第19話 聖女を裏切ろう!

      ◇


 凛ちゃんが『魔王になれ』と言われた翌日、私は朝早くフリードさんに呼び出された。

 今日は女の人の姿だから、フリージアさん、らしい。

 昨晩マホにそう紹介されたけど、いまだに信じられない。

 でも実際に目の前に綺麗な女の人がいるんだから、異世界ってほんとになんでもアリなんだなぁ……


(それにしても、話っていったい何だろう……?)


 緊張しながらソファでもじもじしていると、フリージアさんは缶に入ったクッキーを渡してくれた。


「女子は甘いものが好きだろう。……ん?またつまみ食いされているな……マホめ……」

「は、はい……」


 フリージアさんは私達の計画に協力してくれるらしいけど、昨日会ったばかりであまり話したことがないから、正直苦手。

 マホ曰く、『契約には逆らえないから、無害』らしいけど、どうなんだろう?

 ふたりきりで呼び出されると、さすがの私も警戒してしまう。


「あの、お話って……?」


 沈黙に耐えかねておずおずと話しかけると、フリージアさんは口を開いた。


「頼みたいことが二つある。聖女に対抗するために、必要なことだ」

「あの、私、回復の魔法くらいしか使えないですよ……?」

「お前の回復魔法が尋常ではない精度であることは、マホに聞いている。一つ目は、それだ」


 フリージアさんは手に持っていた包みをおもむろに開け始める。

 ――そこには血の気を失った人間の腕があった。


「うっ……」


 私が思わず目を逸らすと、フリージアさんは包みを閉じてくれた。


「お前はこういうものには耐性が無いようだな。戦いとは無縁の生活をしてきたか」

「は、はい……。聖女様の侍女としてのお仕事と騎士団の方々の治療くらいしかしてきませんでしたから。でも、これほどの大怪我をした人の手当ては経験がありません……」

「経験ない、か。お前には、これを私の腕に、元通りにつけて欲しかったんだが……」


 そう言ってフリージアさんは羽織っていたケープを脱ぐ。

 ケープの下は、ノースリーブのワンピースだった。片腕側の傷口に包帯を巻いている。


「それは――あなたの腕ですか……」

「ああ。聖女にやられた。お前は直前に気を失っていたから、わからなかっただろうがな」

「聖女様が、これを……」


 あの温厚な聖女様がやったとは思えない、と言いたかったが、悲しいことに私はどこか納得していた。


 私には時折、聖女様の心は本当は冷たいのではないかと思ってしまうことがあった。

 聖女様は教会のトップであり、魔族との闘いにいつも備えていた。

 それはもちろん人々を守るためであるけれど、聖女様と騎士団の方の会議を傍で聞いていると、防戦一方ではなく、積極的に魔族を追い詰めようとする作戦もあった。

 私は、聖女様はそんな作戦には反対なさると思っていたけど、そんなことはなかったのだ。

 聖女様はいつもと変わらないあの穏やかな笑顔で『我らにこそ神はあり』と仰るだけだった。


 そんなことを思い出してうつむいていると、フリージアさんが顔を覗き込んでくる。


「――どうした?できそうか?」


 はっとして顔を上げる。

 できるかできないかで言えば、多分できる。さっきから、ぽやぽやがフリージアさんの傷口と、切り落とされた片腕の間をうろうろしてるから。

 言い方は変だけど、あの片腕はおそらく――まだ死んでない。


(でも、この腕を治していいのかな?)


 昨日マホが言っていた、『片腕なら揺すれる』という言葉を思い出す。

 両腕に戻ってしまったら、どうなるのだろう。私達に、凛ちゃんに、牙を向くのだろうか?

 ただ、聖女様がこうした、ということに何故か追い目を感じてしまっている自分もいる……


 私が躊躇していると、フリージアさんは、私の目の前でひらひらと手を振った。


「おい、聞いているのか?安心しろ。契約書があるから逆らえん。むしろ、お前たちにこれから協力するうえで、この腕を治してもらった方が都合がいいのだ」

「そっか。契約書……」


 私は大事なことを忘れていた。

 この人は、今、無害。――味方だ。


 私は自分の心に再び問いかける。治したいか、治したくないか。答えは決まってる。

 目の前に怪我人がいたら、治したい。


「任せてください。治せます」


 私は空中でうろうろしているぽやぽやを誘導して腕と傷口に集め、くっつきますように、と念じる。

 フリージアさんの左腕は、きれいにぴったりとくっついた。


「『ギフテッド』はこれだから……まったく、なんでもアリだな」


(呆れてるのか、感謝してるのかどっちなんだろう?どっちもかな?)


 でも、私にも役に立てることがあるのは、嬉しかった。

 凛ちゃんだけに大変な思いをさせるのは、イヤだったから。


「フリージアさん、二つ目のお願いって?」

「ああ、そうだった」


 フリージアさんは治った腕をさすりながら、紅茶のお代わりを淹れてくれた。


「聖女の力を削ぐ。――お前にしかできない方法で」

「私にしか……できない?」

(それはいったいどういう……?)


 疑問に思っていると、フリージアさんがおもむろに口を開く。


「聖女の力の源を知っているか?」

「えっと、大天使様のご加護を受けていることですか?」

「――そうだ。確かウリエルだったか?加護を受けている、なんて言い方をして崇められているが、その実、大天使と契約関係にあるというだけだ。大天使という尋常ではない大飯喰らいを、天使の純潔を守ったまま使役させているのだから、魔力の保有量、回復量共に最強の名に恥じないスペックなのだろうが……」

「はぁ……聖女様って、やっぱり凄かったんですね」


 魔術の話になると、フリージアさんはちょっと早口になる。

(好きなんだろうなぁ、魔術。なんか、ちょっと可愛いかも……?)


「話は逸れたが、お前、ウリエルの姿を見たことはあるか?」

「大天使様の……ですか?ないです……」


 そう言うと、フリージアさんは考え込んで、なにやらブツブツと呟いている。


「ふむ。何かに擬態しているのか?大天使に潤沢な魔力を与えるとなると、四六時中一緒にいて、触れている可能性が高いのだが……。お前は聖女の侍女で、いつも一緒にいたのだろう?聖女が頻繁に誰かと会っていたり、肌身離さず持ち歩いているものに心当たりはないか?」

「えーっと……」


 ――聖女様の姿を思い浮かべる。

 聖女様は普段、執務中以外は中庭でのんびりしていることが多い。

 椅子に腰かけて本を読んで、紅茶とお菓子を楽しみ、花の咲く庭を散歩して。

 庭には小さな男の子が遊びに来ることが多くて、その相手をしてあげたり……


 私はそこで、ひとつのことを思い出した。


 ――遊びに来る子は、いつも同じ子だったのだ。


 聖女様は普段、その子を膝に乗せて絵本を読み、その子と一緒にお菓子を食べ、その子の手を引いて庭を散歩する。

 そして、聖女様は侍女である私に任せず、自ら、その子を送ってくると言っていつも去っていくのだ。


 ――人気(ひとけ)のない、森の方へ。


「あの子、かもしれない……」

「ほう……心当たりが?」

「はい。普段から仲良くしてる、小さな男の子がひとり……あと、その子に貰ったっていうネックレスを、肌身離さず付けていらっしゃいます」

「――間違いない」


 フリージアさんが口角を歪めてにやりとする。

 いかにも悪いことを考えてそう。


「そいつを奪え。奪うといっても、これはあくまで保険だ。凛と聖女が力をぶつけあい、凛が押し負けていると思ったら、実行すればいい」

「え、奪うっていっても、どうやって?」

「お前に吸精(きゅうせい)の指輪を渡す。相手の魔族契約を奪う、禁制の道具だ。私の契約している魔族にそれを持っている者がひとりだけいる。どれだけ大枚を払わされるかわからないが、明日にでも借りて来よう」


 フリージアさんはさっき治した方の手をひらひらと振っている。

 昨日マホに聞いた話だと、指に魔族の人と契約した証が入るんだとかなんとか。マホの指にもそれが入ってた。

 きっとフリージアさんのその手に、指輪の持ち主がいるのだろう。


「だから、私に腕を治させたんですね?」

「そうだ。その指輪をした状態で、ネックレスを奪い、聖女に口づけをしろ」

「えっ……」


 突拍子もない指令に動揺が隠し切れない。

 そんな私をよそに、フリージアさんは続ける。


「聖女に近しい、お前にしかできないことだ」

「でもそんな、聖女様がそんなこと許すわけが……」

「――お前には、人質になってもらう」

「えっ……?」

「決戦当日、お前を『我々に捕らえられている人質』ということにして、聖女を焚きつける。人質を解放するタイミングで、聖女に全力の攻撃を仕掛ける。お前を守るためなら、聖女も全力で反撃してくるだろう」

「えっ……」

「お前ごと攻撃すれば、聖女の怒りも頂点に達し、その後も戦闘をやめないだろう。――それが狙いだ。お前には、聖女が全力で戦うための理由になってもらう」

「うわぁ……」


(昨日からちょっと思ってたけど、やっぱりこの人、悪い人なんじゃないかなぁ……?)


「解放された人質として、お前は聖女の傍に潜り込むことができるわけだ。傍にいるなら、隙をついて口づけるくらいできるだろう。聖女はお前を警戒しない。ましてや戦闘中、意識は凛に向いているはずだ。隙ならいくらでもある」


 確かに、それなら私にもできそうだ。

 凛ちゃんの攻撃に私が巻き込まれそうになることとか、聖女様に口づけないといけないこととか、異論はいくらでもある。

 でも、私がそれを嫌がって、そのせいで凛ちゃんが聖女様に負けるのだけはダメだ。

 自分の気持ちとか、身の安全とかと凛ちゃんを秤にかけたら、そんなの、答えは考えるまでもない。


「それが私達の、いや、凛ちゃんのために必要なら……」

「もう一度言おう。これは、お前にしかできないことだ」


 私は覚悟を決めて、大きく頷いた。

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