第12話 みんなの勇者の、裏の顔
◇
ハインリヒに聞いた話を告げる為、私は久しぶりにアンの元を訪れた。
マホの捜索についても、進捗を確認したい。ハインリヒからはまだ連絡が来ていないが、ひょっとしたらアンの方で何か掴んでいるかもしれない。
(アンに会うのは、ここの正門で別れて以来か……)
門番のお兄さんに案内され、教会本部の離れにある、教団員寮に足を運ぶ。今日はムーちゃんはお留守番だ。
アンはあの後、教会の騎士団の試験、衛生兵部門で異例の功績を挙げたらしい。
そこで聖女の目に留まり、現在は聖女付きの侍従としてこの寮で寝泊まりしている。
部屋の前に来ると、装飾の凝った重たそうな扉の隣に【Anne】と小さく金字で表記がある。豪華な装いの部屋だ。私の寝泊まりする宿屋とは比べ物にならない。
友達に会いに来ただけなのに、なんだか妙に緊張しながら扉を叩く。
「アン、いる?」
中からバタバタという聞き覚えのある鈍くさい足音が聞こえ、扉が開かれると、急に暖かくてふわふわした生きものに抱き着かれた。
「凛ちゃーーーーん!会いたかったよぉ!」
「久しぶりだね、アン。今日は非番だって門番の人に聞いたんだ。随分上等な部屋だから、ほんとにここなのか、心配したよ」
「えへへ、聖女様がね、すっごく良いお部屋をくれたんだよ。なんと!テラスがついてるの!!じゃーん!!オーシャンビューだよぉー」
そう言って無邪気に私の腕を引っ張り、テラスに案内する。
誘われるまま足を運ぶと、心地よい風が吹き、庭木のいい香りがした。沢山の花に囲まれた庭園の向こうには、夕方になって灯台に照らされ始めた海が広がっている。
「綺麗……」
「でしょ?綺麗だよね。マホにも、見せてあげたいなぁ……」
「うん……」
久しぶりに会っても、やはりマホのことが気がかりで、なんだか晴れ晴れとしない気持ちになってしまう。
「凛ちゃん、何かわかった?」
そう聞かれ、私は先日訪ねた賢竜のこと、そこでドラゴンの子供の世話を任されたこと、聖剣を貰ったことなどを、かいつまんで話した。
私の冒険譚を聞くたびに、頬杖をついたまま嬉しそうに頭を左右に振るアン。
こうしていると、放課後に恋話(バナ)とか、駅前にできたクレープ屋の話をしていた時と、何も変わらなかった。
いつまでも、この時間が続けばいいのにと思う。
(けど、今日はどうしても、話さないといけないことがある……)
聖剣とか、そんなものより、遥かに重大な話。
私は最後に、意を決して重い口を開く。
「アン、落ち着いて――聞いて欲しい。うちに帰る方法が、見つかったよ」
「ほ、本当に!?やった!凛ちゃんはやっぱり凄いよ!」
私に抱き着いてぴょんぴょんと跳ねるアン。その笑顔が、今の私には眩しすぎる。
「お、落ち着いて、アン。あのね、うちに帰るには、その……」
思わず口をつぐむ。アンが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
私は意を決した。アンの為にも、これは言わなければならないことだ。
「うちに帰るにはね……この世界を壊さないといけないの」
「――え?」
「正確には、大きな力をぶつけ合って、天変地異が起こるような衝撃を、この世界に与えないといけない。そうしたら、異世界、私達がいた世界への扉が開くんだって……」
「じゅ、凛ちゃん、ちょっと待って。話が大きすぎるよ。ひょっとして、途中からフィクション?サプライズ?ドッキリ?私そういうの、よくわからない……」
目を左右に泳がせながら、しどろもどろになるアン。
勿論、誰よりも優しくて、人を信じ過ぎるアンには、酷であることはわかっている。
こんな、『自分達の為だけに世界を壊す』なんていうことは。
それがわかっていながら、残酷な真実を告げる自分が、まるで小さな子供に意地悪をしているみたいで、アンがどうしようもなく可哀想になる。
私は、腕に縋っているアンを優しく抱き締めた。
「ごめんね。怖いよね。でも、本当なんだ。お願い……信じて」
腕の中で小刻みに震えていたアンは、しばらくするとゆっくりと顔をあげた。大きく凛んだ瞳には、私の泣きそうな顔が映っている。
「凛ちゃん、それ、いつ分かったの?もしかして……ずっと、抱え込んでたの?」
アンの問いかけに、はっとする。
(――そうか……可哀想なのは、抱き締めてもらいたかったのは……)
――私の方、だったのかもしれない。
促され、私はポツリポツリと今までのことを話す。
「分かったのは、二週間前くらいかな……世界を壊すっていう話を何とか理解して、でも、壊すだけだとよくないから、壊れた後の世界を治す方法も探したんだ。それならまだ許されるのかなって……」
「うん」
「アンとマホのためならなんだってしようって、決めたはずなのに。この世界のことも、やっぱり、気になっちゃって……」
「凛ちゃんはやさしいもん。仕方ないよ」
「でも、そんなのどこにも無くて。これから壊しちゃうのに、この世界の人とどう接すればいいかもわからないし、ずっと独(ひと)りでいた」
「うん」
「竜の試練に合格して、魔王を斃した、『ギフテッドの勇者』なんて讃えられても、苦しいだけで……あの喝采が、うるさくて……頭から離れなくて……」
「うん」
「一緒に帰らないといけないのに、マホも見つからないし。今どうしてるのかとか、無事なのかなとか考えてたら、二週間も経っちゃって……」
「うん」
「早く言えなくて、ごめん……」
堰を切ったように涙が溢れる。ちゃんと泣いたのは、この世界に来てから初めてだった。
アンは私を撫でながら、何も言わずに、ずっと話を聞いてくれた。
「凛ちゃん、ごめんね。私の為に、ひとりで考えてくれてたんだね。こわかったよね」
アンの、やさしい声。
「もう、ひとりじゃないよ。世界を壊すなんて、沢山の人に恨まれちゃいそうだけど、凛ちゃんとなら――何も怖くない」
言葉に反して、私の頭や背中を撫でる手は、少し震えていた。
「マホもきっと大丈夫。あれで結構図太いとこあるし。だから、だいじょうぶだよ」
そう言って私を見据えたアンの眼差しは、私のよく知っている、無邪気な子供のそれではなく、大人の女性のものだった。
夕陽に照らされて目じりの涙が少し光る。宝石みたいに、すごく綺麗。
「ありがとう、アン。なんだか大人になったね」
「ふふっ、私達もう、高二だよぉ?そろそろ結婚もできちゃうのに。おかしな凛ちゃん?」
いたずらっぽく笑うアン。
そして、目を細めて上目がちに私を見つめる。夕陽のせいか、頬が少し赤い。
「凛ちゃんも、こっち来てカッコよくなったよね。凛々しくなって、髪も短くして、ちょっと男の子みたいで私の知ってる凛ちゃんじゃないみたいだけど、優しいところは変わらなくて。こうしてると、ちょっと、どきどきしちゃうかも……」
見たことのないアンの色っぽい表情。自分の心臓の音が、少しうるさく感じる。
「アン?嬉しいけど、男の子みたいは、ちょっとな……」
「なーに照れてるの。やっぱり、変な凛ちゃん。でも男の子みたいなのは本当だよぉー」
そう言って私の胸をスーッと掌でなぞる。
まな板の上を滑る包丁の様に。
「ば、ばか!自分がデカいからって!この鬼!悪魔!」
学校にいる時と変わらない他愛のないやり取りに、さっきまでの涙も、怖さも、どこかへ行ってしまった。
アンは不思議だ。子供っぽくて悪戯好きで。こうして一緒にいると、嫌なこと全て楽しい気持ちに流されていってしまう。
「そうだ!聖女様に美味しい紅茶とお菓子を貰ったの。一緒に食べよう?もうちょと話したいし。今日は泊まっていきなよ!このお部屋、ベッドも広いんだから。ふたりくらい余裕!!」
(アンには――敵わないなぁ)
はしゃぐアンに流されて、ありがたく泊めてもらうことにする。
ふたりでお茶会なんて、いつもの放課後みたいで、本当に楽しかった。
一緒にお風呂に入って、お互いの髪を乾かしあって、広いベッドにふたりして大の字に寝そべる。
「小さい頃はよく、三人で川の字になって、凛ちゃん家の縁側で、お昼寝したよね」
「うん。ブランケットが一枚しかなくて、いつもマホに取られてたっけ」
「マホ寒がりだし、寝相悪いんだもん」
「ふふ、そうだったね」
「ねぇ。今日みたいに、また
「うん。絶対に」
翌朝になると、昨日の深刻で絶望的な話も、嘘みたいに気にならなくなっていた。
(――うん。決めた。やっぱり私は……世界を壊すよ)
アンとマホがまた笑ってくれるなら、私にはもう――何もいらないから。
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