第22話 二人で……。

「じゃあ、俺らは次に飲みいくから」


 すっかり俺に戻った熊木は、莉奈と腕を組んでご機嫌に手を振った。


「愛理のことお願いしますね」

「送り狼はダメだぞぉ! 」

「うるせーよ! さっさと飲みに行きやがれ! 」


 忠太郎が口汚く熊木に怒鳴ると、熊木は笑いながら莉奈を連れてタクシーに乗って行ってしまった。


「愛理ちゃん、大丈夫? 」


 酔っぱらい、フラフラしている愛理の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。


「らいじょうぶれす」


 なんか、色々考えていたら、一気に酔いが回ってしまった愛理だったが、それでもそばにいるのが忠太郎だったからか、安心して酔いに身体に任せていた。


「ちょっと、酔いをさまそうか」


 あまりにフランフランな感じだったので、この状態の愛理を家に送り届けることを躊躇った忠太郎は、とりあえず飲んでいた居酒屋から一番近い会社に、忠太郎のプレハブに愛理を連れて帰った。


「愛理ちゃん、水飲もうか」


 忠太郎は、ミネラルウォーターをコップに入れ、ベッドに座った愛理の目の前に差し出した。


「たろさん! 」

「はい!! 」


 今までうつらうつらだったのが、いきなり真剣な面持ちで見つめられて、忠太郎はビクッとしてコップを落としそうになる。


は止めてください!! 」

「はい? 」

って、呼んでください! 」

「そりゃ、愛理ちゃんさえ良ければ、呼び方なんていくらだって変えるけど……」

ですってば! 」

「愛理? 」

「はい! 」


 満面の笑みの愛理を見て、思わずクラッとした忠太郎は、コップを落として愛理を抱きしめたい衝動に駆られた。


「たろさん、大好き……」


 忠太郎の胸にコテンと頭をのせた愛理は、安心したように大きく息を吸い込み、スリスリと頬擦りするように忠太郎にすり寄ったかと思うと、いきなり寝息をたて始めた。


「愛理? 」


 あれは、告白だったんだろうか?


 頬をつつこうが、肩を揺さぶろうが、愛理の反応は全くなかった。


 忠太郎は、初めて愛理と飲んだ日のことを思い出した。

 あの時もタクシーで寝てしまい、揺さぶっても起きることはなかった。


 これが愛理の酒癖なのか……。


 規則正しい寝息は愛らしく、酒で紅潮した頬は愛しかった。

 愛理の唇に指を触れ、その愛らしい感触に理性を保つことが難しくなる。その唇を貪り、自分の名前を呼ばせたい欲求に駆られた。


 唇があと数ミリのところまで近寄り、忠太郎は最大限の理性を動員して、コンマ一ミリの隙間を確保する。


「たろさん…………大好き……です」


 忠太郎の理性の糸はプチんと切れ、愛理の唇に軽く触れた。

 さらに先に進みたい、唇を強く吸い、身体に触れたいという欲求を誠心誠意抑え込む。


 酔っぱらっているとはいえ、いやだからこそ本心が漏れたと信じたいが、愛理は忠太郎のことを大好きだと言ってくれている。

 しかし、ここで愛理を抱いてしまったら、結局は愛理の傷を広げることになるだろうし、今まで築いてきた信頼が水の泡になってしまうだろう。


「愛理……愛理」


 忠太郎は、愛理を耳元で名前を囁き、その耳に唇を寄せた。


 愛理は奇跡的に目を開け、自分を優しく包む忠太郎に視線を向けた。愛理の中では夢以外の何物でもなく、忠太郎に抱きしめられる幸せな夢の一部であった。

 夢なんだから何でもありだし、恥ずかしいとかいう気持ちもない。

 愛理は夢の中で忠太郎にすり寄り、その唇に自分から触れた。


 唇を吸い、舌を絡める。


 忠太郎の腕が愛理の背中に回り、きつく抱きしめる。


 いいのか?

 でも……。


 しばらく抱きしめた後、意を決して先に進もうとした時、忠太郎は残酷な現実を知った。

 愛理は……爆睡していた。

 二度と目を開けることもなく、揺さぶっても何の反応もなかった。


 忠太郎は、愛理の額にそっと唇を寄せると、愛理の身体を持ち上げ、ベッドにちゃんと寝かした。


 焦ることはない。

 焦ったらいけない。


 忠太郎は床に毛布を敷き横になると、しばらく天井を見上げていた。


 ★★★


 目が覚めると、愛理の目に見覚えのある天井が飛び込んできた。と言っても、見慣れた自分の部屋ではない。


「ここ……」


 愛理はガバッと起き上がり、部屋の主を探したが、部屋の中には愛理しかいなかった。


「昨日……」


 幸せな夢を見たような気がするが……まさかね。


 洋服は多少シワになっているが、昨日着ていたものだし、ボタンもきっちりしまっている。

 ホッとしたような残念なような……。

 愛理はブンブンと首を振り、少しでも忠太郎のことを疑ってしまった自分を恥じた。


 とりあえずベッドから下り、シーツを剥がす。どうして忠太郎の家に泊まることになったのかわからないが、どうせいるのなら掃除してしまおうと思ったのだ。


 洗濯物をまとめ、洗濯機に入れる。

 床に散乱している書類や書きかけのデッサンのようなものをまとめ、後で忠太郎が仕分けしやすいように箱に入れた。

 黙々と掃除をしていると、ボヤッとしていた頭が徐々にクリアになる。

 そしてこの現実の真意を考え始めた。


 以前、愛理が酔いつぶれた時、忠太郎は愛理の家を知らなかったのに、何とか調べて家まで送り届けてくれた。


 何故、今回は忠太郎の家に泊まることになったのか?


 その一、忠太郎が連れ込んだ……絶対にあり得ない。洋服は着たままだったし、乱れたところもなかったからだ。第一、万が一忠太郎が愛理にそういう行為をしたとしたら、愛理の身体に異変がある筈だ。大樹としたあとは、毎回痛くてヒリヒリしていたから。


 その二、愛理が来たがった……酔いすぎていて覚えてないが、これはあるかもしれない。酔っぱらって気が大きくなって、忠太郎の家で飲みたいとか言ったんじゃ? でも、これもなさそうだ。二人で飲んだ形跡がないからだ。


 その三、愛理の酔いをさますために忠太郎の家に一時寄った。飲んでいた居酒屋から愛理の家よりは忠太郎の家の方が近かったから。

 忠太郎もけっこう飲んでいたし、愛理も寝込んでしまったため、そのまま家に泊めた。これが正解なんじゃないだろうか?

 床に毛布があったから、忠太郎は床で寝たようだし、もしそうならベッドを占領してしまい、凄く申し訳なかった……と、愛理は反省と共に女子としてはしたない姿を見せてしまったと、猛烈に恥ずかしくなる。


 でも、今さらなのかもしれない。


 出会いから大号泣で、二回目に会った時は酔いつぶれ、それ以外でも色々やらかしている。

 忠太郎に女子として意識されることなど、一生ないんじゃないかとさえ思えた。


 ドーンと落ち込んでいた時、ドアが開いてコンビニ袋をぶら下げた忠太郎が入ってきた。


「もう起きたんだ……ってか、もうバイト始めたの? 」

「いえ、これは宿泊してしまったお詫びで、お給金は発生しませんので」

「お詫びって、別に構わないのに」


 忠太郎は、愛理が片付けたテーブルにポカリや菓子パンや惣菜パンなどを並べた。


「朝飯、買ってみた。好きなの食べて。」

「私は何でも……」


 忠太郎はコップにポカリを注ぐと、どうぞと愛理の目の前に置いた。


 テーブルで向き合って座り、朝御飯を食べる……って、何かカップルみたいで素敵です!


 愛理は、異性と食べる初めての朝食をうっとりと眺める。

 忠太郎もいつもの格好ではなく、ラフにTシャツにトレパンで、髪を一つ縛りに結んでいた。すっきりと顔が出て、飲んだ日の朝とは思えないくらいに端正な顔立ちに、自分はむくんで見られたものじゃないんじゃないかと、恥ずかしくなってしまう。


「じゃあ、愛理はこれなんかどう? このパン旨いんだよね」


 忠太郎は自然に愛理を呼び捨てにし、菓子パンを愛理の前に置く。


 愛理???


 聞き間違いだよね?


 一瞬、昨日の夢がフラッシュバックする。

 忠太郎の愛理を呼ぶ甘い声、目の前にあった唇に口を寄せたら、優しく唇吸ってくれ、からまった舌。それからきつく抱きしめてくれて……。


 夢だよ! 夢の筈なのに!


「どうした? 食べないのか? 」

「い……いただきます」


 愛理は動揺を隠すように、慌てて菓子パンの袋を開けて菓子パンにかじりつく。

 菓子パンは、思っていたよりもかなり甘い味がした。




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