第17話 展示会
「やっぱり、車に酔ったんじゃない? 」
気遣わしげな忠太郎の視線に、頬の赤みを隠そうとうつむき加減の愛理は、パタパタと顔を扇ぎながら車から降りた。
「違うんです。少し暑かったのかな。着すぎてきちゃったみたいです」
「そう? 」
ワンピースにストールで、そんなに着すぎているとは思えなかったが、下に着込んでいるということもあるのかもしれないし、忠太郎はとりあえず愛理の額に手を伸ばした。
「ひゃい!! 」
「ああ、ごめん。顔が赤かったから熱でもあったらと思って」
「ないです! ないです! いたって健康ですから」
繋ぎたいと熱望していた手が額に触れ、愛理はさらに顔を赤くする。
「ごめん、気軽に触ったらまずいか」
「と……とんでもございません!私に免疫がないだけですので、お気になさらず! こんな顔でよろしかったら、バンバン触っていただいても大丈夫ですから」
テンパってか、訳のわからない敬語になる愛理を、忠太郎は笑いながら軽くたしなめる。
「俺以外に、バンバン触っていいとか言わないようにね。調子のいい奴は、ベタベタ触ってくるから」
「はい! 」
俺以外にというところをスルーしてしまう愛理は、やはり恋愛経験が乏しいからだろう。
これがるりなら、「あなたにだけよぉ」とか言いながらしなだれかかることだろう。
忠太郎の後ろについて、地下の駐車場から五階の催事場までエレベーターで上がる。そのデパートの一角に、忠太郎の友人が展示会を開いているスペースはあった。
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可愛らしい字とイラストで入り口のことろが飾られていた。受付には綺麗な女性が一人座っており、忠太郎はその女性に軽く会釈をすると、そこに置いてあった芳名帳に自分の名前を書いた。
愛理も女性に会釈をしてから、その横に名前を書き、忠太郎の名前に寄り添う自分の拙い字を恥ずかしく思う。
達筆という訳ではないが、男らしい角ばった字の横に並ぶ自分の小さく丸い字は、異質な物にしか見えなかった。
ペン習字を習おう! と決意する愛理の横で、女の子らしい繊細な可愛らしい字だと忠太郎は目を細める。
展示場に足を踏み入れると、そこはかなりメルヘンな世界観の絵画が並べられていた。凄く大きな物から、絵葉書サイズの小さな物まで、展示と共に販売もしているのか、予約の札のかかった物も多数あった。
「可愛い……」
主に水彩画なんだろう。パステルカラーの優しく明るい画質が主で、観ているとつい微笑みたくなるような物ばかりだった。
熊木望……こんな素敵な絵を書く女性を友人だと言う。きっと、画家本人も明るく優しい素敵な女性に違いない。さっきの受付に座っていた女性だろうか? それにしては素っ気ない態度だったような。
「望とは、小学校からの腐れ縁なんだよ」
「小学校から……」
そんなに古いお付き合いがあるなんて……。
しかも……名前を呼び捨てで。
楽しげな絵画を前に、愛理の気持ちは落ち込んでいく。
「望! おまえ、展示場空けてたらまずいだろ」
「おう! チュウ太来てたのか」
「おまえな、チュウ太は止めろって、昔から言ってるだろ」
忠太郎が苦虫を噛み潰したような表情を向ける先には、忠太郎くらい背が高く、忠太郎の二倍は横幅がありそうな大男が立っていた。顔は髭もじゃらで、小さく丸い目がいたずらっ子のように光っている。
「なんだ、抜け駆けだな。こんな可愛らしいお嬢さん連れてくるとは」
「おまえの絵を見に来るのに、男一人でこれるかよ」
「ふん。俺はおまえのショーには一人にでだって行けるぜ」
「変な奴だって勘違いされるから、髭剃ってからこいよ」
「やだね。俺は肌が弱いんだよ」
「面の皮は厚いくせにか? 」
「おまえ程じゃないな」
大柄な二人に挟まれるようになってしまい、頭上の会話にオロオロしてしまう。
喧嘩をしているわけではないのだろうが、いつもの忠太郎の優しげな口調とは違い、かなりフランクに話していたため、きつめな雰囲気すら感じてしまう。
「全く! お嬢さん、こいつのどこがいいの? 顔はいいけどね、ブラとパンツにしか興味がないただの変人だよ」
「おまえね、語弊がある言い方するなよ」
「だって本当のことだろ。変態じゃなく、変人って言ってやったんだからいいだろ」
「ほら、愛理ちゃんが困ってるじゃないか」
「愛理ちゃんって言うのか。見た目だけでなく名前も可愛いんだね」
誉められなれていない愛理は、お世辞だとは分かっているものの、面と向かって可愛いと誉められて赤くなってうつむいてしまう。
「いやあ、本当に可愛いなあ! 」
「おまえ、いい加減にしろ。愛理ちゃん、こいつこんな見た目でジゴロだから気をつけて! 」
「失礼な。画家はパトロンを抱えてナンボなのさ」
愛理との間に入った忠太郎は、なるべく望に愛理が見えないように隠した。
「ほら、あっちでおまえの絵を気に入ったっぽいご婦人がいるぞ!商談してこい 」
「愛理ちゃん、また今度電話するから、ご飯でもしようね」
「電話って……、芳名帳か?! 」
入り口に置いてあった芳名帳には、名前以外にも住所や電話番号を記載する欄があり、愛理も全て記入していた。
望は芳名帳を片手に、ヒラヒラと手を振って中年の女性の元に歩いていった。
「あいつ! 芳名帳持ち歩いてどうすんだ?! 受付に置いときやがれ! 」
「たろさん? 」
いつもより口調の荒い忠太郎を見上げると、忠太郎は目を泳がせてから力なく笑った。
「悪い。あいつが絡むと、つい……」
「仲良しなんですね? 」
「まあ、悪友。俺のことチュウ太って呼んで無事なのはあいつくらいだし。あれで、昔は荒れてた時期もあったりして、どっちかっていうと硬派がウリだったんだけどな……」
硬派がウリなメルヘンな絵を描くジゴロ……。望の見た目と一つも合致しているところはなかった。
「とりあえず、義理は果たしたしな。昼飯食べてから帰ろうか」
忠太郎は、受付に置いてある絵葉書を手に取ると、千円札を受付にいた女性に渡した。
あんなにポンポン言い合っていながら、収入に貢献してあげるんだと、少しほのぼのとした気持ちになる。
「はい、これ」
忠太郎は、買ったばかりの絵葉書を愛理に差し出した。
「こんなもんで悪いけど、プレゼント。今日の記念に」
「いいんですか?! ありがとうございます」
愛理は、大事そうに絵葉書を鞄にしまう。こんなさりげないプレゼントは初めてで、嬉し過ぎてつい頬が弛んでしまう。
二階上のレストラン街でラーメンをおごってもらい、そのまま車で忠太郎の会社の入っているビルに向かった。
「車は返しにいかなくていいんですか? 」
「ああ、愛理ちゃんを送った帰りに返すことになってるから大丈夫」
ビルの駐車場に車を停めると、忠太郎はわざわざ助手席の方へ周り、ドアを開けてくれた。
「どうぞ」
手を出され、ドキドキしながらその手に掴まって車を下りる。ドアを閉めてくれる際に手は離れ、そのままエレベーターへ向かった。
あのまま、手を繋いでいたかったな……。
エレベーターは屋上につき、プレハブの忠太郎の部屋に入る。
部屋の中は、先週よりはましだったものの、やはり荒れた状態で衣服などが散乱していた。
「なんか……すまん」
「やりがいがあります」
袖をめくりあげ、持ってきたエプロンをつける。
その姿もなかなか良いのだが、掃除むきの格好には見えなかったし、ワンピースが汚れてしまいそうだった。
「もし良かったら、俺のシャツとかズボンとか貸すけど」
「でも……」
「洋服汚れたら悪いし」
「では、洗濯が終わったらお借りします。ほら、コインランドリーに行くので」
「そうか……。そうだよな。なら、コインランドリーは俺が行くよ」
「それではバイトの意味が……」
「入れて取ってくるだけだから、あと干すのは頼むし」
「でも……」
「いいから、いいから」
愛理は、バタバタと洗濯物をまとめ、籠に入れる。一週間分なので、ギリギリ籠に入りきった。
忠太郎が籠を持って出ていくと、愛理は衣装ケースの中から手頃なTシャツを取り出した。忠太郎のシャツなので、愛理が着るとミニワンピくらいの長さになる。
下に履くズボンを探していたが、忠太郎の長ズボンでは長過ぎるし、短パンを履く勇気はない。忠太郎の七分丈くらいのズボンを借り、それでも長くて裾をめくった。ズボンがずり落ちないように紐で結び、いざ、掃除を始める。
ゴミをまとめ、床を掃除する。
洗い物はコップくらいしかないから楽だった。
ベッドのシーツや枕カバーをかえ、これも洗濯だったと思い当たる。着替えて行くべきか、忠太郎に連絡して取りに来てもらうか、自分で行くか。
愛理は、すぐそこだしこのまま行ってしまうことにした。
こんなことなら、最初から忠太郎に頼まないで自分でやれば良かったと後悔しつつ、洗濯物を抱えてコインランドリーに向かった。
コインランドリーにつくと、忠太郎はデッサンをしながら椅子に座って、洗濯物が終わるのを待っていた。
その様子を胡散臭そうに主婦が眺めており、スマホで通報しようか悩んでいるようだった。
「たろさん」
「愛理ちゃん。どうしたの? まだ洗濯終わらないよ」
「いえ、シーツとかも出たから持ってきたんです」
愛理が忠太郎に話しかけたのを見て、主婦はスマホをポケットにしまった。
コインランドリーで下着のデッサンは、さすがに勘違いされてもしょうがないかもしれないが、忠太郎が変態扱いされるのは忍びなさ過ぎると思った愛理は、早く忠太郎を帰そうとする。
「たろさん、あとは私がやりますから、どうぞお仕事に戻ってください」
「そう? でも、やっぱりあと少しだからいるよ。濡れた洗濯物は重いだろうし」
「私、こう見えて力持ちなんですよ」
どう見ても筋肉の一つもついていなさそうな細い腕を出して、力こぶを作ってみせた。その際、ダボダボのTシャツの脇から、ピンクのブラがチラリと見える。
「いや! 絶対いる! 最後まで付き合う」
忠太郎は、慌てて愛理の腕をつかんで下に下げると、辺りをキョロキョロ見た。
主婦の他にも三十代くらいの男が一人おり、愛理の方を見ているのに気がつく。
実際には、愛理をというより愛理と忠太郎二人を見ていたのだが、忠太郎は愛理を見ているんだと決めつけた。
大きめのTシャツを着た愛理を見て、裸に彼氏のYシャツ羽織ってます的な艶かしさを感じているのは忠太郎のみなんだが、男はみんな同じように感じる筈だ! と、勝手に勘違いしたのである。
愛理は主婦の視線を気にしつつ、忠太郎は男の視線をブロックするように立つ。
洗濯物が終わるまでの間、コインランドリーの中は奇妙な緊張感に満たされていた。
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