短編:リビング

文学ベビー

リビング (1話完結)

リビング



 よほど疲れているのだろうか。

 これほどまでに、奇妙なことはあるだろうか。

 僕は今、リビングに立っている。


 ついさっき、僕は玄関から届くインターホンの音で目覚めた。どうやらテレビを見ている間に、三十分ほどの眠りに落ちてしまったようだった。まだ、体に重苦しさが残っている。ソファから身を起こすと、カーテンの隙間からは、微かな明かり覗いてる。もう暗くなってきたな・・・・・・と少し憂鬱になった。せっかくの休みが終わってしまう。

 そう考えている間も、ビーッ、ビーッっと僕を急かしている様子からして、訪問者はしばらくの間、玄関先で待っていたらしい。

 起きるのは気乗りがしない。居留守をしようかと考えたが、買い物に出かけた母親が帰宅したのか、鍵でも忘れたのか、荷物が多くて鍵を取り出すのがおっくうなのかと思った。しかたがない。僕は、玄関に向かうべく一階へ階段を下りた。ギシッ・・・・・・と音を立てながらも、なるべく音を立てないように下りた。すると、目の前にもう一度、リビングが広がっている。おかしい。

 今、階段を確かに下りたはずだった。確かに、僕はたった今、ソファから立ち上がり、すぐ後ろにある階段から一階に下りた。少し幅の狭く、埃ひとつ無い階段を、足を踏み外さないようによく下を見て、慣れた足で下りた。駆け下りて、玄関に向かうように階段の最後の段から勢いよく横に方向を変えた。そのはずだったのに、僕は今リビングに立っている。

 どういうわけだか全く理解ができず、少しにニヤッとした。疲れているに違いない。

ーーーーーービーッ。

 また呼ばれてしまったので、不思議な気持ちがありながらも、今度こそと階段を駆け下りる。最後の一段を下りきる前に、階段脇の壁から顔を覗かせる。テレビが見えた。階段を下りれば、まっすぐに自分の寝室のドア、左には玄関が現れるはずが、目の前にはリビングが当然の様に存在している。

 ただごとではない。異常だ。そもそも、本来であれば今自分がおりてきた、上から下ってくる階段はリビングには存在していない。この家は二階建てなのだ。僕は、そのリビングに入るのが怖くなった。僕の知らない、僕の家のリビングに入るのを躊躇せざるを得なかったが、気づいたらすでに1歩、2歩と階段を抜けていた。

 ふと、このまま上に上がっていったら、と考えた。下がっても下がってもリビングなら、上に上がったらどこに行くのか。そう思って振り返ると、そこには下に下りる階段しかなかった。まるで、まだ一度も下りてきていないような感じで、普段通りの階段の姿があった。

 すでに、玄関からの音も聞こえなくなっていた。しかしそれは、訪問者には悪いが小さすぎる問題だ。

 確実に、得体の知れない恐怖を感じつつも、徐々に興味が僕を包み出した。人間は不思議なもので、どうしようもない状況では逆に冷静になる。

 僕には二つの疑問が思い浮かんでいた。ひとつは、本当に、永遠に、リビングなのだろうかということ。永遠なはずがあるわけがない。これが夢なら、いつかは冷めるし、もしかしたら明らかに夢だとわかる、全く別の場所に出るはずだ。それか、どこかで自分の気が確かになって、なぁんだと落胆するに違いない。

 もうひとつは、さっきいたリビングと、このリビングは同じリビングなのだろうかということ。もし違うリビングなら、僕は確かに階段を下りていることになる。つまりは、確かに下に下りて行っているはずになる。ここは二階なんだから、夢だか異世界だかでない限り、そう深くまではいけない。もし同じリビングなら、どうやら僕はだいぶおかしな夢を見ているに違いない。

 一つ目を試すのには、とりあえずはひたすらに下がってみるしかない。体力的に辛そうだという事と、下がりすぎて、もし何十階も下りられてしまったらと、説明のしようがない、いやな感じがした。僕は二つ目の疑問を先に解決することにした。

 テレビ台に置いてあったテレビのリモコンを、床にそっと置いた。もし、この階と下の階に存在する(かもしれない)リビングが同じ存在であれば、このまま下に下がったらリモコンの位置も今移動したように変わっているはずである、と考えた。

 ついでに、ソファにあった赤いクッションも床におろすと階段を駆け下りた。階段を下りている時には、下の階に続く階段はない。

 最後の一段を飛び降り、リモコンを置いた場所を確認する。リモコンも、クッションも、移動する前の位置にあった。つまり、僕は下りても下りても、リビングにしか行けないんだ。そして、不思議なことにそれぞれの階のリビングは独立した存在なんだ。

 階段を下りきらないで、リビングの存在を覗いて確認したあとでもう一回上に登って見たらどうなるのかと思った。そして、試してみたが、どちらにもリビングがあるだけだった。

 じゃあ、階段を後ろ向きで下りきったら、リビングに下りてくる、本来はないはずの階段が消える瞬間をみれるのでは?試したが、目を離していない間は上からの階段が、一瞬でも視界からそらすと、元の下に向かう階段に変わっていた。

 だんだんと、僕は怖くなった。普段から知っている場所が、知らない場所に変わっていく。それに、夢にしては明らかに思考がはっきりしすぎている。外に出ないといけない、と焦りを感じた。

 普通のリビングにもあるように、僕の、いや、このリビングにも窓がある。テレビとソファが向きあう横にある。壁一面にかけられたカーテンが少しの隙間を作っている。外はここからだとよく見えないが、少しの光さえも入ってきている。

 当然、カーテンの向かい側には窓があるはずだし、そこから逃げられる。ここが2階とはいえ、飛び下りられないほどの高さではないし、別に。もし火事になって一階から逃げられない時は飛び下りろと、父親に言われていたのを思い出した。

 カーテンを引くと、誰かがそこに立っているのが見えて、驚いて硬直した。その後、一瞬で、母だとわかった。ベランダで、花に水をやっている。

 こっちの存在に気づいてもらおうと、窓を軽く叩こうとしたが、何か違和感を感じて、もう少しよく見てみることにした。

 水をやっている長細い花壇が見える。緑の汚れたジョウロから水を降らす先には、枯れきったチューリップがあった。そして、その隣にある、食べるのを楽しみにしていたバジルは、すでに土と同化し始めていた。その枯れた花々に、水をやる手さえ微動だにせずに水をやっていた。それなのに、花壇が濡れているような様子がなかった。その姿からは、お母さんらしさは何一つ感じなかった。それ以上に、人間らしさすら感じなかった。まるで機械のように、ひたすらに同じ動きをトレースしていた。

 母の姿に驚いて、一瞬の間気付かなかっが、問題はむしろベランダの外の光景の方だった。そこには、普段どおりの空と、普段どおりの向かいの家の壁が見えた。

だが何故か、雪が降っていた。今はもう秋にもなりかけているはずなのに、都会では冬でもあまりみない勢いで雪が舞っているようだった。そこが、少なくとも現実のものではないことはすぐにわかった。

 この時点で、僕は夢だと確信した。妙にリアルな感覚のする夢を見たことは何回かある。夢の中で夢だと気づいたことも少なくはない。

 夢だと気づくと、あまり恐怖心は湧いてこなかった。少なくとも、楽しいような夢ではなく、どちらかといえば気持ち悪い夢だが、夢は夢だ。僕はひたすらに階段を下りることにした。

 下へ、下へ、下へ、階段を下りてはリビングに下り、振り向くとまた下に向かう階段がある。すでに何回まで下がったかわからなくなってきた。そもそも、今は階数という概念があるのかすら疑問だ。

 ある階で突然ソファの位置が変わった。部屋の中心にテレビを向いて位置していたソファが、とつぜん階段からリビングに入らせまいと、すぐ足元に居座っていた。そして、ソファのおかげで初めて気づいたが、部屋のあちこちが、僕の知っているリビングとは少し違ってた。

 ほとんどは同じだ。ただ、部屋を照らすように向いていた長身のスタンドライトが壁を向いていたり、机の上に並んでいた雑誌が散らばっていたりしている。いつから変わっていたか、わからなかった。僕はてっきり、最初にいたリビングの複製がループしていると思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 下に向かうにつれ、少しずつ変化してる。同時に、おそらく下に向かうにつれ”正常ではない状態”に向かっている。僕は少し嬉しさを感じた。永遠に同じリビングが続いていると、本当に出口が無いように思えていた。しかし、少しでも変化しているなら、いづれ突然玄関が現れるきがしていた。

 僕は、更に下へ向かうことにした。

 階段を下りると、荒れたソファ、ライト、雑誌の位置は変わらず、今度はテレビが傾いている。

 また、階段を下りた。

 部屋の左側にあった椅子四つ全てが逆さに立てられている。テレビの文字は文字化けしたように崩れていて、天井から父親のスーツが半分だけ垂れている。

 さらに下りたとき、元のリビングの形はほとんど崩れていた。崩れる、というより、変わってきている。4本足だった腰ほどの高さの長テーブルもいつの間にか6本の足を生やしている。ソファの綿は全て吐き出され、鉄の骨がカバーを突き破り飛びたしている。

 その時、改めてカーテンを見た。そこに、お母さんの姿はなかった。ガラス窓のほんの数センチ先は、まるで部屋ごと地下に埋められたかのようにコンクリートで埋められていた。

ーーーーーービィーッ。

 突然、玄関からなっていた呼び鈴の音がした。そうだった、この音のせいでここにいるんだと思い出した。音に反応し階段の方に視線を映すとき、一瞬キッチンに誰かの姿が視線に入った。急いで誰なのか確かめると、それは母親の姿だった。異様なのは、明らかに料理をしているような動作をしているのだが、まったく音がしない。

 フライパンがコンロの鉄を擦る事も、出しっ放しの水の音も、聞こえるべき音が一切聞こえない。無音のテレビを見ているかのような感覚になった。そういえば、途中の階でみたテレビも音がしていなかった気がする。

 母親の姿は、紛れもなくいつもの母親だった。だが、少しも安心感というものを感じなかった。本当なら、今すぐ彼女に話しかけ、どうしたの?と笑ってほしいのに、その姿には畏怖に近い感情が湧いていた。

 インターホンの音が聞こえたことを思い出すと、気づいたら階段を下りていた。ゆっくり、静かに。逃げるように。

 さっきの階は、明らかに今までの階とは異質だった。今まで、部屋の中に僕以外の誰かがいたことは初めてだった。そして、それによって、初めて今までも何の音がしていなかったと気づいた。

 階段を下りきると同時に、リビングを見た。その行為自体、もう何回目だったかわからない。だか、初めて後悔をした。

 部屋には、母親に加えて父親もいた。父親は壊れたソファの上で大きく暴れていた。踊る、という表現の方が合っているかもしれない。テレビに向かっていたから顔はよく見えなかったが、飛び跳ねたり手を大きく羽ばたくように動かしていたりしていた。その度に、ソファの綿が舞っていた。母親はテレビの横で懺悔するよう正座をしていた。微動だにしない、と思ったら突然拝むよう上半身を揺らし始めた。そしてなにより、一切の音がしていなかった。

 怖かった。驚きによる恐怖ではない。底のない穴を覗くような感覚。食器を落とした瞬間の、明らかにこれから悪いことが起きるという感覚が、長く、長く続いているような感覚。自分のよく知る、もっとも安心できるはずの人達が完全に壊れている。姿形は両親そのものだが、絶対に別の何かだった。

 僕は部屋に入れず、そのただ光景を見ていた。底のしれない恐怖と、不快感のようなモヤモヤした気持ちを必死に抑えていた。

 両親は、いや、それらは、僕の存在を気にもとめていないようだった。父らしきものは、僕の方を見てはいるが、視点は僕にあっていない。視界に入っているはずなのに、何も見えていないような感じでいる。しかし、もし、もし彼らが自分の存在に気づいたら。そう考えると、鼓動さえ止めてしまいたくなった。

ーーーーーードンドンドンッ。

 突然だった。下の階から、玄関のドアを叩く音がした。

「鍵持ってないから開けてー。」紛れもなく、母親の声だった。

 反射的に、階段の方に目が向いた。母親が帰ってきた。確かに下から声が聞こえた。今、下に向かえば、ここから出られるかもしれない。そう思って少し安堵した。その一瞬、自分の右半身に嫌な感じがした。鳥肌が立つ、とは少し違う、蝿か何かが顔に止まった瞬間のような、不快感に襲われた。

 自分の目玉だけ、グッとリビングの方を向けると、そこにはさっきの姿とは別の、両親らしきモノの姿があった。今度は、二人並んで、僕のすぐ横に直立している。幸い、僕を見ている、という感じはしなかった。ただ、そこに立っていた。それでも、この状態では数分もいられなかった。

 自分が動いた瞬間、向こうは反応するだろうか。反応したら、彼らは何をしてくるだろうか。わからなかった。

 それでも、このままずっと立っているわけにもいかない。一か八か。逃げるように、投げやりな気持ちで階段に向かう。どうやら、何もしてこないようだ。今までにない緊張感をもち、そっと、しかし出来るだけ早く下りると、そこにリビングはなかった。玄関につながる廊下があり、いつも通り他の部屋のドアもあった。

 そっと玄関を覗くと、磨りガラスの向こうに母親のような影が動いていた。

ーーーーーーピンポーン

また音が響いた。やっと、抜け出せたという気持ちとは裏腹に、目の前の母親が本当に彼女かはまだ安心できなかった。

 「いないのー?」また声がした。

 僕はホッとした。もし、さっきまでの何かだったり、ここがさっきまでの一部だったら、音がしないはずだった。彼女の声がした、ということは、彼女は本物だ。そうに違いない。そう言い聞かせ、僕はドアに手を伸ばし、引いた。紛れもない母親の表情がドアの隙間から覗いたと同時に、おかえりと声をかけてしまった。

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