第2話 ステンレスボトルは最強説
◇
随分長い夢を見ていた気がする。
(――ここはどこだろう?)
周囲を見渡すと、一面荒野のような場所に寝転んでいた。風が吹きすさんで、砂ぼこりが舞っている。砂で髪がベタついて、なんともいえず不快な場所だ。隣を見ると、アンとマホがだるそうに身体を起こしていた。ふたりと一緒なことにほっとする。
「う~ん?ここどこぉ?」
「あったま痛ぁ……」
「ふたりとも、なんともない?」
「うぅ、目にゴミがぁ。髪もベタベタだよぉ」
「ちょっとアン、大丈夫?ママさんに似て綺麗な金髪なんだから、大事にしなよ?」
アンの髪から砂を叩(はた)いてやるマホ。
アンはお母さんがロシアの方だ。綺麗でふわふわな白金の髪を、胸くらいまで伸ばしている。胸、そう。胸も大きい。中学の時点で日本の中高生サイズを超越し、高校になってより大きくなった気がする。大きさがインフレしていて、私にはもうよくわからないが、体育の授業前に着替える際はいつも羨望の的だ。私はまな板なので本当に羨ましい。
胸にばかり栄養がいっているせいなのだろう、身長は低く、まるで小動物のよう。その無邪気な性格も相まってか、陰ではロリ巨乳のあだ名で呼ばれている。そんな、女の私ですら意識せずにはいられない、けしからんおっぱいの持ち主だ。
「凛ちゃん、どぉしたの?」
(やば。胸ばっか見てたの、気付かれた?)
なんだか気恥ずかしくなって、荷物を持って立ち上がる。
「とりあえずさ、一旦ホテルに戻ろうよ」
「あの電波ちゃんはぁ?」
「あー、あのいけ好かないマセショタね。知らなーい。今それどころじゃないし」
ブツブツいいながら、マホも気怠そうに立ち上がる。
「あー、マジ最悪。お風呂はいりたーい」
ゆるく巻いたベージュの髪をアップで纏(まと)め直し、身体を叩いている。砂まみれのスカートからは色白ですらっとした足が伸び、『うーん』と背中を伸ばすとスタイルの良さが際立った。
(あいかわらず、モデルみたいなプロポーション。ほんとにインドア派?)
全体的に華奢なのだが、出るとこは出ている。こないだカップがCからDになったとか言ってたっけ?いずれにせよ、カップがあろうが無かろうが生活に支障のない私にとっては羨ましい以外の言葉が見当たらない。
「リン!おいてくよー!!」
私が見惚れているうちに、ふたりはすたすたと歩き始めてしまっていた。
京都タワーの近くの美味しそうなカフェを見つけたとか、そのまえに京都っぽい和風な小物が欲しいだとか、楽しそうに話している。
「待って!その話、詳しく!」
私は置いていかれないよう、急いでふたりの背中を追いかけた。
◇
追いかけて、追いついて、歩けどもあるけども京都の町が見えてこない。それどころか道路の一本にも突き当らないし、人はおろか、猫とすらすれ違わない。もう、ずーっと荒野が広がるばかり。スマホの歩数計は三キロ以上増えていた。
「おかしいよね」
「ありえない」
「うう、もう歩けないぃぃぃ……」
(いや、アン、待て。歩けはするでしょ。まだ三キロだよ?いや――もう三キロか……)
「とりあえず、少し休もうか――」
そう言いかける私の言葉を聞かないで、ふたりはせっせとレジャーシートを広げていた。
「アーン、そっち引っ張ってー」
「はーい。えへへ、公園で紅葉見ようと思って、持ってきてたんだ」
「ポテチとチョコ、どっちがいい?」
「ポテチ」
緊張感の無い会話に若干呆れながらも、持ってきていた水筒のお茶を注ぐ。流石ステンレスボトル。朝、試合前に淹れた緑茶がまだ暖かい。文明の利器、最高。
「ほんと、今どのあたりにいるんだろ?GPS圏外だし。あ、ポテチ貰っていい?」
「ほいほい。てゆーか、ここマジで京都?こんな田舎なわけなくない?」
「滋賀だったりしてぇ」
「ばかっ、滋賀をなんだと思ってるの。あ。凛、お茶一口ちょーだい」
マホにお茶を手渡していると、どこからか声が聞こえてきた。この、聖歌隊みたいに澄んだ声には聞き覚えがある。
『おねーさん達、楽しんでるね。この状況を楽しめるなんて、流石。やっぱりボクの見立てに間違いはなかったよ』
「自称・カミサマ!」
「電波ちゃん!」
「うげっ。マセショタ……」
『もー、みんなしてひどいなぁ。助けにきてあげたのにー』
「助けるもなにも、気を失ったのはキミのせいなんだけど……」
「そぉだよ!いくら電波ちゃんが可愛いくてもね、女の人に勝手にちゅーしちゃいけないんだよぉ!」
「アン、それ怒ってんの?」
『あはははははは!おねーさん達、サイコー!!どこ行っても、ほんと楽しそうだねぇ!』
確かに、私達みたいな女子高生は箸が転んでもおかしい年ごろだし、実際毎日それなりに楽しいけど。道に迷っているこの状況は、別に楽しいわけじゃない。休憩してただけ。
「いや、楽しんでないし。どこ行っても……って。ここ京都でしょ?もしくは滋賀」
同意を求めてアンとマホに視線を送る。ふたりともコクコク、と頷いている。
『あれ?おねーさん、夢、覚えてないの?』
(夢?そう言われれば、そんなのを見たような気がする)
「覚えてない……けど」
「凛ちゃん覚えてないのぉ?電波ちゃんがでてきたやつ」
「アン、覚えてんの?凛と一緒で、私も覚えてないんですけど……」
「どんな夢だったの?」
「え~?なんか、世界が壊れるくらいの楽しいコトを、してきてよって」
「何ソレ?」
『ゆるふわなおねーさんは、覚えててくれたみたいだね。あれはボクからのちょっとしたお見送り。この世界を楽しんでねっていう。薄々気が付いてるんじゃない?ここが異世界だって』
一同絶句。確かにここは京都じゃない気はしてたけど、異世界な線は思い至らなかった。相変わらず電波なこと言う少年だ。
「いやいやいや、ありえないでしょ」
「ふふ、電波ちゃんは面白いね~」
「マセショタ、あんた何か知ってるの?ってか、姿見せなよ」
『スレンダーなおねーさんは手厳しいなぁ。姿なら見せられないよ。だってボク、そっちにいないもん』
「そっちって?」
『異世界。さっき、そう言ったじゃない』
あまりにありえない話に、誰も返事が返せない。
『おねーさん達がいる世界は、グレイスガルドっていう世界なの。日本じゃない、異世界さ』
「……うん?」
『おねーさん達は、どこに行くにも楽しそうだったから、この世界を楽しくしてくれるかなって思って、招待したんだよ』
とても楽しそうな少年の声。残念ながら、こちとら全く楽しくない。
『ボクは元々はその世界の住人だったけど、今は日本に閉じ込められてるの。だから、ボクの代わりに楽しいコトしてきてよ!世界が壊れるくらいの――さ!』
(いや、迷惑にもほどがあるんですけど……)
「え~!帰りた~い!」
「何ソレ。今すぐ元の世界に帰してくんない?悪いけど、あんたに付き合ってるヒマないの」
(ほんとそれ)
『ごめん、無理。帰す方法知らないし』
「はあああ?いや、意味わかんないんですけど!!」
激昂するマホ。私も今回は流石にキレたい。
『がんばって帰ってきてね!ボク、楽しみにしてるから。あ、言っておくけど、ボクを探しても無駄だよ?さっきも言ったけど、そっちにいないから』
「ねぇ、せめて何かヒントとか無いのぉ?」
『ごめんね、ゆるふわなおねーさん。ボクは、おねーさん達がこの世界で何をして、どう楽しむのかが見たいの。困ったときは、助けてあげるからさ?』
「助けるくらいなら最初からこんなことすんなし!」
『あ、何か来たみたいだよ。それじゃ、がんばって!!じゃーねー♪』
「ちょ!待ってってば!」
私達の呼びかけも虚しく、『自称・カミサマ』もといロ=キ・Eの声は二度と聞こえることはなかった。
「マジで……マジでないわー」
「私も堪忍袋の緒が切れちゃったよぉ……」
「ほんとだよ。――にしても、何か来るって、何が?」
私が口を開いた次の瞬間、近くの木の茂みから大きな何かが飛び出してきた!
あまりに急な出来事に、頭が真っ白になる。
頭の中が、まるでロードに時間が掛かるパソコンみたいに、くるくると回る。ようやく出てきた答えは、それが犬だとわかっただけだった。
犬は、レジャーシートの真ん中に広げてあったポテチ目がけて襲い掛かる。
思わず手からお茶が零れた。
「ウウウウ!ガウワウ!グルルルルル!」
「ぎゃああああ!!」
「あっつ!!スカートにお茶が!あっつ!」
「なになに!あ、全部たべないでぇ!」
「そんなこと言ってる場合か!!逃げよう!」
「これ犬!?こわっ!!」
「みんな鞄もったぁ?」
「アンの分も私が持ってるよ!」
「ありがとぉ~!」
私達は一気に駆け出す。犬が追ってくる。体育の成績『2』のアンがすでに息切れしていてヤバそうだ。
(追いつかれる!)
「アン!」
私は咄嗟にアンと犬の間に割って入る。犬は私を警戒し、一定距離を保ちながら狙いを定めている。
(まさか――ポテチじゃ食べ足りないってことか?てか、こんな獰猛な犬っているの?異世界だから!?)
万が一を考え、背負っていた弓を構える。いくら私の弓の成績が良いとはいえ、動く的を射止めようなんて、馬鹿は言わない。これで殴ればあるいは。そんなことを考えていると、ふとおかしなことに気が付いた。
「ねぇ、あの犬、頭三つない?私の目がおかしいの?」
「え!うわ!グロ!」
「うっそだぁ……あれ?」
ふたりもぎょっとする。やはり頭が三つ付いている。
あまりに奇妙なその姿に目が離せない。喉が渇いて、眼球がヒリヒリと痛む。
これは――恐怖だ。
後ろに控えるふたりに目をやると、マホは口を両手で塞いで震えているし、アンに至っては地面に力なくへたり込んでいる。
(だめだ!私がなんとかしないと!)
かといって近づくのは怖すぎる。私は袋から練習用の矢を取り出し、震える指で弓を構えた。犬はこちらを警戒してか、こちらににじり寄るだけで、動きは遅い。
(当てなきゃ――落ち着け、落ち着け、私――)
深く息を吸い、真ん中の頭に狙いを定める。六つの目のうち、一つでも潰れてくれれば逃げるだろう。
「凛……?」
「凛ちゃ――」
(いつもどおり……いつもどおりにやればできる……)
二人が固唾を呑んで見守る中、私は思い切り矢を放った。矢は、風を切って一直線に飛んでいく。
「ギャイン!」
(まさか本当に当たるとは……!)
「やった!」
喜びも束の間、犬は撤退せず、怒り狂って私に襲い掛かってきた!
(そりゃ怒りますよね!そうなりますよね!)
完全に私が甘かった。自棄(やけ)になって弓で犬を殴る。かろうじてダメージは与えられているようだが、効果は薄い。犬も負けじと私を組み伏せ、三つの頭で髪の毛を咥えて引っ張る。
「痛っ!やめて!」
噛む力、引っ張る力は共に、うちで飼っているチワワの比ではない。死という最悪の言葉が脳裏をよぎる。
(このままじゃヤバイ……)
ふと、倒れこんだ拍子に鞄から飛び出した荷物の中に、カッターを見つける。手を伸ばし、何とかそれを掴んで振り回したが、犬は怒りに支配されていて、カッター如きでは全く動じない。髪の毛がぶちぶち、と嫌な音を立て、頭に激痛が走る。
(本当に、このままじゃ――ガチで死ぬ!)
私は意を決して、髪をカッターで切り裂いた。この間刃を替えたばかりなせいか、髪はあっけなく切れ、引っ張られていた力から一気に解放された頭が、地に勢いよく打ちつけられる。
「うあっ!」
痛みと重みからやっと解放され、逃げようとよろめきながら上体を起こす。そんな私に止めを刺そうと、尻もちをついていた犬は即座に向き直り、今度は左肩に噛みついてきた 。
「ぐっ……ああああ!い――やあああああ!!」
「凛!!」
「凛ちゃん!!」
ふたりの涙声が聞こえる。
「だめ!逃げて!!」
(痛い痛い痛い!こんな思い、ふたりにはして欲しくない!)
犬をどけようともがいていると、私に噛みついているのとは別の頭が、口から煙のようなものを吐きはじめる。かかる息が物凄く熱い。そして臭い。まるで、熱湯の前に顔を晒しているみたいだ。
痛みと熱さで気を失いそうになる。頭がぼんやりとして、よく見えないはずなのに目がチカチカする。
遂にここまでかと思っていると、急にキィーンという激しい耳鳴りに襲われた。
『もう、しょーがないなー。こんなに早く手を貸すハメになるなんて』
(お前は……)
『さっきぶりだね、黒髪のおねーさん。キミには、どんな力をあげようかな?』
(何、言って……助けてくれるならなんだっていい)
この状況を打開する、なにかが欲しい。ふたりを守れる――力が欲しい。
「たす……けて……よ……」
最後の力で、声にならない声をあげる。『自称・カミサマ』が何か言った気がしたが、今の私には聞こえない。
(も……ダメ……)
気を失う直前、マホの声で目を覚ます。
「凛!!逃げて!!そいつ――火を吐くつもりだ!」
完全に動けない私を見かねてマホが駆け出す。マホはこっちに来ると、熱い息を吐いていた犬の口に、おもむろにステンレスのコップを嵌めさせた。
「これでも喰(く)ってろ!!」
犬が悶える。周囲の空気が一気に熱くなったかと思うと、犬は勢いよく炎を吐き出した。炎はステンレスコップに反射され、犬の頭が一気に燃え上がる。
「ギャウウウウアアグアウ!!」
犬は標的を変え、尻もちをついているマホに襲い掛かる。
(だめっ――!!)
私の脳が、全力でそれを拒否する。
「やめ――ろっ!!」
私はありったけの力で犬の頭を殴りつけた。
瞬間。犬は身体ごと数メートル先に派手に吹っ飛んだ。
「あ……れ?」
火事場の馬鹿力というやつか。何はともあれ、助かったという安堵に満たされ、私は意識を失った。
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