第18話 人間をやめよう!

 頭の中が真っ白になる。


 自分が魔王になる――だって?


(確かに魔王程強くなれば、聖女と渡り合うことも可能かもしれないけど、どうやって?)


 あまりに突拍子のない提案に、言葉が上手く出てこない。

 アンとマホも呆然としている。そんな私達に構わず、フリードは続ける。


「魔王になるには、方法が二通りある。魔族出身の者が世襲や実力でなる場合と、前の魔王の能力を引き継いだ存在が新たな魔王になる場合だ。凛には後者をやってもらう」

「…………」

「言わなくてもわかると思うが、凛は単体で魔王を斃せる実力がある。これで魔王の力を引き継げば、聖女とも、そこそこ互角に渡り合えるだろう。魔王の能力を引き継ぐ方法だが……」

「ちょっと待って!!何、勝手なこと……!!」


 淡々と続けるフリードをマホが静止する。あまりに急な話を振られて混乱しているのは、私だけではないようだ。


 だが、マホがここまで躍起になって話を遮るのは、私の為。それはすぐにわかった。

 私の承諾なく話が進められている事を気にしてくれているんだ。アンも心配そうにこちらを見ている。

 ふたりの優しさに触れ、先程まで真っ白だった頭が、次第に冴えていく。


 自分は何を迷っていたのか。ここまで来て、引き返すことも、中途半端にすることも出来ない。随分前から決めていたのだ。

 ――ふたりの為なら、なんだってすると。

 私は話を遮られて不機嫌そうなフリードに向き直り、断言する。


「――やります。続けてください」

「「――ッ!?」」


 アンとマホが一斉に何か言おうとしたが、静止する。


「大丈夫だから」


 ふたりは納得いかないというような顔だったが、私が微笑むと、立ち上がりかけた腰をソファにゆっくりと降ろした。


「――続けていいのか?」

「はい」

「凛。【貪欲】の魔王アワリティウスの遺体はどうなっている?」

「頭と心臓は氷漬けにして宿の冷凍庫に保管してますけど、他はバラバラにしたから、魔王城と一緒に燃えたかと」


 アンとマホが『ひっ』とか『凶悪犯がやるやつだ』とか口々に言っているけど、もう気にしない。


「バラさないと……ほら。復活とかされると困るでしょ!頭と心臓は、ハインリヒに証拠を見せる必要があったから……」


 一応、自分にフォローを入れておく。


「ふむ、上出来だな」


 フリードは小さく呟くと、私とふたりきりで話がしたいということで、アンとマホを二階に上がらせる。

 ふたりは心配だからついていると言ってきかなかったが、私に説得されると、文句をいいながら階段を上がっていった。


 ふたりの姿が消えたのを確認し、フリードは私に向き直る。


「覚悟はできているのか?人でなくなるのだぞ?」

「他に世界を壊す方法が無いのなら、やります。それがふたりの為だから」

「わかった。なら、本題だ。魔王になる方法だが、それ自体はシンプルだ」


 ひと呼吸おいて、フリードは信じたくないようなことを口にする。


「魔王の心臓を食べなさい」 


 ――背筋が凍りつく。


「後日、場を用意するので、そこで魔王の心臓を食べなさい」


 覚悟はしていたつもりだが、方法が想像以上に常軌を逸していて固まってしまう。


「アワリティウスほどの魔力耐性があれば、聖女の攻撃にも耐えることができるだろう。あいつは、性格や思考は残念だが、魔術の才能は素晴らしかった」


 食べて――取り込む。自分でも悔しいくらいに納得のいく、至ってシンプルな方法だ。

(――やるしか、ないか)

 私が躊躇しているのがわかったのか、フリードが口を開く。


「安心しろ。何も生肉を食えと言っているのではない。食べやすいように加工は施す。執念深いアワリティウスのことだ。心臓に細工している可能性もあるからな、それも調べておこう」

「……細工?」

「死んだときの保険のようなものだ。身体や臓器に自分の意識を凍結状態で残しておき、他者に取り込まれたり、身体が再生した際に復活させる、一種の呪いのようなものがあると聞く」

「呪い……」

「魔術適性の高い者にしか使えない、自分にかけるタイプの希少な呪いだ」

「つまりアワリティウスの意識が復活すると……」

「――身体を乗っ取られるだろう。見つけたら解呪を試みるが、私の専門分野ではない。専門家である奴の呪いを解くのは、難しいかもな」

「……」


 これは思った以上に、ハイリスクな賭けかもしれない。


「だが、奴を取り込めれば、魔力耐性以外にもメリットが得られる」


 ひと呼吸おいて、フリードはまたもや信じられないようなことを口にした。


「性別を、自在に変えられるようになる」

「……は?」

「お前、見た目はいかにも少年に見えるが、女なのだろう?マホに聞いている。アワリティウスは魔力の強い男だ。取り込めば、そちら側に身体の特徴を寄せる術がある」

「つまり、奴の身体になる……と?」

「いや、あくまで寄せるだけだ。染色体操作だな。体格差まで埋まるものではない。お前が男になるだけだ」

「寄せるって……それで身体を乗っ取られたりしないんですか?」

「それはないから安心しろ。これはあくまでこちら側で身体を操作する術。奴の呪いとは、無関係のものだ。ただ、身体的特徴が反映されるから、味や香りの好みなど、五感に関するものに変化があるかもしれない」

「え、こわ……」


 思わず口をついて本音が出てしまう。


「ふふ、魔王を斃(たお)した勇者とは思えない小娘だな?素直というか、気取らないというか、なんというか……」


 フリードは口元に手を当てて可笑しそうに笑っている。

 そして、何を思ったか、おもむろにソファから立ち上がると、右手の指を咥えた。

 次の瞬間。

 白い霧のようなものが辺りに立ち込め、フリードの姿がみるみる変わっていく。

 肩まであったこげ茶の髪は胸元まで延び、その胸元が膨らんで、大きく開いたままのシャツの隙間から谷間を覗かせている。


「うそ……でしょ……?」


 不健康そうな高身長の男が、一変して妖艶な美女に変わった。

 目元の隈や、血色の悪い生白い肌はそのままなので、不健康で眠そうな、美女だ。


「安心しろ。術の安全性ならこの身で実証済みだ。私も、元は女だからな」


 開いた口が塞がらない。


「今は理解できずともよい。実際にやってみればわかる。魔王の心臓を食す儀式と共に、染色体操作の術もかかるように準備しておこう。自在に変化できれば戦闘においては便利だろう。身につけておいて損はない」

「わ……かり、ました……」


 正直わからないことだらけだったが、魔術について説明を求めたところで、私の頭で理解できる自身もない。

 男の身体になれば、今より力が強くなるだろう程度の認識しかできていないが、強くなって聖女と渡り合えるなら、この際なんでもよかった。

 私達の目的はあくまで『世界を壊し、元の世界に帰ること』だ。

 それさえできるなら――魔王にだって、なってやる。


「儀式については一切をお任せします。いつできますか?聖女がアンを追ってくるはずですから、なるべく早めにお願いします」

「ほう、なかなかに肝が据わっているな?さすがは勇者といったところか」

「優先順位の問題です。私達が元の世界に帰るためなら、なんだってしますよ……」

「――素晴らしい心構えだ。魔王の心臓を受け取ってから、三日ほど時間を貰うぞ」

「今日にでも心臓を取りに行きます。明日には必ずお渡ししますから」

「では四日後、この屋敷の地下室に来なさい。場所はマホに聞くといい。私はその他にも準備することがあるのでしばらく留守にする。聖女をおびき出す準備などはこちらでしておくので、お前たちは力をぶつけることだけを考えればいい」

「見かけによらず、面倒見がいいんですね?」

「まったくだ。しようと思えば大抵の事が出来てしまう。優秀すぎるのも考えものだな。私としては追加報酬が欲しいところではあるが……」


 向けられる――期待の眼差し。


「か……考えておきます」


 フリードは口元をにやりと歪めると、用事があると言って部屋を出ていった。


「――さて、行きますか」


 私は冷え切った紅茶を飲み干し、魔王の心臓を取りに行くため、屋敷を後にした。

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