第15話 悪い魔女
◇
――師匠のことが、キライだった。
魔術の指導と称して勝手にキスしてくるし。血を採るときに、必要以上に噛んでくるのもやりすぎだし。
いくら女同士だからって、限度があるでしょ?それに、痛いのはイヤなのに、全然手加減してくれないし……
ただ、私が魔術で成果をあげると決まって、『よくがんばりました』という風に頭を撫でてくれた。
その時の、その感触だけは、心地よくて、好きだった。
私にとって師匠は、そういう奇妙な存在だった――
その師匠の腕が、頭を撫でてくれた手が……
――私の足元に、転がっている。
その腕を見ていると、呼吸が息苦しくなり、目頭が熱くなる。
身体から離れて血の気を失っていくソレを目の前にして、ショックで言葉が出ない。
「ぐっ……何をしている。早く逃げなさい……」
「でも、腕……くっつけないと……」
左肩から噴き出す血を止めようともせず、残った右手で、私達の目の前に防護障壁(シールド)を張る。
バランスを崩して倒れそうになったところを、なんとかして受け止めた。
師匠の顔色は普段よりも一層青ざめ、呼吸も次第に弱まっている。
「私の腕を、持っていけ。万一私が死ねば、その爪に刻まれている魔族が、腕の持ち主の元に現れる筈だ。彼らは必ず、お前の力になってくれる」
「でも、ソレ……私を庇ったせいで……」
「お前の身体には封印を施してある。マナバーストはもう起こらない。安心して、行け」
躊躇していると、今度は右手で私の頬を撫で、涙を拭う。
(あれ?私、いつの間に泣いて……)
「いいから、行きなさい――まったく、最期まで、聞き分けのない奴だ……」
力なく微笑むと、師匠は気を失った。
私に寄りかかっていた身体が、鉛のように一気に重くなる。
(置いていけるわけ、ないじゃん……)
こんな、普段の態度からは想像できないような、自己犠牲的な庇い方されて。
(いまさら、師匠ヅラとか……)
魔術師は、利用できるものは何でも利用する、とか言ってたくせに。私を見捨てれば、こんなことにはならなかったはずなのに。
私は師匠の右手を握る。
「なんとかしないと。私にできること……」
眼前の防護障壁(シールド)を見据え、気をしっかりもつ。
(落ち着け、考えろ……)
防護障壁(シールド)は、聖女の攻撃にあと何回耐えられる?
「驚きました。外道が貴女を庇ったことも。貴女が自らの意思でその者を見捨てないことも……」
声の方に目を向けると、アンが聖女に抱きかかえられ、ぐったりと気を失っていた。
(眠らされた……?友達を殺すところは見せられないってわけ?)
「貴女も、外道魔術の心得があるのはわかっています」
聖女が、死にかけの虫を見るような眼差しで、こちらを見つめている。
「あなたがたは、神にとっての危険因子です。幼い外道魔女。見逃すわけには参りません」
「私も、黙って殺されるつもり、ないから」
見栄を張っても、できることなんてひとつしかない。
私は、契約の紋が入った人差し指と中指を咥え、魔力を込めた。
辺りが、むせ返るような花の香りに包まれたかと思うと、雲の隙間から眩い光明が差し、一瞬にして妖花ベラドンナと天使リリエルが姿を現す。
「お呼びでしょうか?我が主よ」
私を守るように周囲を警戒するリリエル。
白銀の甲冑と背中の翼が光を受け、きらきらとしている。相変わらずの美しさだ。
ベラドンナは私に身を寄せ、心配そうにこちらを覗き込んできた。
「ベラ、リリエル。来てくれてよかった……」
味方が来たことへの安堵で腰が抜ける。そんな私にすぐさま駆け寄るリリエル。
「これは……」
無残に切断された師匠の腕を見て、状況を悟る。
ベラドンナはすぐに葉っぱと蔦で師匠の腕を止血し、鎮静作用のある花の香りを嗅がせた。
「絶体絶命、というやつですか……フリードが意識を失っていては、いくら時間を稼いだところで転移魔術は使えない。ましてや敵は……」
先程から攻撃を凌いでいる防護障壁(シールド)の向こうに目を凝らす。
リリエルの表情が一瞬にして凍り付いた。
「聖女……!?」
天使達は本来、その上司にあたる大天使の命によって、教会の守護を司る。
聖女と敵対するなどもってのほかであることは、私にもわかっていた。
「マホ、あなたという人は……私に堕天しろと仰るのですか?」
動揺を隠しきれないリリエル。
聖女に歯向かえば、天界を追放される事は確実。加えて、大天使の力に対し、普通の天使では到底太刀打ちできないだろうことも想像できる。
リリエルに抱えて貰って逃げるにしても、聖女がそれを許すとは思えなかった。
この状況を打開するには、リリエルが堕天して、聖女と戦うしか打つ手が無い。
――でも、それでも、頼るしかなかった。
「ごめん、リリエル……ごめんなさい……」
(私が、弱いせいで……)
「たすけて……」
私の表情から想いを悟ったのか、リリエルは私の頭をぎゅーっと抱きしめる。
「そんな顔をしないでください、主。ただ、ひとつお尋ねしてもいいですか?」
「なに?」
「あなたは、責任を――取ってくださるのですね?」
「……わかってる」
もしリリエルが堕天して自制が効かなくなったら、私が止めないと。
――命に代えても。
こちらを見つめる金色の瞳から目を逸らすことなく、頷いた。
「即答ですか、わかりました。あなたに身を委ねます。私に選択肢など無いようですから」
観念したような、それでいて即答されたことが嬉しそうな声だ。
(わかってくれてよかった……できれば、無理強いはしたくなかったし)
私はリリエルの白磁の様な頬を、両手でそっと包み込む。
「お願い。私の為に、堕天して……」
「はい。必ずあなたを護(まも)ると誓いましょう。天使の名に懸けて」
「……ありがとう」
そして、ありったけの魔力と願いを込めて、その唇にキスをした。
キスされながら私を見つめるリリエル。
その瞳は次第に潤み、朝日のような金色から、夕焼けのような橙に染まる。
そうして、うっとりと気持ち良さそうに瞼を閉じた。
再び瞼を開けると、真紅の月のような瞳がこちらを覗いていた。
舌先に触れる八重歯が少し痛い。美しかった白銀の翼は漆黒に染まり、もう沈みかけている夕陽を受けて、怪しく艶めいている。
唇を離すと、リリエルは目を細めて微笑んだ。
「天使を堕天させるなんて、あなたは悪い魔女ですね?」
言葉に反して、その表情は私に対する慈しみに満ちている。
(ああ、この人は。堕ちて、姿が変わっても……本当に天使なんだ……)
私が呆けていると、リリエルは踵を返して聖女に向かっていった。
「もう防護障壁(シールド)が保ちません。打って出ます。これより、この翼は天ではなくあなたの翼。我が主(あるじ)よ。どうかご命令を」
私は一言、力強く命令する。
「逃げる隙を作って。アンが無事なら、後はどうなったって構わない」
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