第23話 二人の関係は?

 朝食を食べ終わり、テーブルの上を片付けた愛理は、忠太郎の様子をさりげなく観察力しつつ、片付けを再開した。

 いつもなら会社に下りて仕事をする忠太郎が、今日はベッドに座ってデッサンをしていた。


「たろさん、お茶をいれましょうか? 」

「うん、頼む」


 スケッチブックから顔をあげることなく、忠太郎の長い睫毛は下を向いたままだった。


 お茶をいれた愛理は、テーブルの前に座り、そんな忠太郎を見つめる。黙々と描いている忠太郎は、そこだけ空間が違うように見えて、その引き締まった表情と静かな雰囲気に、ついうっとりしてしまう。


「楽しい? 」

「はい? 」


 忠太郎は視線を上げ、ふっと表情を和らげた。

 急に視線が合い、愛理は思わずキョドってしまう。


「いや、あの、パソコンとかで作業するのかなって思っていたから、スケッチするんだって思って見てたら、なんか目が離せなくなりまして……」

「まあ、本格的にはそうだね。でも、俺はこっちのが好きなんだ。直に描いてた方がイメージが膨らむっていうか」


 忠太郎は、スケッチブックをベッドに置くと、愛理の隣りに腰を下ろした。

 二人座れなくはないが、並んで座ると腕や足が触れてしまう。


「あ……あの」


 忠太郎は、焦っている愛理に気づいていないように、ごく自然な動作でお茶を飲む。


 身体を固くさせ、なるべく忠太郎に触れないように意識している愛理を見て、忠太郎は愛理にどこまで記憶があるのかふと不安になった。


「あのさ、昨日のことだけど……」

「昨日は大変ご迷惑をおかけしました! 」


 忠太郎が本題を言う前に、愛理が後ろに下がって手を前に揃えてきっちりした礼をする。


「私、何かご迷惑をかけなかったでしょうか? 」

「迷惑? 」

「その……からんだりとかご迷惑をかける飲み方をしなかったでしょうか? 」

「……記憶がない? 」

「莉奈ちゃんと別れた記憶があるような……ないような」


 そこからか……と、忠太郎は天井をあおぐ。ということは、この部屋の出来事なんか記憶にある筈もないということか。自分を大好きだと言ってくれたことも。


「愛理って呼んでくれって言われたな」

「エッ? 」

「たろさん大好きとも言われた」

「エエッ?! 」


 愛理は身体ごと後ろに仰け反るように叫んだ。

 真っ赤になった顔を、忠太郎はグリグリやりたい衝動に駆られる。

 覚えていないなんて、お仕置きだろう! と、どうしてくれようか考えた。


「覚えてないのか……。そうか。いや、でも……」


 わざと落胆したように肩を落として口ごもる。


「たろさん? 」

「本気にとった俺が馬鹿なんだよ。酔っぱらったノリで好きだって言ったんだな」

「ノリだなんて……」

「いいんだ。こんなおじさんが、若い娘に好かれる筈ないんだから」

「たろさんはおじさんなんかじゃありません! 」

「ハハ……、もうアラサーってやつだよ。いいんだ、若い娘のノリってやつなんだろ? ああ、本気にとって恥ずかしい、恥ずかし過ぎて、穴があったら入りたいくらいだ」


 顔を押さえて大袈裟に嘆き悲しむフリをする忠太郎に、忠太郎を傷つけたのかと、愛理は真剣な表情で忠太郎の肩を揺さぶった。


「ノリなんかじゃありませんから」

「じゃあ、俺のことが好きだってまた言ってくれる? 」


 忠太郎は、掌の隙間から愛理をチラ見しつつ笑いを堪え、そのため小刻みに震える背中が、愛理の勘違いを増長させた。


「たろさんのこと好きですから、泣かないでください! 」

「昨日は、大好きって、ハートマークつきだった」

「ハート……」


 そんなもの見える筈ないのに、どんな言い方をすればハートが出せるのか、真剣に考え込む。


「たろさんのことが大好きです!! 」

「ハートが足りない……」

「……」


 言い方だろうか? 態度だろうか?


 好きだと言う恥ずかしさよりも、忠太郎を傷つけたんじゃないかという後悔の方が強く、忠太郎の回りでワタワタする。


「どうすればいいですか? 」

「愛理の好きの種類を教えてくれたら許してあげる」

「好きの種類って……」

「好きにも色々あるじゃん。ライクかラブかとか」

「ラ………………ブです」


 消え入りそうな声の愛理に、忠太郎はさらに顔を両手に埋める。


「そんなに頼りない感じなんだ……」

「違います! しっかり、がっつり好きです!! 」


 忠太郎は顔から手を離すと、満面の笑顔で愛理のことを軽くハグした。


「ありがとう。俺も好きだよ」


 耳元に響く声に、愛理は一瞬幻聴を聞いたのかと思った。

 愛理が硬直していてあまりに反応が薄いので、忠太郎は再度耳元で囁く。


「愛理、好きだよ」


 大樹のことをノーカウントとすれば、好きだと言ったのも言われたのも初めての経験で、しかも相手が自分にはもったいないくらいの相手で……。妄想・幻聴の類いなのか、起きてると思っているだけで実はまだ寝ているとか?


 愛理には現実のことと受け入れるのが難しかった。


 えっと……じゃあ、あれは夢じゃないの?

 あれ? あれっ??


「何でそんなに困惑してるの? 」

「いや、だって……。エッ?! 」

「お付き合いしましょうって好きなんだけど、愛理も同じってことでいいよね」

「あの……その……」

「OKなら目を閉じて」


 あね夢のキスがくるのかと、愛理はギュッと固く目を閉じた。あまりに力を入れすぎて、顔は下を向き、小刻みに震えてしまう。


 忠太郎はふっと笑顔を浮かべると、愛理の額にキスをした。


 この純情で真面目な少女は、今日から自分のものになった訳だし、焦る必要はないんだ。

 手を繋ぐことから始まる恋愛もいいのかもしれない。


 そう思った忠太郎は、それ以上触れることなく愛理から離れる。


「無断外泊」

「エッ? 」

「無断外泊しちゃったけど、大丈夫かな? 」

「あっ!! 」


 忠太郎の家にいることにパニックになり、家のことをすっかり忘れていた。

 スマホを見ると、母親から数件電話やらラインが入っていて、最後に莉奈から留守電が入っていた。


『愛理のママから電話きたよ。酔いつぶれてうちに泊めたって言ってあるからね。後で状況教えるように』


 くぐもった笑い声は、何を想像しているんだか……。


 とりあえず、莉奈にはありがとうとラインを送り、母親には莉奈のうちから直にバイトにきたとラインしておいた。


 昨日、莉奈と飲みに行くと言っておいて良かった。忠太郎や熊木のことは話していなかったのだ。


「莉奈のうちに泊まったことにしてくれたみたいです」

「それは良かった。お母さんに会いづらくなるところだったよ」


 愛理の頭を撫で、忠太郎はまたベッドに戻ってスケッチブックを手にした。

 もう少しスキンシップというか、夢のような甘い展開になるのかと思っていた愛理は、拍子抜けしてしまう。


「たろさん……」

「何? 」


 忠太郎は、スケッチブックから顔を上げずに言う。


「私達、お付き合いすることになったんですよね? 」

「そうだけど」

「じゃあ、バイトは終了ですね」

「何で? 」

「だって、彼女ならお掃除にくるのとか当たり前だし」

「それはダメ。掃除させるために彼女にした訳じゃないから。でも、一日はデートしたいな。いつも家ってのもね」


 デート!!

 忠太郎が愛理とデートをしたいと言ってくれている!


「おうち以外でも会ってくれるんですか?! 」

「当たり前だろ」


 忠太郎は、手招きして愛理をベッドに座らせ、その手の上に手を重ねてそっと握る。


「俺、仕事ばっかでほっとくといつも仕事しちゃうからさ、一週間のうち一日は愛理とデートする日として、開けることにするから。だから、バイトとして来た日は、悪いけど仕事させてな。もちろん、帰りはちゃんと送るからさ」

「そんな、全然かまいません。毎週デートなんて、そんな贅沢なこと求めないです。たろさんお忙しいから」

「俺が、愛理とデートしたいの」


 愛理の頭をクシャクシャっと撫でると、忠太郎は耳に唇が触れるか触れないかくらいの距離で囁いた。


「愛理、大好きだよ」


 甘〰️い!!


 背筋がゾクゾクして、腰が砕けるかと思った。多分、ベッドに座っていなかったら、確実に座り込んでしまったことだろう。







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