第8話 拾われ天使リリエル

     ◇


 フリードに保護されてから数か月が経ったある日、私は驚くべきものを目にした。

 

 ――天使だ。背中に羽の生えた有翼人。いままでおとぎ話でしか知らなかった存在。

 それが今、私の目の前にいた。デロデロに酔いつぶれてへべれけの状態で。


「師匠……それ……どうしたの?」


 私が聞くと、フリードはお姫様抱っこの状態で持ち帰ってきた天使を乱暴にソファに転がした。

 見た目は私より少し年上の女の子といった感じだ。天使はなにやら、ふにゃふにゃと寝言を呟いているが、呂律ろれつが回っていない為、まったく聞き取ることができない。

 聞き取ろうとして顔を近づけると、その容姿の美しさに目を奪われてしまう。

 腰まである白金色の長い髪を三つ編みにして背から垂らし、同じく白金色の長い睫毛がぴくぴくと動いている。肌は白磁のように白く滑らかで、酔っているせいか、頬がほんのり紅潮していた。

 武装の為か、装飾のついた白銀の胸当てをしているが、下は白のミニスカートだ。こんなことを言っては天罰が下りそうだが、ロングブーツとスカートの間からのぞく太腿がなんだか艶めかしい。

 そして何といっても、頭の上にぷかぷかと浮かぶ光輪が気になって仕方がなかった。

(あの輪っか……どういう仕組みなんだろう……)


 好奇心が抑えきれず、天使をじろじろと見つめる。

 その天使は、見れば見る程美しかったが、どうにも酒臭かった。


「気に入ったか」


 フリードは外出用のコートをシルキーに預けると、天使の横に狭そうに腰かける。


「いや、それより、このひと……天使だよね?」

「ああ。仕事帰りに拾った」

「拾ったって……」

(いやいや。子猫じゃあるまいし……)

「何故か知らんが、魔界の酒場近くの路地で酔いつぶれていてな。放っておいたら死にかねないので連れて来た。土産だ」

「仕事って、魔界に行ってたの?」

「ああ。酒場近くの店に、子供には言えないような薬を卸してきた。相変わらず阿呆みたいな高値で引き取ってくれたぞ」

「へ、へぇ……ってか、魔界ってそんな簡単に行けるの?」

「私は魔族と契約しているからな。一度招かれれば、それ以降は魔術で転移できる」

「師匠って……結構ハイスペックじゃね?」

「はいすぺ――?」

「な、なんでもできるって意味!それより、この天使どうするの?」


 柄にもなく褒めてしまってなんだか気恥ずかしくなり、話を逸らす。

 フリードはため息をついたかと思うと、天使の白い頬をぺしぺしと叩く。


「とりあえず、酔いつぶれている上に、魔力不足で衰弱しているのをなんとかする。大方、酔わされて魔力の源である宝石を奪われたのだろう。魔界に何をしに来たかは知らんが、間抜けな奴め」

「ちょ、そんな叩いたら可哀想じゃん……やめなって」

「起きろ。いつまで寝ている」


 フリードの叩く力が強くなると、天使が鬱陶しそうに目を覚ました。


「うぅん……なんれすか。人が気持ちよく寝ているというのに……」

「お前、魔力を込めた宝石はどうした?天使どもが持ち歩いているやつだ。おかげで死にかけているぞ」


 フリードの言葉に、天使はハッとしたように飛び起き、何かを探すように自分の身体をまさぐる。


「――な!無い!!道理で力が抜けるわけです!それに、怪しい男!何者ですか貴方は!!さては私を謀りましたね!?」


 フリードの見た目は、確かに不健康そうで目つきが悪く怪しいが、助けた割には散々な言われようだ。言われた本人は眉間に皺を寄せ、いかにもうんざりといった表情をしている。


「酔いつぶれて死にかけのお前を、ここまで連れて来たのは誰だと思ってる。私が外出中で男の姿だったから運んで来れたものの、誰かに精気を搾り取られて堕天でもしたらどうするつもりだったんだ」

「はっ……そうです。私は魔界の調査に来て、酒場で情報収集をしようと……」

「奢られた酒にでも手をだしたか」

「何故それをっ……?」

(えぇー……そりゃあダメでしょー。私でもわかるわそんなん……)


 そこまで聞くとフリードは再び大きなため息をつく。私にすら、この天使は危機感が欠如していて、どうやら抜けているということがわかる。


「天使というのはこれだから……人を疑わなさすぎる。こんなのの集まりでよく天界は成り立ってるな?まあいい。選べ。私と契約して魔力を受け取るか、魔力不足で死ぬか」

「契約って……誰が貴方のような怪しい男に協力など……」

「では、僭越ながら、お前の命の灯が小さくなってゆくのを見守らせてもらおう」


 フリードは薄笑いを浮かべながら言い放った。


(助けるつもりで連れて来たんじゃなかったの?)

 相変わらずフリードの考えることはわからない。でも、魔力を受け取る意思が無くては、私達にできることは無いということは、数か月間魔術を学んだだけの私にも理解できた。


(せっかく助かるチャンスがあるのに。なんとかして助けてあげたいな……)

 こんな綺麗な天使が弱っていくのをただ見ているだけなんて、可哀想すぎる。


「師匠、魔力ってどうやってあげるの?キスするの?それとも血、飲ませてあげる?」


 私の言葉を聞いて、ソファでぐったりしていた天使が再び飛び起きる。背中の翼をバタつかせて、なにやら相当動揺しているようだ。


「たたたた!体液の経口摂取だなんてとんでもない!!そ、そんな破廉恥なことをしたら、神罰が下って堕天してしまいます!!」

「えぇー……?だってベラドンナと契約したときはそうだったし……」


 疑問に思っていると、フリードが慌てふためく天使を制止して口を開く。


「天使について少し授業をする必要があるな。まず、天使というのは厳密には魔族と異なる存在だ。魔力を摂取しないと死ぬという点は同じだが、その摂取方法が限定されている点で異なる」

「経口摂取はダメ……?」

「そうだ。天使どもは必ず、自分の宝石を肌身離さず持っている。そこに込めてある魔力を吸収して取り込むんだ。面倒を見る契約者がいるのであれば、そいつの傍にいることで魔力を受け取ることができる。経口摂取よりも十数倍効率は落ちるがな」

「傍にいるって、それだけでいいの?」

「それだけ、なんてとんでもない。天使は人から放熱される体温から魔力を摂取する。手を繋いだり、頭を撫でたり、頻繁に傍にいないといけないんだぞ?面倒臭いにも程がある」


 フリードがそこまで言うと、天使は我慢ならんと言った感じで口を挟んできた。


「面倒臭いとは何事ですか!心の通じ合ったひとと共にあり、温もりを感じる。こんなに素晴らしいことはないというのに」

「要するに、構って欲しい甘えたがりが多いんだろう。天使というやつは。ああ、面倒くさい。手っ取り早く経口摂取できる魔族のほうが、断然効率がいい」

「なっ……!!私は、たとえ死ぬことになろうと貴方となど契約はしません!!決めました」


 天使はムスッとしてソファに寝転がり、ますます意固地になっている。


「師匠、経口摂取はダメって、なんで?」

「堕天するからだ。天使は純真、純潔の象徴。それを守れない者には神罰が下り、堕天すると言われている。そうだな?」


 天使はそっぽを向いたまま、首を縦に振る。こうしてみると、見かけに反して、中身はちいさな子どもみたいだ。


「堕天使になっちゃうって……それ、そんな悪いことなの?」

「悪いだろうな。堕天使になると自制が効かなくなると聞く。元々高い魔力適性を持っている天使が、経口摂取で本来よりも過剰に魔力を得るんだ、無理もない。そうなると存在自体が危険になるため、当然、天界からも追放される」

「追放って……じゃあ天使さんを助けるにはどうしたらいいの?」


 私はソファにうずくまる天使に視線を向ける。さっきよりも元気がないように見えるのが心配だ。フリードもため息をつきながら天使を見る。


「失くした宝石は今更見つけられない。契約するしかないだろうな。四六時中こいつと一緒なのは正直面倒だが、放っておくわけにもいくまい」

「――お断りします」


 一貫して拒否する姿勢を崩さない天使。

(結構、頑固……?)


 フリードは一瞬イラっとした表情を見せたが、私に視線を向けると、めずらしくいい笑顔で手招きをする。――嫌な予感しかしない。


「マホ、こいつとはお前が契約しなさい。我ながら名案だ」

「えっ」

(うわ、自分が面倒くさいこと押し付けてきた……いや、私だって助けたいけどさ……)


 戸惑っていると、天使が身を起こしてこちらを見つめてきた。その大きな金色の瞳が驚きを隠せないでいる。


「このような少女に、私を維持できるだけの魔力があるわけがないでしょう?」

「人を見た目で判断するな。こいつの魔力量は私を上回る。試しでいいから、数日ともに過ごしてみるのはどうだ?」


 天使は驚いた顔をしていたが、背に腹は代えられないのだろう。フリードの提案に乗ることを承諾した。


      ◇


 私が天使の面倒をみることになり、共同生活をはじめてから一週間が経過した。


 天使の名前はリリエルというらしい。フリードに対しては嫌悪感をあらわにしていたリリエルだが、意外にも私に対しては素直だった。きっと根はいい子なんだろう。

 ここ数日、フリードが仕事で家を留守にしているということもあり、リリエルはストレスなく過ごせているようだった。


 早く回復するように何をすればいいかフリードに聞いたが、『一緒にいて、たまに触れてやればいい』と言われたので、魔術の勉強をする傍らリリエルと寝食を共にして過ごす。

 最初のころは頭を撫でるくらいだったが、最近では、夜は添い寝してあげるくらいには慣れてきた。

 今は、花言葉について勉強している私の横で、ミルクティーを片手に読書をしている。長い睫毛と頭の上に浮かぶ光輪が、窓から差し込む光をきらきらと反射して、綺麗だ。

 私が思わず見惚れていると、リリエルが不意に口を開く。


「わたしに魔力をくださって、ありがとうございます」

「いいよ。死んじゃうなんて、ほっとけないし。私にできることがあるなら嬉しいし」

「あなたは、優しいのですね。本当にあの魔術師の弟子なのですか?」

「まぁ、成り行きで。師匠も魔族のひと達には優しいっぽいんだけど、効率重視なところがあるから……」

「効率……愛情からはおよそかけはなれている。そんなことを気にするなんて悲しいですね、人間と言う生き物は」

「リリエルは人間と接するのは初めて?」

「はい。先日の任務で初めて天界を出たばかりだったので」

「お仕事大変だねー、天使様も」

「結局失敗してしまいましたが……私はどうにも武芸以外は得意でなくて、情けない。でも、いいこともありました」

「?」

「あなたに会えました。あなたは、ずっと隣にいることを許してくれる。それに、とてもあたたかくて、いい香りの魔力を感じます」


 リリエルはふっと優しく微笑む。あまりに直球な誉め言葉が、なんだか照れくさい。

 私が思わず視線を逸らすと、リリエルは私の手を握って向き直った。


「私と――契約してくれませんか?あなたと共にいる時間は楽しい。できるなら、これからも共にありたい」


 その瞳がきらきらとしていて、魔術師の家に引き籠って暮らしている私にはとても眩しい。


(うぅ。天使ってどうしてこう、恥ずかしいセリフがすらすら言えちゃうんだろう……)


「――ほんとにいいの?契約してくれればリリエルは生きられるし、それは嬉しいけど、天使は簡単に人間と契約しないって聞いたよ?」

「――はい。天使は誇り高い種族ですから、たとえ死んでも、心から信じられる人以外とは契約しません。あなたは心から信じられると、私はそう思ったのです」

「えっと……」

「ダメでしょうか……?」


 リリエルは不安そうな顔で私を覗き込む。綺麗で、素直な、いい子。元々こんな綺麗な存在に死んでほしくなくて面倒を見ることにしたのだ。答えは決まっている。


「私でいいなら、よろこんで」


 そう答えると、リリエルは嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。

 そして、私の右手をゆっくりと持ち上げると中指の爪の辺りに遠慮がちに口づけをした。翼のような紋章が浮かび上がる。『妖魔の許し』だ。


「あなたに呼ばれれば、どこへでも馳せ参じます。主様」

「ありがとう」

「呼ばれなくても、頻繁に会いに来ます。魔力が必要ですから」


 リリエルは機嫌が良さそうに翼をパタパタさせて、私に頬ずりをしてくる。睫毛が触れてちょっとくすぐったい。我ながらずいぶんと懐かれたものだ。


「あと、ひとつお願いが」

「なにー?」

「今日は私を抱っこして寝てくれますか?」

「――抱き枕みたいに?」

「はい。一晩してもらえれば十分です。明日には天界に帰れます」

「りょーかい」


 その晩は約束どおり、リリエルを後ろから抱っこして寝てあげた。その背に生えるふかふかの翼は、今まで体験したことが無いような最高級の羽毛布団だった。


 久しぶりにぐっすりと眠って目を覚ますと、ベッドにリリエルの姿は無かった。

(天界に、帰ったみたいだね……)    


 着替えて、朝食をとりにリビングへ降りる。

(朝ごはんひとりで食べるの、いつぶりだっけ……)

 ホットケーキの上のバターを切り崩し、まんべんなく塗っていく。

(――ちょっと、寂しい……かな)


 ぼんやり食事をしていると、フリージアがリビングへ入ってきた。

(まーた朝帰りか。ほんと、夜ばっか活動してる。魔術師ってみんなこうなの?)

 若干呆れながらも、挨拶代わりに声をかける。


「師匠。今日は女じゃん?いつ帰ったの?」

「ついさっき。シャワーを浴びて着替えてきたところだ」


 まだ濡れている髪を珍しくアップにしている。白いうなじに雫が落ちて、妙に色っぽい。


「――あの天使は?」


 フリージアはコーヒーを片手に、向かいの席に座る。


「今朝、天界に帰ったよ」


 私は右手の中指をヒラヒラと振って見せた。


「契約に成功したか。私では無理だったろうからな……よくやった」


 フリージアはそう言って、右手で頬杖をついたまま、左手を私に伸ばす。

 思わず身構えるが、予想に反してその左手は、私の頭をふわふわと優しく撫でた。


(く、くすぐったい……)

 こういうときは馬鹿みたいに優しくて、なんだか調子が狂う。

 その手の感触が懐かしくて、なんだろうと思っていると、ふと脳裏に姉の姿が浮かんだ。

 フリージアとおねえちゃんが重なるなんて、ありえない。

 私は頭をぶんぶんと振る。


「おねえちゃん、元気にしてるかな……」


 思いがけず口にすると、寂しさが一気に込み上げた。


(だめだ、だめだ!思い出すと泣きたくなる……泣いたら絶対、こいつに笑われる……)

 私は想いを振り払うように、少し冷めたミルクティーを一気に流し込み、ホットケーキにシロップを山盛りにかけて口に入れる。

 その甘さは、すこしだけ寂しさを紛らわせてくれる気がした。

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