付きまとう小さな悩み
@chauchau
すがすがしい気持ちになりもしない
どうしてと言われても分からない。
自分自身で分からないものを他人にどうこう聞かれても答えようがないわけで。度重なるどうしてどうしてに、キレてしまって教室で机を蹴り飛ばした。
静まりかえる教室と異物を見る目のクラスメート達に嫌気がさして、逃げるように飛び出した。
うちの高校の屋上の鍵って壊れているらしいよ。と聞いたのは入学して間もなくだっただろうか。まあ、それは嘘で扉には鎖がぐるぐる巻きにされた上で南京錠まで付けられていたとは好奇心旺盛の同級生がオチとして語っていたけれど。
それでも、扉の前の踊り場は今この学校のなかで一番誰も居ない場所だろうと向かえばどうしてか扉には南京錠どころか鎖すらかかってなかったわけでして。
魔が差したとでも言うのだろうか。
無意識に伸びた私の腕は、ゆっくりと屋上へ続く扉を押し開けると、
「きゃーーッ! えっちィィ!!」
突然の乱入者にその身を隠そうと身体を捩るうさぎがそこに居た。
※※※
――パタン
静かに扉を閉め直した少女は、扉のノブを握っていた手を己の額に当てたあと、一度だけゆっくりと深呼吸をする。
「…………」
さきほど飛び込んできた視界の異変を確認した彼女は、
「よし」
そそくさと来た道を戻らんがために身体を反転させた。
「まぁまぁまぁまぁ、そう結論を急ぐことなかれだよ、お嬢さん」
「聞こえない、なにも聞こえない」
いつの間にかさきほどのうさぎが彼女の足下に立っていて、なおかつ話しかけてきたことなどあるはずがないじゃないか。
不自然に視線を外すことはせず、できる限りふわふわな白い毛が視界のなかに入らないよう注意して彼女は階段を降りていく。
「最近の向こう側の人間はいつもこうだ。科学の進歩は素晴らしいと言うけれど、信じる心を失っているのではないかと僕はそう思いとても悲しい気持ちになる」
勝手に話し出すうさぎの声は無駄にイケメンで、添い寝用音声にでもすれば売れてしまうのではないかと思うが、実際それをうさぎが出しているという光景はただ恐怖以外の何物でも無い。
「悲鳴を上げて腰を抜かせば良いというものでもないけれど、やはり畏れというものは重要だと僕は思、まあ、だから待ちなさいよ」
「聞こえない、なにも聞こえきゃぁ!?」
「お一人様ご案内」
あと二段で階段を降りきる時に、うさぎがふわふわの前足を器用にぽむぽむと打ち鳴らせば、今の今までただの階段だったそれがエスカレーターのように動き出す。
未来予知が出来るはずのない彼女が、それを予期出来るはずもなく。急に動き出した階段にバランスを崩されて、なんとかこけないように踏ん張っている間に、ぺッ! と屋上へと放り出されてしまった。
「んがッ!」
――バタン
無慈悲にも閉ざされた扉の前で、彼女はなすすべ無く呆然としてしまう。
「さてさて、久方ぶりのお客さんだ。一等上等の紅茶でも淹れてあげようじゃないか。砂糖は一つ? それとも二つ?」
「聞こえない、なにも聞こえない」
「これもある意味で畏れなのだろうか」
「うさぎとか意味分かんない、こういうのまじいらない。ちょっと不思議なSF展開とか絶対に認めない」
「多分違うか」
現実逃避に一生懸命な彼女を一旦放置することに決めたうさぎは、どこからともなく取り出したカップに、これまたどこからか取り出したティーポットの中の紅茶を淹れていく。
漂う紅茶の良い香りは普段であれば落ち着きを生み出すものであるのだが、香りという五感の一つまで使うことになった彼女はより悔しそうであった。
「どうぞ。まずはこれでも飲んで落ち着きなさい」
「いや、もう本当に良いんで。あれでしょ、ちょっと心が病んでいる少女に不思議な展開があって良い感じに心の棘が取れていく的な展開なんでしょ、これ。まじそういうの求めてないから。普通にないから」
「え?」
「え?」
「…………」
「…………」
「え?」
「え? 違うの?」
「そういうのは…………、専門外かなぁ?」
「じゃあどうしてあんたここに居るのよ!!」
「お嬢さんの方からやって来たんだけどね?」
八つ当たり気味に叫ぶ彼女の足下へ、ここに置いておくよ。とうさぎはカップを優しく置いた。
※※※
「で!」
しっかり紅茶を飲み干した彼女は、空になったカップを指し棒の如くうさぎへと突きつける。
「あんたは何者なのよ」
「何者ときたか……。それは実に難しい質問だね。自分が何者なのか、それは生涯を通して考えていくことであり、はたしてこの世界のなかで何人がその答えを痛い痛い痛い痛いッ」
「そういうのは良いから」
「乱暴なお嬢さんだなぁ、もう」
抓られて桜色になった頬を撫でるうさぎの瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。
さすさすと己の頬を撫でながら、
「僕はうさぎであってうさぎでない待って待って待って!」
逆の頬に伸びる少女の手から逃げるように一歩うさぎは後ろへ飛び跳ねる。
「そういうのは良いから」
「とは言ってもねぇ……、事実として僕も答えを持っているわけじゃない。君たちの言葉で言うところの、幽霊、妖怪、化け物、魑魅魍魎ないしは、精霊、神様……。どれでも好きな風に呼べば良いんじゃないだろうか」
「適当な」
「自分が何者なのかなんて分かってどうするんだい、それこそ偉い学者か哲学者にでも任せておけば良い内容だよ」
「答えが返ってきたら」
「たら?」
「全力で否定しようかなって」
「良い性格をしているって周りから言われたことはないかい?」
「ありがとう」
「本当に良い性格をしているようだ」
空になった彼女のカップへお代わりを尋ねれば、無言で首を横にふったので、うさぎは自分のカップにだけ紅茶を注いでいく。
「それはそれとして、これもなにかの縁だ。さっき言っていた心の棘? でも話していくかい?」
「だからそういう展開ごめんなんだって」
「そこまで嫌な顔しなくても……」
大嫌いなピーマンの山盛りを目の前にした幼稚園児並の彼女の表情に、うさぎの耳が垂れ下がる。
「それで? 何者かは置いておくとして、あんたはどうしてここに居るのよ」
「普通にここに住んでいるからだよ」
「税金払ってんでしょうね」
「そこを気にするのは高校生としてどうかと思う」
「冗談に決まっているでしょうが、笑いなさいよ」
「ハハ。普段は扉に鎖と鍵をかけているんだけどねぇ」
「まさか悩み持つ美少女が来たときにだけ開くとか言わないでしょうね」
「自分で美少女とか言う? ただ錆び付いていたから今朝業者に頼んで交換してもらっている最中だっただけだよ」
「業者……」
「スマフォは便利だよね」
うさぎが取り出した黒塗りのスマフォは実に生意気にも最新機種であった。もふもふ毛まみれのうさぎの手でタップ出来るかどうかは神のみぞ知る。
「じゃあなに? 別に不思議な話の主人公とかでもなくただ偶然私はここに来たってわけ?」
「そうだろうね」
「それはそれで腹立つ」
「SFは嫌だと言ったり、本当に忙しいね、君は。ああ、そうそう、まだ大丈夫だけどもう少ししたら戻りなよ?」
「どうして?」
「業者が来て扉に鍵がかかる。そうしたら、君はもう戻れない」
なんでもない風に紅茶を口に付けながらうさぎが言う言葉に、彼女は顔を歪ませる。
「その取って付けたような設定なに」
「事実だから何と言われても……。こちらとあちらを繋ぐ扉に鍵がかかればその瞬間に世界は分けられる。君は向こうの世界の人だからね、こちらの世界で生きるには存在から変わる必要があるということさ」
「意味が分からない」
「世界の全てを分かると思うのは傲慢ということだよ」
どこからともなく取り出していたカップとティーポットを、これまたどこかへと収納していく。
まるで手品のように存在が消えていく。
「帰れなくなるのかぁ……」
「ちょっと望むところだ、みたいな表情はどうしてなんだい」
「思うところがあるのよ」
「思春期ってやつかい。止めときなよ、向こうがどうかは知らないけどこちらだって楽な世界じゃないし、なにより君の身寄りがいないだろう?」
「現実的なことを言うのね、いきなり」
「君にとって僕は非現実かもしれないが、僕にとって僕は現実だからね。それは言葉だって現実的なことを言うに決まっているじゃないか」
少しの間黙ってうさぎを見つめていた彼女は、ふん、と鼻を鳴らして地面へと寝転んだ。
「陸上やっててさ。でも、大事な試合の前に足を怪我しちゃって」
「ほう」
「怪我は完治したんだけど、前みたいに走れるのかわかんなくて怖くなって」
「なるほどなるほど」
「また走って怪我したら、とか考えたらさ」
「うぅん」
「みたいな物語的な悩みがあったら良いんだけどね」
「そうくるかぁ……」
うさぎの耳が再び垂れ下がり、彼は大きくため息を付いた。
「あっはっは! 不思議な展開に巻き込まれる人間がみんな重い悩みを抱えていると思ったら大間違いなのよ!」
「全くその通りだね。実に残念だ」
「普通悩んで無くて良かったというべきなんじゃないの」
「そんなことはないさ」
寝転ぶ彼女の顔の近くに、うさぎは腰を下ろす。
「大きい悩みというものは、それなりに解決策が存在していることがまた多い。もちろんだから放置して良いわけではないけどね」
彼女の視界に映るうさぎの顔はどこか寂しげ……、かどうかは分からない。うさぎの表情の機微が分かるほど彼女はうさぎに詳しくなかった。
「困ったことに小さな悩みのほうは、常に自分に付きまとう。人間関係、将来のことに金銭問題。尽きることのない、だけど人に話しても私も僕もと共感されて不幸自慢になるようなそんな悩みはまた面倒くさいものだと僕は思う」
「うさぎなのに人間っぽいこと言うのね」
「人間がうさぎっぽいことを言い出したのかもしれないよ」
うさぎの言葉に少し悩んだ彼女は、
「それはないでしょ」
きっぱりと否定した。
「それもそうだね」
「適当な」
「相談相手というのは得てして適当なほうが良いこともあるものさ。さて、それじゃあ話すこともしょうも無い小さな悩みを抱える君に僕からアドバイスをあげようじゃないか」
「え……」
「そんな顔しないでよ……」
非難する彼女の視線から逃げるように、
「君たちの世界の物語では異世界転移とかが流行っていたんだろう? それはつまり、今この場から逃げたい欲望という需要と合致したというわけかもしれない」
うさぎは空を見上げる。
「でもさ、結局はどこに行っても小さい悩みはあるわけだよ。だったら答えは一つだ」
「……なに?」
「諦めるんだよ。扉の向こうは不思議な世界、それはなにも特別なことじゃない。自分の部屋、玄関、教室、会社にお店、詩的に言えば心の中。その全ての扉の向こうは不思議な世界で異世界だ。そして悩みが尽きることはない」
「救いは無いってことね」
「かもしれないし。逃げたい時はいつでもどこでも逃げれるということかもしれない」
「適当な」
「どこもかしこも異世界だ! と思えばワクワクしない?」
「微妙……」
「確かにどこぞのブラック企業の勧誘のようではあるか」
「…………」
「どうかしたかい?」
急に黙ってしまった彼女を心配するようにうさぎはのぞき込む。
うさぎの赤い瞳をじっと見つめながら、
「今のアドバイスだけどさ」
「うん?」
「
「……、まあ……、そうだね……」
※※※
「じゃあ、帰るね」
立ち上がり、服に付いた埃を払いながら彼女は言う。
「そうだね。確かにそろそろ時間も危ない」
「業者?」
「いや、君の学校の昼休みが終わって五限がはじまる」
「もうちょっと居ようかな」
「気持ちは分かるけどね」
はやく帰れとばかしに、うさぎが彼女の足を押していく。
「扉の向こうは不思議な世界、か……」
「うん?」
学校の中へと繋がる扉の前で、彼女は立ち止まる。
「確かにまあ、現実って不思議な世界だよねぇ……」
「事実は小説よりも奇なり、と言うぐらいだからね」
「そうだね。……また何かあったら来ても良い?」
「え」
「…………」
「…………」
「…………」
「痛い痛い痛い痛い痛いッ!!」
思いっきりうさぎの頬を抓るだけ抓って、彼女は扉の向こうへと戻っていった。
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