第3話 メンヘラじゃないもん!

     ◇


 さっきまでの騒ぎはどこへいったんだろう。

 辺りには、吹きすさぶ風の音しか聞こえない。目の前に横たわる凛ちゃんの呼吸は、徐々に弱くなっている。いまにも、風の音にかき消されそう。


(どうしようどうしようどうしよう――)


「私のせいで、凛ちゃんが……」


 目の前に横たわる無残なその姿に、凛ちゃんだけでなく、私まで息ができなくなりそうになる。


「凛ちゃんが、凛ちゃんがぁ……」


 どうすることもできなくて、ただ泣きじゃくるしか私にはできなかった。


「とりあえず横にして、傷口を洗ったほうがいいと思う。アン、薄手のハンカチある?あと、朝コンビニで水買ってたよね?」


 顔面蒼白なマホに促されるまま、ハンカチと水を手渡す。それを受け取るマホの手も震えていた。

 お互い泣きながら傷口を丁寧に拭き、出血がひどいところをハンカチや着ていたセーターで縛る。


「肩の出血が止まらない……セーターじゃ、結びが弱くて止血できてないんだ……」


 マホはこの事態にも落ち着いて、今できることを必死にしている。


(すごいなぁ……)


 一方で、私はどうすることもできなくて、ただただ呆然とするしかできない。自分の力の無さが嫌になる。

 日が落ちていくにつれて、握っている凛ちゃんの手がどんどん冷たくなっていく。


「やめて、やめてよぉ……冷たくならないで……」

「アン……」


 隣で手を握るマホも、言葉を失い、泣き出してしまう。


(どうして?どうしてこんなことに?)


 私達はただ、京都に旅行に来て。受験生になる前に、沢山思い出を作っておきたくて。それで……


「私のせいだ……」

(凛ちゃんがこうなったのは私のせいだ。私が――トロくさかったから)


 犬に追いつかれそうになったとき、もうダメだと思った。凛ちゃんが私をかばうように間に入ってきたのを覚えている。

 その背中がどれだけ頼もしかったか。どれだけ心強かったか。それなのに、私は腰が抜けて、震えて見ていることしかできなかった。


「凛ちゃんは、なんでこんなにカッコイイのかな……強いのかな……」

「うん」

「私を、かばってくれたの」

「うん」

「小さい頃から、いつもそうだった。いつも優しくて……」

「そう……だね」


 マホは私の言葉を静かに聞いてくれている。

 ふたりは、こんなに優しいのに。ふたりに返せるものが何もない、自分が悔しくて仕方がない。

(ここに倒れているのが凛ちゃんじゃなくて、私ならよかったのに)


「どうして?どうして私なんかをかばったの?私、なにもできないのに。ねぇ、教えてよ。凛ちゃん。凛ちゃん!」

「アン、やめなって。アンのせいじゃないよ」

「なんで?私のせいだよ!!納得できないよ!こんなの!」


 思わず声を荒げる私に、マホは固まってしまった。

(違う――そうじゃない。そんな顔をさせるつもりはないの。マホにまで心配かけて。もうイヤだ……)


「イヤ!私がこんななのがイヤ!凛ちゃんがこんな目に合っているのがイヤ!なにもかもがイヤなの!うっ……ううう……」


 自分でも抑えきれない感情が込み上げて、取り乱してしまう。

 返す言葉が見つからないのか、マホの表情が次第に凍り付く。


(だめ。こんなこと、言いたいわけじゃないのに)


 泣きすぎたせいか、頭がガンガン痛くなる。


(ふたりの為にできることを、私もしたい)


「そうだぁ……!」


 いいことを思いつき、自分の化粧ポーチに入っていたカミソリを取り出す。


「アン?どう……したの?」

「いいこと――思いついたんだぁ」


 そう言って、カミソリを左腕の手首ではないところに当てる。


「何して……なに笑って……」

「凛ちゃんにね、輸血したらどうかなって。ほら、私も凛ちゃんも血液型同じだし。大丈夫。静脈なら、切れても大丈夫だから」

「え……?何ソレ?全然大丈夫じゃな――」


 私は外側に見える赤黒くて太い血管に狙いを定める。

 マホが首を振って静止させようとしてくる。でも、私が凛ちゃんの為にしてあげられるのはこれくらいしか思いつかない。


 放っておけば凛ちゃんは――――考えたくもない。


(じわじわと痛いのはイヤだな。深さ1センチ?5ミリくらいかな?)

 そうして――――思い切り引き裂いた。


「やめ――!!やめてっ!!」


 マホの叫び声。

 自分の返り血が目に染みる。マホに「大丈夫だよ」って言いたいのに、今は痛くて余裕がない。


(あーもう。これじゃ、前見えないじゃん……)


 それにしても、血って物凄い勢いで出るみたい。ブシャブシャという音まで聞こえる。

(間違って、動脈もイッちゃったかなぁ?)

 あんまり流しちゃ勿体ない。だってこれは、凛ちゃんにあげるものだから。

 歯を食いしばり、痛みに耐えながら、凛ちゃんの口元へ自分の傷口を当てる。ものすごい量の血が噴き出し、だらだらと垂れ流れてるから、喉から体内へ流れてくれるだろう。


「凛ちゃん……飲んで?死んじゃダメ――」


 貧血で意識が朦朧とする中、凛ちゃんの手を強く握り続ける。握り返してくれることを祈りながら。

 耳が徐々に聞こえなくなっていく中、不意に頭の中に声が響いた。


『ねぇ、ねぇってば――』


(あれ?この声……電波ちゃん?)

『すごいことするね。ゆるふわなおねーさん。キミがここまでするとは思わなかったよ』

(なにしに来たの?今、それどころじゃないの)

『つれないなぁ。キミは、ボクに優しい方(ほう)だと思ってたのに』

(うるさい。こんなことになったの、キミのせいなんだから)

『ああこわい。大人しいひとが怒るとこわいのって、ホントなんだね』

(どっかいって)

『まあ、そう言わないでよ。助けてあげるからさ』

(なにするつもりなの……?)


 途切れそうになる意識をなんとか保とうとしていると、急に視界が明るくなった。痛みと貧血で倒れそうになっていたのがウソのように、意識がはっきりとしてくる。


(――電波ちゃん?)


 呼びかけても返事は無かった。傷口にくすぐったい感触がして目を凝らすと、なにやらぽわぽわした光の玉みたいなのが沢山くっついている。

(しゃぼん玉?)


「なに?これ……」

「アン!大丈夫!?その怪我、アンが自分でやったんだよ。覚えてない?」

「いま、電波ちゃんが――じゃなくて。なんか、ぽわぽわしたのが腕についてる」

「は?アン、ほんとどうしちゃったの?おかしいよ!アンまでいなくなっちゃったら私、わたし……」


 マホは取り乱していて、どうやら私と話が噛み合っていない。

(マホにはこのぽわぽわが見えてないの?)

 くすぐったいと思い、ぽわぽわを手で払うと、さっき切り裂いたはずの傷が綺麗に消えてなくなっていた。


「これ……?ひょっとして―――!!」


 先程まで全く見えていなかったこのぽわぽわは、どうやら私の近くにしか集まってこないらしい。急いで近くを浮遊しているぽわぽわを?き集め、凛ちゃんの傷口に当てる。


「お願い!なおって!」


 私の祈りが届いたのか、凛ちゃんの傷口はみるみる塞がっていく。


「凛ちゃん!凛ちゃん!!おきて!返事して!」


 体中の傷を塞ぎ、必死に声をかける。凛ちゃんの身体がピクリと動いた。


「ん――アン?マホ?」

「凛!!気がついた!」

「あああああ!!凛ちゃああああああん!!」


 ふたりして凛ちゃんに抱き着く。


「ちょ、ふたりとも大丈夫?」

「『大丈夫?』は、こっちの台詞だよ!ばかぁ!!」

「よかった!よかったよおおおおお!!」

「そんな強く抱きつかれたら、痛……くない?あれ?私、犬に喰われてなかったっけ?」


 戸惑いながら肩の傷を確認している。傷が治ったためか、ぽわぽわはまた私の周囲に戻ってきていた。


「あのね、このぽわぽわが治してくれたんだよ」


 私はぽわぽわを両手で掬い上げ、ふたりに差し出す。


「ぽわぽわ?」

「凛が倒れてから、アン……ちょっとおかしくて。急にリスカしたり、なんか見えるって言うんだけど……」


 マホがこそこそと耳打ちしている。

(はいはい、聞こえてますよ。私のこと、頭のおかしい子扱いしてるな?)


「リスカじゃないもん!あれは凛ちゃんを助けようとして!それに、ぽわぽわはいるの!」

「だって、吸血鬼でもないのに、血ぃ飲ませて輸血って。ありえなくない?」

「リスカでもメンヘラでもなぁ~い!!」


 猛抗議していると、凛ちゃんは可笑しそうに笑って、私の頭をそっと撫でる。


「がんばってくれたんだね。ありがとう、アン。マホも」


 撫でてくれる凛ちゃんの手が、あったかい。

(さっきまで、あんなに冷たかったのに……ほんとによかった)


 私はぽわぽわを頬に寄せ、心の中で「ありがとう」と言った。言葉に出すと、またふたりにメンヘラ扱いされるから。

 そうこうしていると、私のお腹がくーっと鳴った。思わず赤面する。


「安心したら、お腹空いたよね」


 マホが笑いながら、板チョコを差し出す。

(サクサクが入ってるやつだ!)


「それ好き!」

「みんなで食べよ?凛も――ほら」

「うん。ありがと」


 血だまりが残るレジャーシートをウェットティッシュで軽く拭き、私達はまたお茶会を始めた。マホの割り方は下手だったけど、みんなで食べる板チョコはいつもと変わらず、とっても甘くて、美味しかった。

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