第6話 セクハラ魔術師の弟子

 目を覚ますと、私は知らない洋室のソファで下着姿で毛布に包まっていた。


 辺りには甘い紅茶と、窓際に飾ってある白い花のいい匂いが漂っている。

 気怠い身体をなんとか起こし、ぼんやりと自分の置かれた状況について思考を巡らせると、包帯の巻かれた手首に痛みを感じ、昨夜野党に押さえつけられた際に捻ったことを思い出す。


(たしか、野党に襲われて、身ぐるみ剥がされそうになって――もうイヤだって思ったら、周りに何にも無くなってたんだっけ……?)

 改めて思い出しても、意味がわからなかった。

(凛とアンはどこに?どうしてるかな?お腹空いた……)


 ぼうっとしていたら、紅茶の匂いが近づいてきて、それに反応するかのように、お腹がくーっと鳴った。思わず赤面する。


「なんだ、腹が減ったのか」 


 そう言ってカップを両手に、部屋の奥から長身の男が現れた。

 不健康そうな生白い肌をし、ゆるくウェーブしたこげ茶の髪を肩ぐらいまで伸ばしている。顔は整っているが、歳は結構いってそうだ。担任の教師と同じくらい……だろうか。三十路

過ぎのように見える。


(え――誰?)

 自分が、毛布の下は下着(パンツとブラ)だということを思い出し、とっさに身構える。

 そんな私の恥じらいなど気にする素振りもなく、男は金の縁取りのついたティーカップを手渡してきた。


「どうした。喋れないのか?」

「あ、いや……その……」


 返答に困って言い淀んでいたが、『とりあえず、飲め』と促されるままにカップを受け取る。口はつけなかったが、その暖かさにほっとしていると、男は壁に寄りかかったまま話し出した。


「お前は昨夜、野党の一団を湖ごと壊滅させた。覚えているか?」


 突然の問いに私は躊躇った。――こいつは話をして大丈夫なやつなんだろうか。昨夜のこともある。今は容易く人を信用する気になれなかった。

 それに――男は目つきが悪かった。長めの前髪から覗く眼光は鋭く、なんだか怖い。

 返事がないことに苛ついたのか、男は語気を強めて聞き返す。


「覚えているのか?いないのか?理解しているかどうかは聞いていない」


 このまま黙っていても時間が過ぎていくだけだった。私は観念して口を開く。


「えっと――覚えて……ます。気が付いたら、辺り一面が吹き飛んでたとこまでは」

「ふむ。あれは、マナバーストと言われるものだ。膨大な魔力の使い方がわからない者が、感情の昂ぶりなどをきっかけにして引き起こす。いわば魔力の暴発のようなものだ」


(え――この人……なんか詳しいんですけど……)

「な、何が起きたか知ってるんですか?マナバースト……それに、魔力?」

「お前、魔力も知らないのか?生まれた時から大なり小なり備わっているだろう」

(いや、意味わかんない……そんな『当たり前だろ』的に言われても……)

「お前も、バーストする程魔力の蓄えがあるのだから、それなりに魔術師の素質があるはずだが……誰からの指導も受けていないとは……」


 呆れた顔をしてこちらを見たかと思うと、はっとしたように私をガン見してくる。


「昨夜の見慣れない格好といい、まさかとは思うが……異界の者か?」


(見慣れない格好?制服のことかな?――というか今、異界って言った?この人、やっぱ何か知ってるっぽい?)


 思いがけない帰還の手掛かりに、思わず声が大きくなる。


「そ、そうなんです!私達、京都から来て。元の世界に帰る方法、知りませんか?あと、昨日あの場に、凛とアンっていう女の子がいませんでしたか?」


 男は『ほう』と感心した後、『ふむふむ』と昨夜の出来事を反芻する素振りを見せる。しかし、私の望んでいたような返答は、返って来なかった。


「昨夜あの場に倒れていたのは、お前だけだ」


(マジか……完全にはぐれた……)


「私も魔術師の端くれだからな、異界についての研究は気が向いたときにしているが、残念ながら異界に接触するような詳しいことについては全くわからない。むしろこっちが教えて欲しいものだ。実に貴重な情報だからな――相当な金になる」

「金……」


 なんともドライな返答にしょんぼりしていると、男は手近にあった小さな缶を差し出した。中には市松模様のクッキーが入っている。

(なんだか冷めた人だけど、悪い人じゃ……ない?)

 お菓子に懐柔されるのもどうかと思ったが、空腹には敵わないし、クッキーに罪は無い。

 ぺこり、と一礼して、差し出されたクッキーをつまむ。


「仲間もいない。帰る方法もわからない。お前はこれからどうするつもりだ?」

「どうするって、まずは凛達――えっと、友達と合流して、それから帰る方法を探して……」

「魔力の扱いを何も知らない上に、バーストする程不安定な状態でか?」


 男はドン引きした表情で声を荒げる。


「自身がそんな状態で、よく友人の元へ帰ろうなどと言えるな。時計の狂った時限爆弾を持ち帰るようなものだぞ?殺す気か」


 男の言葉に、一気に青ざめる。


(凛達の元に帰れない?私が爆弾を背負っている?何言ってんだ。このおっさんは……)

 まさかの事態が受け入れられず、縋るように尋ねる。


「じゃ、じゃあ……どうすればいいんですか!」

「そんなもの、自分で考えなさい」

「じゃあ、どうして私をここに連れて来たの!?」

「――なんとなく。衣服がズタズタの女を放っておくわけにもいかないだろう?こう見えて、私は紳士だからな」

「なんとなく!?私のことを危険な時限爆弾とか言っておきながら、持ち帰ってきたってこと!?意味わかんないんですけど!!」


 自分が逆ギレしているのもわかっているが、感情がどうにも収まらない。

 泣きそうな――いや、実際九割五分で泣いている私をよそに、男は淡々と続ける。


「今更だが、私はフリードという。あの日は、お前を襲った野党の顧問魔術師をしていた」

(顧問魔術師?昨日、野党のおっさんが言ってたやつかな……)

「聞こえはいいが、要は金で雇われたご意見番、兼鍵開け師みたいなものだ。野党の奴らは金品も武力も持っているが、おつむが弱いからな。魔術の必要な込み入った略奪を計画する際は、私のような者に声がかかる」

「あんたは、その……悪い人なの?」

「善か悪かで言えば、それは状況と金次第だ。善良な市民の手助けをすることもあるし、お前のような、行き場のない小娘を保護したりもする」


 そう言われると、ぐうの音も出ない。


「野党の仲間だったのに、それを壊滅させた爆弾の私を保護したの?――なんで?」

「仲間ではない。湖でお前を襲ったのも野党達の趣味であって、私は特に関与していない。それに、マナバーストは確かに危ないが、対処法さえ身につければなんとでもなる。身につけていない現状、お前が爆弾であることに変わりはないがな」

「対処法?それがわかれば、凛達の元に帰れるの!?」

「相手の居場所がわかれば、理論上はな」

「じゃあ、それを教える為に私を保護してくれた?」

「そんなことは言ってない」


(うっわ……)

 希望からの絶望。人の気持ちをアゲておいてサゲるのか、こいつは。


 私を保護した目的はわからない。でも、対処法は頼めば教えてくれそうな気はする。いい人なのか悪い人なのか、全く読めない男だ。

 そんな私の疑念の眼差しを全く気にすることなく、フリードは紅茶のお代わりを持って私の正面のソファに腰かける。


「お前が野党に襲われている最中も後生大事に持っていた――この金属の板切れはなんだ?」


 そう言うと、シャツのポケットからスマホを取り出す。


「私のスマホ!あぁ、よかった!!さっきから探してた……!」


 安心して手を伸ばすも、ひょい、とスマホを取り上げられ、思わずムッとする。


「返して!」

「すまほ?もう一度言う。これは――なんだ?」


 どうやらフリードはスマホに興味があるらしい。

(ひょっとして……チャンスじゃね?)

 私はこの機を逃すまいと、提案を持ちかける。


「私に、マナバーストの対処法……いや、魔術の使い方について教えて欲しい。代わりに、元いた世界……あんた達にとっての異界のことと、そのスマホの使い方を教えるから」


 ここで引いたら打つ手がない。なんとしても対処法を聞き出さないと。

 私は強気でいった。フリードは少し面をくらったようで、きょとんとしている。


「それは、私の弟子になりたいということか?」

「そう。弟子にして」


 短期間でいい。魔術が使えるようになれば、私も凛やアンの為に、何かできるかもしれない。

 弟子という言葉にフリードが一瞬反応したように見える。交渉は成立するかと思えたが、そんな期待と希望は、またもや一瞬で打ち砕かれた。


「私を甘く見るな。お前がこの板で、発光する何かの紋を叩いていたことは知っている。今はその紋が出ていない。これは――今は動かないのではないか?」

(ぐうっ……)


 スマホを見ると、バッテリーが切れていた。しかもそのことがバレている。凛達とお揃いで買ったネズミのストラップが、真っ暗な画面を背に虚しく揺れた。

 フリードの方が完全に上手(うわて)だった。私は歯噛みする。


「行けもしない異界。動かないすまほ、とやらの情報が、一体どれ程の利益を与えてくれるというんだ?」

(うっ……)

「しかも、放っておけばマナバーストを起こすかもしれない問題児を家に置いて、魔術の指導をしろと?全くもって、交渉になっていないな」

(ううう……)

「――で、お前は他に、私に何をしてくれるんだ?」

「えーと……その、ほら、あれ。家の手伝い……とか?」


 我ながら苦し紛れにも程がある。しかし他に出来ることが思い至らない。自分がここまで無力な小娘だったとは。

 羞恥のあまりしどろもどろになっていると、フリードは『話にならん』とため息をつきながら、手にしていた紅茶のカップをテーブルに置き、私の隣にどかっと腰を下ろす。

 近くで見ると、鼻筋が通っていて、睫毛が長い。いわゆるキレイ系な顔をしているのだが、如何せん眼光が鋭く、うっすらと浮かぶ目の下の隈が人相の悪さを際立たせている。


(顔はいいのに……なんだかちょっと残念なおっさん?お兄さん?だな……)

 なんて、自分でもびっくりするほど女子高生脳なことを考えていると、フリードは私を値踏みするかのように、上から下まで眺めた。そうして、ふっ、と鼻で笑う。


「――ふむ、でもまぁ、いいだろう。お前を弟子にしてやる」


 まさかの承諾に、「やっぱり見かけによらず、案外いい人なのかも」と感心する。

 私は、お礼を言おうと口を開いた。


 ――次の瞬間。


「ありがっ――!?ごほっ……!!んんっ――!!」


 フリードは私をぐっと引き寄せて、半分あいたままの唇に噛みついてきた。

 抵抗した反動で机の上の缶が倒れ、床にクッキーが散らばる。


(――は?いや、ありえな……!)


 必死に抵抗を試みるも、口の中を何かが這いまわり、満足に呼吸もできない。

 少しして解放されるや否や、私は激しくむせた。


「げほっ……ごほっ……ぐっ……うぅ……」

「なんだ。まったくもって、愛らしさの欠片もない反応だな」


 息を切らして動揺を隠せないままでいる私を尻目に、フリードは『まぁ、味は上物(じょうもの)か?』などど意味不明なことをブツブツ呟いている。

 更に何かしようとしてくる素振りが見えたが、先程の突然の行動と、経験したことのない感覚に思考回路が停止し、腕に力が入らない。


 まともに抵抗する間もなく、今度は首元に思い切り噛みつかれた。

 激痛が走る。完全に歯が食い込んで、血が滲み――いや、間違いなく出血している。


(痛い!!いたい、いたい、いたい、いたい、いたい!!)

「~~~~~~っ!!」


 痛みに悶え、酸素を得ようと呼吸を荒げる私の耳元で、フリードは冷たく囁いた。


「一人前になるまで、私がたっぷり可愛がってやろう。衣食住と魔術の指導付き、文句なしに破格の好待遇だな。なに、礼なら寝室でゆっくり聞かせてもらおうか?」


 頭を相手の首筋に押さえつけられているので顔は見えないが、こいつは間違いなく下卑た笑いを浮かべているのだろう。

 体中から不快な汗が噴き出し、首から滴る血は熱いはずなのに、猛烈な寒気に襲われる。


(こいつも――かよっ……!!)

 私を拾ったのが男(こいつ)だとわかった時、この可能性を全く思い浮かべなかった訳ではないが、頭のどこかで考えないようにしていた。

 少しでも、こいつはいい人かもしれないと思った自分の甘さに、今になって反吐が出る。

(何が紳士だ!私を保護した?ありえない!このっ――外道!!)

 しかし、悪態をつこうにも、恐怖で声が出なかった。


「返事がないのは、交渉成立ということかな?」


 間違いなく、私が怖くて声を出せないのをわかってて言っている。


(どうする?舌を噛んで自殺する?まさか。痛そうだし……そんな勇気、私には無い)

 ふと、昨晩も思い出した凛の言葉が頭をよぎる。

 

 ――『誰かを守ったり、何かを得るためにはそれなりの犠牲とか、覚悟が必要なのかも』


 凛の――言う通りだった。

 このままこいつの弟子になって、たとえ何かを犠牲にするとしても、それで得られるものがあるなら、話は別だ。昨夜の野党に襲われた時とは状況が違う。

(これが、私が払う犠牲なのだとしたら……私にとって守りたいものって何だろう?命?貞操?それとも、もっと別の何か?)


 抵抗する気を失くした身体の力を抜いて、私は答えを探すように、ゆっくりと目を閉じた。瞼の裏に親友の懐かしい顔が浮かぶ。

(ああ……凛とアンに、会いたいな)

 ふたりを思うと、自分のことを色々と考えるのが、面倒くさくなってくる。

(あー、もう知らない。またふたりに会えるなら……もう、どーなってもいいや)

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