第27話 二次会の後で……

 愛理を抱えて部屋に帰って来た忠太郎は、愛理をベッドにそっと横たえた。

 静かな寝息で眠る愛理は、少し突っついたくらいじゃ起きなさそうなくらい爆睡しており、忠太郎はしばらくベッドのわきに座って眺めていた。


「たろさん、大好き……」


 愛理の寝言に、そっと頬を撫でると、愛理はフニャッと笑った。

 あまりに可愛い過ぎて、忠太郎はつい口元が弛んでしまう。


 特に美人でもないし、スタイルが良い訳でもない。ごく普通の地味な女の子が、忠太郎の中では最高に愛しく大切にしたい存在になっていた。


 女性経験が少なくもない忠太郎だったし、特定の彼女がいたことだってあったが、その関係はいつもドライで、自分から会おうとか、会うための時間を作ろうなんて一度も思ったことがなかった。

 だから、今回愛理の同窓会、しかも女子校の同窓会にわざわざ迎えに行ったなんて、昔の恋人達が知ったら、かなりざわつくことだろう。


 愛理のことを心配するのがすでに習慣になってしまっており、愛理にだけはクールに接することができない自分がいた。こんな恋愛は初めてで、とにかく大事にしたかった。

 そのためには、自分の性欲なんて簡単にコントロールできるし、しなきゃいけないと思っていた。


「シャワー浴びてくるか……」


 それでも、好きな女が無防備に目の前で寝息をたてているのだから、何も感じない程悟りを開いている訳ではない。


 忠太郎は着替え諸々を持ち、シャワーを浴びにプレハブを出た。

 もうかなり寒い季節であり、そろそろ一旦表に出てシャワーに行くのに辛い季節になっていた。


 ★★★

 愛理は空腹で目が覚めた。

 またもや見慣れた、けれど自分の部屋ではない天井を見つめ、またやってしまったのか……と、ゆっくりとベッドから起き上がった。

 ただ、前とは違うのはまだ夜だということ。そして、凄まじい空腹を感じていること。


 見回しても忠太郎はいない。仕事をしているのだろうか?

 そして、何も疑うことなく、衣服に乱れもなかった。

 自分に女性としての魅力がないことは重々承知しているが、ここまで放置されると、彼女としての存在意義にも警鐘が鳴る思いだった。


 食べ物……はある筈もなく、愛理は冷蔵庫の中の牛乳をコップにうつして飲んだ。

 そこへ、頭からタオルをかぶった忠太郎がトレーナーにジャージ姿で入ってきた。


「あ、起きたんだ」

「はい。牛乳いただいちゃいました」

「ああ、好きにしていいんだよ」


 髪の毛が濡れた忠太郎は、いつにも増して男っぷりが上がっており、ただのトレーナーとジャージなのに、愛理には直視できないくらいセクシーに見えた。


「莉奈ちゃんがね、アリバイに協力してくれたよ」

「アリバイですか? 」

「うん、今日は朝まで一緒にいられるな」


 それってつまり……?


 愛理は、顔に血液が集まるのを感じて慌ててうつむく。

 そんな愛理の頭にフワリと手をのせポンポンと叩くと、忠太郎は頭をごしごしと拭きながら衣装ケースの方へ歩いて行った。


「着替えたいだろ? シャワーとかはどうする? 」

「シャワー……ぜひシャワーしたいです! 」


 これからの展開を妄想した愛理は、何が何でもシャワーをしなくては! というような勢いで答えた。


「ああ、うん。じゃあ……」


 少し寝たし、寝汗でもかいて気分が悪いのだろうと思った忠太郎は、ごそごそと衣装ケースを漁り、シャワーの準備をする。

 忠太郎のトレーナーは大きめだし、愛理が着たらワンピースのようになってしまうだろう。それはそれで可愛いのだが、そんな姿の愛理を前に、理性を保つ自信のない忠太郎は、ジャージのズボンも用意した。


「じゃあ、ついてきて」


 プレハブを出て、階段を使い一階下のシャワー室に向かう。廊下は真っ暗で、非常灯の灯りを頼りに歩く。暗くて危ないと思ったのか、忠太郎は自然と愛理の手を引いて歩いていた。


「やっぱ、この季節になると部屋にシャワー欲しいな」

「それをいうならトイレもですけど」

「ハハッ、まああそこは住む専用じゃなく、元は物置だからな」

「たろさんの家って、他にあるんですか? 」


 素直な疑問だった。ここに住むつもりはなく住み込んでしまっているのなら、元に住んでた家がある筈で、それが独り暮らしなのか家族(親だと思いたいが、忠太郎の年齢からしたらバツがついている可能性もある)なのか、確かめたい気持ちもあった。


 忠太郎はうーんと唸る。


「あるにはあるけど、もう五年以上帰ってないからなあ。親が住んでいた家があるよ」

「今もご両親だけで住んでいるんですか?」

「住んでた……ね。大学の時に二人とも事故で亡くなったから」

「ごめんなさい! 」


 忠太郎の家の話しはほとんどしたことがなく、まさか亡くなっているとは思っていなかった愛理は、聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、シュンとうつむいてしまう。

 忠太郎は、そんな愛理の頭をクシャクシャッと撫でると、もう大分前の話しだからと、気にしなくていいよと笑った。


「ここがシャワー室なんだけど、帰りが怖いよね? 俺、ドアの前で待ってるから入っておいで」

「たろさん、寒くないですか? 」


 廊下は暖房がきれていて、外並みに冷えていた。髪の毛が濡れた忠太郎がいたら風邪をひいてしまいそうだ。

 中を開けると、ロッカー室のようになっていて、その奥にシャワー室のドアがあった。


「廊下よりは、中のが暖かいです。中で待っていてください」

「でも、シャワー室の中には脱衣所はないよ。入ってすぐに洗い場だから」

「大丈夫です」


 忠太郎は狼狽えたように半歩下がった。

 いくら今まで紳士的に愛理に接してきたとはいえ、目の前でポンポン脱がれて、平常心を保てる自信は100%ない。


 何をもって大丈夫と言っているのか分かりかね、忠太郎の笑顔が凍りついていた。


「シャワー室の中で脱いで、洋服だけ表に出しますから。ほら、手だけ出せば大丈夫ですよね」


 愛理はシャワー室に入ってみせて、手だけだしてみる。


 確かに裸は見えないが、その手の先を想像してしまうではないか?!


「ほら、ドライヤーがある。たろさんは髪を乾かしていてください」


 誰かの私物なのか、洗面台のところにドライヤーが置いてあるのを発見し、愛理は忠太郎に渡す。そのままシャワー室の中に入り、バタンと扉を閉めた。一応鍵はついているが、十円玉一枚で開いてしまうタイプの鍵で、開けて入ろうと思えば入れなくはない。


 忠太郎はただ扉を見つめ、ドライヤーをかけるところではなく、またもや扉が開いて、愛理の細くて白い腕が肩の付け根辺りまで見えた時、思わず生唾を飲み込んだ。

 その音があまりに大きく聞こえ、慌てて音の残像をかき消そうとドライヤーをつけた。


 おいおいおい!

 中坊じゃあるまいし、好きな女の生腕を見たくらいで、この反応はヤバイだろう?!

 どんだけ飢えてるんだって!!


 乱暴にドライヤーを髪にあて、シャワーの音が聞こえないようにした。


 とにかく無心だ!


 忠太郎の妄想は嫌でも広がり、それを打ち消すようにとにかく何か歌でも……と思いだそうとしたが、テレビをあまり見ない忠太郎に最近の歌が分かるわけもなく、パッと思い出せたのは中学校の校歌だった。


 忠太郎は、ドライヤーをかけつつ中学校の校歌を歌い、シャワー室のドアと正反対を向いた。


 ★★★


「お待たせしました」


 頭にタオルをまいた愛理が、忠太郎のトレーナーを着て、三回以上折り曲げたジャージを履いてシャワー室から出て来た。

 忠太郎は、ドライヤーを熱心にかけており、愛理の声が聞こえないようだ。

 忠太郎に近づくと、ツンツンと背中を突っついた。


「ウワッ!? 」

「ごめんなさい、聞こえてないみたいだったから」


 必要以上に驚く忠太郎に、声をかけた愛理も驚いてしまう。


「何か歌ってませんでした? 」

「ああ、なんとなく」

「何歌ってたんですか? 」

「……校歌を少々」


 忠太郎は無性に恥ずかしくなりつつ、ドライヤーを止めてコンセントから外した。


 何故校歌? と思わなくもなかったが、愛理の同窓会に顔を出したから何となく思い出したんだろうくらいにしか考えなかった。


「愛理は部屋に戻って髪を乾かせばいい。ドライヤーは明日返せば問題ない」

「そうですね」


 二人はまたもや暗い廊下を通り、階段を上がる。


「やっぱり、外に出ると寒いですね」


 プレハブに戻ってきた愛理は、着ていたスーツをハンガーにかけると、ハンガーラックに吊るした。

 洗濯物を洗濯籠に入れる。

 下着の替えがないのは痛いが、まさかノーパンという訳にもいかず、履いてきたのをそのまま履いていた。


「髪の毛、乾かしてやるよ。おいで」


 愛理をクッションに座らせ、忠太郎はベッドに座ってドライヤーをかけた。

 愛理の髪の毛は今まで一度も染めたこともなければ、パーマをかけたこともなく、手櫛が絡むことなくサラサラと指から溢れていく。その絹のような柔らかい手触りに、赤ちゃんの髪の毛みたいだと思う。


「気持ちいいですね」

「えっ? 」

「人に髪の毛を乾かしてもらうのって、気持ちいいんですね」


 ドライヤーの音で聞こえ辛く、忠太郎はドライヤーを止めて愛理を覗き込んだ。

 上から愛理を見る状態になり、大きく開いた襟ぐりから、愛理の華奢な鎖骨が、谷間はないが膨らんだ胸元が見えてしまう。


「……たろさん? 」


 つい食い入るように見てしまい、黙り込んだ忠太郎を振り返るように、愛理が上目遣いで忠太郎を見上げる。

 その表情が可愛くて、忠太郎の理性の糸がプチンッと切れる音がした。


「……」


 愛理にはの頭に手をかけたまま、忠太郎は屈むようにして愛理の顔に顔をゆっくり寄せていく。


 このシチュエーションは初キッス(実際には二回目)だと理解した愛理は、身体を硬直させつつも、ギュッときつく目をつぶった。


 しかし、これが良くなかった。

 リラックスして身体の力を抜けば、まだ回避できたかもしれないあの音が、プレハブに響き渡る。


 グ~~~ッ!!!


 空腹過ぎた愛理は、身体に力を入れたことにより、盛大におなかが鳴ってしまったのだ。


「ブハッ! いや、ごめん。腹へってたんだな。そうか、二次会じゃあんまり食べてなかったもんな」


 忠太郎が盛大に吹き出してくれたおかげで、恥ずかしいのはめっちゃ恥ずかしいが、気まずい雰囲気にはならないですんだ。


「一次会からです。進行だったんで、食事はとれませんでした。ちなみに、会場に早く入ったので、昼も食べてません」

「なら何で二次会で食べなかったの? 食べないとダメじゃん」


 愛理はジトッと忠太郎を恨まし気に見上げる。


「だって、たろさんが手を繋ぐから」

「えっ? 俺?? 」

「せっかく初めて恋人繋ぎしてくれたのに、お箸を持つからって離したくなかったんです」


 愛理は素直にあの時の感情を話した。

 たかだか手を繋いだくらいで、特別なことのように話す愛理が無性に愛しく、デレッとしてしまう顔を隠すことができなかった。


「呆れましたか? 」

「いや……無茶苦茶可愛い! もう! 何なんだろうね、この子は」


 忠太郎は愛理の頭をグリグリ撫でて、その頭にキスした。


「さて、髪の毛を乾かしたらコンビニ行こうな」


 もう一歩で恋人繋ぎ以上の経験ができた筈なのに、愛理の無情なおなかの虫により阻まれた。

 けれど、コンビニに行く時も、帰ってからも忠太郎はずっと手を繋いでくれ、愛理は凄く幸せな時間を過ごすことができた。

 明け方まで手を繋いだままベッドに腰かけて話しをしていたのだが、いつしか眠ってしまった愛理の唇に忠太郎はそっと唇を寄せ、抱きしめながら眠りについたことを愛理は知らなかった。


 二人の恋愛は、ゆっくりとであるが二人のペースで進んでいくことだろう。

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最低男と別れた後で 由友ひろ @hta228

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