その様子では、うまくいったようだな?」


 勇者に声を掛ける。


「フリージアさん、おかえりなさい。薬、ありがとうございました。おかげさまで魔王になれたようです」


 思いがけず良い笑顔で返事をされ、少し面を食らう。

 一体どれ程平和ボケした世界で育てば、数日前に会ったばかりの外道魔術師に、こんな爽やかな笑みが向けられるというのか。

 異界というのは、本当に興味が尽きない。


 私は勇者の真紅あかい瞳を見つめ、挨拶代わりに催眠術をかける。

 もちろん、気付かれないように――だ。


「ふぁ~。それにしても、今日は暖かくていい天気ですね。さっき起きたばかりなのに、ついあくびが……」

「ああ。明日、世界が壊れるとは思えない、いい天気だ。まぁ、壊すのは我々なんだが……」


 軽めにしたとはいえ、私の催眠術があくび程度で済むのだから、魔王化の結果はまずまずといったところか。

 小娘、もとい勇者の放つオーラは増しているし、以前はからっきしだった魔力耐性もちゃんと上がっているようだった。


「あれ?師匠じゃん。いつ帰ったの?用事済んだ?」


 遅れてリビングにやってきた弟子と、聖女の侍女に目を向ける。


「滞りなく済んだ。魔族の侯爵に、明日聖教都に手勢を送るように頼んでおいた。表の世界が壊れたところで裏にある魔界に影響はないからな、あっさり承諾してくれたぞ?」

「へー。全面戦争じゃん?」

「そうでもない。侯爵の部下は魔界の何割かに過ぎないからな。それに、本当に攻め込むことはない。我々の作戦は聖女を前線に引きずり出し、勇者とぶつけることだ。用が済んだら、彼らには撤退してもらう」

「何割って……侯爵さん、そんな凄いひとだったんだ?師匠って、ほんとハイスペックだよね」

「まぁ、私は優秀だからな」

「魔力の味がいいから、ファンが多いだけでしょ?」

「あながち間違いではないが、言い方には気をつけなさい」


 この生意気な弟子の面倒を見るのも、明日で最後。

 そんな、らしくもないことを考えるくらいには、私にも情が湧いていたようだ。


 思えば、厄介な拾い物をした気もするし、今ではこいつの、世界を壊す計画に加担させられている。

 しかし、不思議と嫌ではなかった。

 無論、一度はこいつに命を救われたというのもあるだろうが、魔術師は命を救われたからといって相手に情を抱くものではない。


 振り返ってみれば、弟子を取るのは初めてだったし、ひとと暮らすのは久しぶりだった。

 私はそれなりに、こいつとの生活を楽しんでいたのかもしれない。

 それに、異世界の情報を得る以上に、思わぬ収穫も得られそうだ……

 私は勇者に目を向ける。


「いよいよ、明日ですね」

「ああ。凛、例の件だが……考えてくれたか?」

「追加報酬の件ですか」


 私は弟子に内緒で勇者に追加報酬を依頼していた。

 契約上、私はこいつらに協力せざるを得ないわけだから、本来なら追加の報酬なんて渡す必要はない。

 だが、勇者は契約云々には疎い。

 幸い弟子は今、テーブルで聖女の侍女と共に呑気に茶菓子を貪っているため、こちらの会話は聞かれていない。

 今のうちに勇者と話を詰めておかねば。


「私の要求は、壊れた後の、この世界だ」

「この大陸の半分にあたる私の領土、ですね?私のというより……アワリティウスのですけど」

「【貪欲】の魔王の持ち物に変わりはない。そして今は、お前のものだ」

「かまいませんよ。本当は、奪われた人たちに返してあげたいんだけど、私達は元の世界に帰るわけですし。領土の治め方とか、わからないですから」

「ほう。男に二言はないな?」

「中身は女です!あとで戻り方教えて貰いますからね!!」

「ふっ……わかっている」

「あと、領土の人たちを苦しめないと約束してください。壊れていたら復興を……」

「悪いようにはしない、約束しよう」


 話のわかる勇者で助かった。

 先ほど会ってきた侯爵に、魔族の扇動と吸精の指輪の貸し出しを依頼する代わりに、莫大な報酬を請求されている。

 大陸の半分が手に入れば、返済には事欠かない上、それ以上の成果が得られるだろう。

 

 それに、領土を治めるなんて面倒なことはごめんだ。

 どのみち侯爵に統治を依頼する予定なので、悪いようにはならない、というのも嘘ではない。

 アワリティウスの領土で何を見たかは知らないが、見ず知らずの者の心配までするとは、とんだお人よしだとつくづく思う。


 私はそんなお人よしな勇者、もとい少年魔王の瞳を見据えた。

 魔王にしておくには勿体ない、澄んだ瞳だ。


「魔術師は約束をたがえない。安心しろ」

「わかりました。世界の半分を――あなたに差しあげます」


 その目には一点の曇りもなく、その言葉には優しさと、私への信頼が満ちていた。

 ――前言を撤回しよう。

 こんな人物だからこそ、魔王にふさわしいのかもしれない。


「明日は決戦だ。作戦書に目は通しているな?三人とも、今日は思い残しのないように過ごすことだな」


 私はそう言ってリビングを後にした。

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